かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「思い出の先取り……?」

2011-06-22 | 気ままなる日々の記録

 久しぶりの晴天で、朝から満を持して、休耕地への除草薬散布に出かけました。気象情報の予想通り気温はぐんぐん上がり、作業が終わった午前11時30分頃には30度を超えていました。

 こんな時、私は淡々と作業をしながら、四次元空間に遊びます。こう書くと大袈裟ですが、つまりは夢遊病者になるというか、夢幻能の世界に迷い込むというか、一瞬のうちに30年前の自分に戻って母と会話をしたり、友人と登った3000m級の山頂で乾杯したりするのです。作業の折り目ですぐに現実に戻って次の作業に移ったりもしますが、作業が単調な繰り返しになるとすぐにまた前の世界に戻ります。こんなふうに四次元空間で遊ぶ楽しさを味わうことができるようになったのも、年を取ったお陰です。下の写真は、今日除草薬を散布した休耕地で5アールほどの広さがあります。散布を怠るとあっという間に雑草は背丈ほどの高さになってしまいます。

 

 今日迷い込んだ世界は、10年も前に見たテレビの映像から始まる夢遊の世界でした。その映像はある著名な女流作家(?)の訃報に関するもので、偶然、亡くなる3ヶ月ほど前に、闘病中の彼女をインタビューときのVTRがあるとかで、それを流していました。

 背を起こしたベッドに、痩せ細ってはいるがとても上品な老婦人が横たわっていました。でも、インタビュアーの質問には奇麗な言葉ではきはきと答えておられました。私の印象に深く刻み込まれている彼女の言葉は、「今、こうして昔の写真を見ていますと、幼かった子どもたちが、どの写真を見てもきちんとアイロンのかかった服装をしていますの。あの頃の私はお金もなくて、とても忙しくしていましたのよ。でも一途に頑張って、子どもたちには洗濯とアイロンの行き届いたものを着せていました。今こうして見ていると、とても感じがよくて何だか誇らしく思えますの」。こう話したときの彼女の笑顔と訃報が重なって、このとき私は強い衝撃を受けたことを覚えています。

 50代になったころの私は、理屈と愚痴の多い若い人たちに「諸君の言い分はよく分かった。僕も頭に叩き込んでおく。しかし、君たちなア~、3年後の自分が3年前の自分を振り返って、あの頃俺はこんな仕事をしたと誇れる仕事を今しているか、そういう視点も持って欲しいんだ。僕はこれを名付けて“思い出を先取りする視点”と言っておる。僕は君たちのそうした仕事を見ているんだ!」と激を飛ばしていました。偉そうなことを言っていたものです。いま思えば「冷や汗&汗顔」で、そんなことを思い出した今日の私は、まさに汗だらけの顔でした。二十数年前のあの頃は、まだ職場の人間関係が熱く、会議だ、要求だ、交渉だと、何かにつけて人々が集まりよく議論していました。でも、側聞によると、いまある会議ほとんどが「打ち合わせ会」だけで、皆が事務的で冷めていて自分の担当分野だけに気を配り、あとのことはしらないよ、という感じだそうです。だから今の時代なら私も偉そうなことをいうこともなかったと思われますが、それが、職場にとってもそこで働く人々にとっても、良いことなのか悪いことなのか分かりません。

 下の写真右は除草薬散布に使う我が愛機「ポータブル動墳セット、ビッグエム」君(強制空冷2サイクル22.5CCエンジン付き)です。左は収穫が楽しみな我が菜園のトマトです。

                

 自分を振り返って「……、とても感じがよくて何だか誇らしく思えますの」と言える何かがあるだろうか。少なくとも自然にこんな言葉がでてくる思い出は一つもありません。