かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「牧歌の里」へ行ってきました。

2011-07-22 | 気ままなる日々の記録

 

非情に大きな台風6号、中心の気圧が
935ヘスト・パスカル、動きが遅く、
テレビは厳重な警戒を呼び掛けていま
した。その影響で、2~3日前からお
そろしく蒸
し暑く、数日雨模様。

強風で大切なプラムが全滅になるのを
恐れて早めに収穫したり、植木鉢の取
り込みなどに追われました。

一昨日は、午前中は曇りという予報を
信じて、ラウンドアップ(除草剤)も
散布しました。この除草剤は1時間雨
が降らなけ
れば効果を発揮するという
優れもの。台風に伴う数日の雨で家の
周りの雑草が伸びるのを嫌っての頑張
りでした。

その台風も、お陰さまでこの地方では
被害なし。チョット拍子抜けした感じ
が残りました。


「医者と気象庁は、人を脅して、商売
をしている」と豪語していた先輩もい
ましたが、つまりは正確には分からな
いということ、だから必要以上に警戒
を呼び掛けているのでしょう。
「想定外」と言われるよりマシと観念
すべきこともよく分かっています。

それでもチョット不満が残り、「どこ
かへ出かけるか」ということになりま
した。22日には予定が入っていまし
たので、日帰りで涼しいところ!。

思いついたのが「ひるがの高原 牧歌
の里」でした。

標高は800mくらいでしょうか。軽
井沢のような涼しさは期待できません。
でも予想以上に爽快でした。外気温は
25度程ですが、湿度が低くそよ風が
心地よいところでした。

  

 

広い敷地、スイスの高原を模した設計
で羊や驢馬の放牧地もありました。

圧倒的に多いのは子ども連れの若いカ
ップル。子どもたちが嬉しそうに駆け
回っている姿は、見ているだけで心が
和みます。

十数年前、山歩きの友人たちとこの近
くの民宿に泊まって山歩きをしたこと
があります。

例によって夜は囲炉裏を囲んで宴会。
民宿のご主人も酒好きのようで「差し
入れですよ」と一升瓶を下げて合流さ
れ、戦後の入植のお話を聞きました。

昭和20年の秋から21年にかけて、
大勢の人たちが当時の満洲や朝鮮から、
全財産を現地に残したまま、寿司詰め
状態の船で引き上げてきました。
 

帰国の喜びを束の間、帰国しても生活の場がありません。政府は国有林を始多くの公有林を帰国者に開放し「入植」を奨励しました。

当面の生活費は支給されましたが、残りの多くは貸付。開拓は過酷を極めたといいます。雑木林を切り倒し、根を掘り起こし、石を取り除いて畑にする。石が多くて畑にならないところは牧草を育てて、ヤギやウシを飼う牧場にする。

冬の「ひるが野」は激寒の地です。粗末な丸太小屋では、囲炉裏の火を絶やすことができず、風の強い日は枯れ
草にくるまったそうです。
 

農作物は、トウモロコシ、サツマイモ、
サトイモ、そして麦、牧畜はヤギ、羊、
そして牛。数年かけてようやく生活の
基盤が整ったそうです。

牧歌的な農家の営みもつかの間、次の
嵐がこの地を襲ったといいます。
農業の近代化、農産物の商品化でした。

絞った牛乳をリヤカーで下の村まで運
んでいたのでは採算が合わなくなった
のです。僻地の農村ほど機械化・大規
模化を迫られたのです。

入植者たちは借入金オート三輪を買い、
乳牛の頭数を増やし、つまりは近代化
と呼ばれた対策を急ぎ、懸命に働いた
そうです。

しかし、昭和30年代後半から、刀折
れ矢尽きてすべてを売り払い、借金を
返してここを離れる農家が出始め、4
0年代に入ると開拓地の殆どが荒れ地
になったとのことでした。
 

この「牧歌の里」も、入植者たちの血
と汗の上に出来ているのではないか、
それが、私の胸をよぎった思いでした。

自然災害、これは地球上の生きとし生
けるものの宿命としても、その上に襲
いかる暴力的な「社会の変化」にも私
たち人間は苦しめられます。

リーマン・ショックで突然就職先を失
った昨今の高校生たち。円高不況で解
雇された派遣社員たち。この不条理に
私たちはどう立ち向かえばいいのでし
ょう。

「牧歌の里」の周りはすべて巨木が茂
る森で、ここの敷地だけがかっては農
地ではなかったのか、という連想から
私の思いは沈みがちになりました。

でも、今は子どもたちが楽しげに遊び、
私たちもこの涼風を楽しんでいるので
す。

民宿のご主人の話は続きがあって、こ
の人のお父さんは下の村の大きなお百
姓さんで、長い間、入植者の世話係を
お勤めになったとか。
世話をしていた
入植者が、いろいろな事情で農地を売
って街へ出ることになったとき、その
農地は買い手がなくて、ただ同然であ
ったことが気の毒で、わざわざ高い値
をつけて買ってあげたとか、家族の反
対を押し切り、有り金全部をつぎ込み、
挙句の果てが自分の畑を売って、入植
者の農地を買ってあげそうで、「お陰
でわしは、こんな処で民宿をやってお
る」と笑っておられた。 

これも私には忘れられないお話です。

私は、勝手な連想を積み重ねながら歩
き、家内はここへ孫を連れてきたらど
んな遊びをしようかということを次々
考えて、私に提案して、そんなこんな
で私たちは歩きまわりました。

すぐ近くに同じ会社が経営する天然温泉「牧華の湯」という立ち寄り温泉があり、私たちはそこで汗を流し帰宅の途に着きました。

ちなみに、「牧歌の里」と「牧華の湯」の入場券をまとめて買うと割引があって、1人1,700円でした。