熱海大火ー昭和25年
熱海市が市制を施行したのは1937年(昭和12年)4月10日 。田方郡熱海町と多賀村が合併し熱海市となった。この地は、古くからの湯治の地であり、地名は「阿多美」であったが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」とされた。1604年には徳川家康も来湯したそうである。丹名トンネル(1918年着工、1934年完成)が開通し、鉄道省熱海線(現在のJR東海道本線)が開通してから、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になる。かつては新婚旅行や職場旅行の定番の観光地であり、市の中心地東海岸町などには大型ホテル・旅館が数多ひしめいていた。1990年代以降社員旅行の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽化し転業も多い。 一方で、2000年代に入り温泉を引いたリゾートマンションが増加している。
まだ戦後の復興過程にあった1950年(昭和25年)4月3日、静岡県熱海市の国鉄熱海駅に近い商店街「仲見世通り」で火災が発生、店舗など70戸を全焼した。「熱海で七〇戸焼く 駅前仲見世を一なめ」というのが、翌4日付朝日新聞の見出し。原因はテンプラ油に火が移り、更に付近会ったセルロイド引火、更に天井に燃え抜け大事に至った。熱海市警察署によると、損害額は約2億円に達した。ところが、熱海駅前での火災から10日後の4月13日、同じ熱海で大火が発生した。この火災を報じる4月14日付朝日新聞の見出しは、「熱海また大火 心臓部全滅千十五戸焼く」というもの。別に「旅館の焼失四十七軒」という見出しもある。この火事の被害に遭ったのは、「お宮の松」からやや西の海岸地帯。旅館街ばかりか、市役所、消防署、警察、東横デパート、静岡銀行支店、信用組合、毎日新聞通信部、読売新聞通信部等を焼失した。損害は30億円と報じられている。火元は渚町渚海岸埋立地の工事事務所。出火は午後5時15分頃。原因は、未成年者(18歳)のタバコの火がガソリンに引火したものであった。悪いことに、南東から約15メートルの海風にあおられ、火は内陸に燃え広がった。当時の熱海は水利が悪い、狭い坂道の町。井戸がなく、肝心の水道は水圧が低く使い物にならない。ホースをつないで海水を使用としたが、うまく行かない。糸川、初川の水を利用としたが思うにまかせず。とうとう大きな被害を出してしまった。
以上は、緊迫感溢れる新聞記事。次に、熱海大火を”歴史的事実”とし叙述している文献を紹介してみよう。1978年に静岡新聞社が発行した『静岡大百科事典』には、「熱海大火」の項目がある。以下は、その抄録。数値関係に新聞記事との相違があるが、新聞は速報性を重視したからであり、不一致は当然のことである。
熱海大火は、「1950年(昭和25年)4月13日夕刻から深夜にかけて、熱海市の温泉旅館街を焼き尽くした大火」であると定義している。続いて、焼失家屋979棟、被災1,461世帯、損害見積54億7000万円とのデータが出ていた。また、大火となった原因として、熱海市の町並みが「ひな段状の海岸傾斜地」となっていて、そこを東南東10メートル以上の強風が吹き付けたことがら、大被害となったと記されている。このため、延焼阻止の設定は全く不可能という状況だったという(市消防当局)。また、水利も悪かった。市内の消火栓は、本管が細いため”共倒れで使用不能”といった案配である。火災の原因は、自動車の給油に使用した20リットル缶にマッチの燃えさしを投げ込んだことにある。残っていたガソリンに引火したしたので、缶を急いで屋外に持ち出そうとしたが転倒してしまった。広がった火に水をかけたため、火は一瞬にして燃え広がった。
熱海大火が発生した1950年は、熱海市が 国際観光文化都市(熱海国際観光温泉文化都市建設法ー昭和25年法律第233号による)に指定された年でもある。同じ時期、別府(昭和25年法律第221号)、伊東(昭和25年法律第222号) も類似の法律に基づき温泉を主体とした国際観光文化都市に指定されている。
国際観光文化都市(こくさいかんこうぶんかとし)とは、日本において、日本国憲法第95条に基づく個別の特別法又は国際観光文化都市の整備のための財政上の措置等に関する法律(昭和52年法律第71号)により、国際的な観光・温泉等の文化・親善を促進する地域として指定された都市をいう。
1950年から1951年にかけて制定された個別の特別法、特別都市建設法により9都市が、国際観光文化都市の整備のための財政上の措置等に関する法律施行令(昭和52年政令第308号)により3都市が、それぞれ指定されている。
日本の国民生活、文化及び国際親善に果たす役割が大きい都市とされ、それらの法令に基づき実施される整備事業等に対し、国庫からの補助がなされる。
[編集]個別の特別法により指定された都市
大分県別府市:別府国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第221号)により指定。
静岡県伊東市:伊東国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第222号)により指定。
静岡県熱海市:熱海国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第233号)により指定。
奈良県奈良市:奈良国際文化観光都市建設法(昭和25年法律第250号)により指定。
京都府京都市:京都国際文化観光都市建設法(昭和25年法律第251号)により指定。
島根県松江市:松江国際文化観光都市建設法(昭和26年法律第7号)により指定。
兵庫県芦屋市:芦屋国際文化住宅都市建設法(昭和26年法律第8号)により指定。
愛媛県松山市:松山国際観光温泉文化都市建設法(昭和26年法律第117号)により指定。
長野県北佐久郡軽井沢町:軽井沢国際親善文化観光都市建設法(昭和26年法律第253号)により指定。
出火は、4月13日午後5時15分頃。熱海市渚町渚海岸埋立地にある土建事務所から出火、折から海上から吹き付ける東南の潮風にあおられ、火はたちまち広がった。見出しにあるように、旅館の焼失は四十七軒。そのほか、市役所、警察署、消防署、静岡銀行支店、毎日新聞・読売新聞の通信部等を焼き尽くした。熱海市
1950年 国際観光文化都市指定。
1990年代以降社員旅行の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽化し転業も多い。
一方で、2000年代に入り温泉を引いたリゾートマンションが増加している。
2006年、熱海市長は財政危機宣言を発している。ただ地方交付税自体不交付である富裕団体ともいえ一連の発表は各方面に影響を与えた。理由として基金の取り崩しによる黒字であり、基金が底をつく可能性が高いためである。プライマリーバランスでは事実上赤字財政である。
熱海市が市制を施行したのは1937年(昭和12年)4月10日 。田方郡熱海町と多賀村が合併し熱海市となった。この地は、古くからの湯治の地であり、地名は「阿多美」であったが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」とされた。1604年には徳川家康も来湯したそうである。丹名トンネル(1918年着工、1934年完成)が開通し、鉄道省熱海線(現在のJR東海道本線)が開通してから、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になる。かつては新婚旅行や職場旅行の定番の観光地であり、市の中心地東海岸町などには大型ホテル・旅館が数多ひしめいていた。1990年代以降社員旅行の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽化し転業も多い。 一方で、2000年代に入り温泉を引いたリゾートマンションが増加している。
まだ戦後の復興過程にあった1950年(昭和25年)4月3日、静岡県熱海市の国鉄熱海駅に近い商店街「仲見世通り」で火災が発生、店舗など70戸を全焼した。「熱海で七〇戸焼く 駅前仲見世を一なめ」というのが、翌4日付朝日新聞の見出し。原因はテンプラ油に火が移り、更に付近会ったセルロイド引火、更に天井に燃え抜け大事に至った。熱海市警察署によると、損害額は約2億円に達した。ところが、熱海駅前での火災から10日後の4月13日、同じ熱海で大火が発生した。この火災を報じる4月14日付朝日新聞の見出しは、「熱海また大火 心臓部全滅千十五戸焼く」というもの。別に「旅館の焼失四十七軒」という見出しもある。この火事の被害に遭ったのは、「お宮の松」からやや西の海岸地帯。旅館街ばかりか、市役所、消防署、警察、東横デパート、静岡銀行支店、信用組合、毎日新聞通信部、読売新聞通信部等を焼失した。損害は30億円と報じられている。火元は渚町渚海岸埋立地の工事事務所。出火は午後5時15分頃。原因は、未成年者(18歳)のタバコの火がガソリンに引火したものであった。悪いことに、南東から約15メートルの海風にあおられ、火は内陸に燃え広がった。当時の熱海は水利が悪い、狭い坂道の町。井戸がなく、肝心の水道は水圧が低く使い物にならない。ホースをつないで海水を使用としたが、うまく行かない。糸川、初川の水を利用としたが思うにまかせず。とうとう大きな被害を出してしまった。
以上は、緊迫感溢れる新聞記事。次に、熱海大火を”歴史的事実”とし叙述している文献を紹介してみよう。1978年に静岡新聞社が発行した『静岡大百科事典』には、「熱海大火」の項目がある。以下は、その抄録。数値関係に新聞記事との相違があるが、新聞は速報性を重視したからであり、不一致は当然のことである。
熱海大火は、「1950年(昭和25年)4月13日夕刻から深夜にかけて、熱海市の温泉旅館街を焼き尽くした大火」であると定義している。続いて、焼失家屋979棟、被災1,461世帯、損害見積54億7000万円とのデータが出ていた。また、大火となった原因として、熱海市の町並みが「ひな段状の海岸傾斜地」となっていて、そこを東南東10メートル以上の強風が吹き付けたことがら、大被害となったと記されている。このため、延焼阻止の設定は全く不可能という状況だったという(市消防当局)。また、水利も悪かった。市内の消火栓は、本管が細いため”共倒れで使用不能”といった案配である。火災の原因は、自動車の給油に使用した20リットル缶にマッチの燃えさしを投げ込んだことにある。残っていたガソリンに引火したしたので、缶を急いで屋外に持ち出そうとしたが転倒してしまった。広がった火に水をかけたため、火は一瞬にして燃え広がった。
熱海大火が発生した1950年は、熱海市が 国際観光文化都市(熱海国際観光温泉文化都市建設法ー昭和25年法律第233号による)に指定された年でもある。同じ時期、別府(昭和25年法律第221号)、伊東(昭和25年法律第222号) も類似の法律に基づき温泉を主体とした国際観光文化都市に指定されている。
国際観光文化都市(こくさいかんこうぶんかとし)とは、日本において、日本国憲法第95条に基づく個別の特別法又は国際観光文化都市の整備のための財政上の措置等に関する法律(昭和52年法律第71号)により、国際的な観光・温泉等の文化・親善を促進する地域として指定された都市をいう。
1950年から1951年にかけて制定された個別の特別法、特別都市建設法により9都市が、国際観光文化都市の整備のための財政上の措置等に関する法律施行令(昭和52年政令第308号)により3都市が、それぞれ指定されている。
日本の国民生活、文化及び国際親善に果たす役割が大きい都市とされ、それらの法令に基づき実施される整備事業等に対し、国庫からの補助がなされる。
[編集]個別の特別法により指定された都市
大分県別府市:別府国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第221号)により指定。
静岡県伊東市:伊東国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第222号)により指定。
静岡県熱海市:熱海国際観光温泉文化都市建設法(昭和25年法律第233号)により指定。
奈良県奈良市:奈良国際文化観光都市建設法(昭和25年法律第250号)により指定。
京都府京都市:京都国際文化観光都市建設法(昭和25年法律第251号)により指定。
島根県松江市:松江国際文化観光都市建設法(昭和26年法律第7号)により指定。
兵庫県芦屋市:芦屋国際文化住宅都市建設法(昭和26年法律第8号)により指定。
愛媛県松山市:松山国際観光温泉文化都市建設法(昭和26年法律第117号)により指定。
長野県北佐久郡軽井沢町:軽井沢国際親善文化観光都市建設法(昭和26年法律第253号)により指定。
出火は、4月13日午後5時15分頃。熱海市渚町渚海岸埋立地にある土建事務所から出火、折から海上から吹き付ける東南の潮風にあおられ、火はたちまち広がった。見出しにあるように、旅館の焼失は四十七軒。そのほか、市役所、警察署、消防署、静岡銀行支店、毎日新聞・読売新聞の通信部等を焼き尽くした。熱海市
1950年 国際観光文化都市指定。
1990年代以降社員旅行の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽化し転業も多い。
一方で、2000年代に入り温泉を引いたリゾートマンションが増加している。
2006年、熱海市長は財政危機宣言を発している。ただ地方交付税自体不交付である富裕団体ともいえ一連の発表は各方面に影響を与えた。理由として基金の取り崩しによる黒字であり、基金が底をつく可能性が高いためである。プライマリーバランスでは事実上赤字財政である。