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藤井恵著『中国駐在員の選任・赴任から帰任までの完全ガイド』

2007-02-05 21:55:00 | Weblog
『中国駐在員の選任・赴任から帰任までの完全ガイド』が清文社から出版された。本書の著者藤井惠氏は、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの貿易投資相談部に所属する研究員。藤井氏は、1996年に神戸大学経済学部卒業、大和総研に入社した。翌年、三和総研に入社したが社名変更や合併を経て、現在の勤務先は三菱UFJリサーチ&コンサルティングとなっている。この間、母校の大学院に戻って2001年に経済学修士号を取得、また税理士の資格も取得した。既に、同じ出版社から『これなら分かる!租税条約』を刊行している。本書は、初めて海外勤務者を送り出すことになった中堅・中小企業や、グローバル企業における海外人事担当部門職員を対象に編纂されたガイドブック。内容は網羅的で、入門書的性格が強い。中国駐在員の選任方法、ビザの取得、赴任までに行うべき日本での税務・社会保健上の留意点、赴任中の日本及び中国での個人所得税等の取扱。更に、駐在員の人事考察・健康・リスク管理面、また中国駐在員の給与設定、各種手当設定方法や駐在員規定作成・帰任後の手続・・・。これらの多種多様のテーマを、平易な表現で、「Q&A方式」にまとめてある。本書の対象は本社の管理部門だけではない。中国駐在員たちが、現地で適宜参照しても便利なガイドブックである。以下は目次の構成。

1. 赴任前事項
2. 赴任中
3. 帰任時
4. 駐在員にまつわる日中双方での税務問題
5. その他事項
6. 駐在員の給与設定方法
7. 海外赴任者規定の作成
8. 出向元と出向先の覚書

労災保険、雇用保険等の社会保険、海外旅行傷害保険については「1.赴任前事項」、中国の社会保険や、中国での健康・リスク管理については「2.赴任中」の章に、それぞれ詳述されている。このように、本書には“保険”というキーワードが重要な位置を占めているといえよう。「お客様への情報提供」という観点から、本書を保険会社のオフィスに備えて置く。そんな活用方法もあろう。
(2006年、清文社、定価2200円+税)

100年以上昔の火災保険証券

2007-02-05 21:53:24 | Weblog
昨年、異業種交流で知り合った友人池田克己氏(元日揮勤務)が「こんなものが、ありましたよ」といって珍しい紙片を提供してくれた。明治32年(1899年)4月15日に大阪で発行された火災保険証券(別掲)である。池田氏は、郵便史研究のため明治時代の封書の束を購入した。その中に、たまたま1枚の火災保険証券が封入されていたものだという。池田氏のような好事家に、この保険証券が発見されたことは、幸いであった。ゴミとして捨てられる可能性もあった訳である。
この火災保険証券が発行された時代を少し振り返ってみよう。明治32年(1899年)の2月1日、東京・大阪間の長距離電話が開通する。4月1日から郵便葉書1銭5厘、封書3銭となる。7月4日、日本麦酒が京橋にビヤホールを開く。翌年の4月30日、軍艦マーチが神戸沖で初演される。そして、5月には在米邦人が皇太子殿下(後の大正天皇)にご成婚記念として自動車が献上された。このような時代を生きた(?)火災保険証券が、100年以上の“眠り”から醒め、21世紀初頭のインシュアランス誌で俎上に乗せられたということになる。

さて、明治32年発行の火災保険証券の大きさはほぼB4版横型。ご覧のような様式をとっている。東京日本橋区(中央区)に本社がある東京火災保険株式会社(安田火災を経て現在の損保ジャパン)が引き受け保険会社。安田火災のマークとして引き継がれていた“鳶口”マークの社章が描かれている。保険証券発行名義は、大阪支店支配人江南哲夫行となっている。保険契約者は田中儀四郎、保険の目的(保険証券上では“被保険物”と表示)は、大阪市東区北新町に所在の木造瓦葺2階建の住宅建物で、面積は13坪5合とある。時価は200円で、保険金額(保険証券上では“保険金”と表示)を150円としている。保険期間は明治32年4月15日から明治33年4月15日迄。保険料は1円50銭である。

 保険証券の裏面は「左に記載したる条項は保険契約者及被保険者に於いて異議なく承諾したるものとす」として第1条から第23条までの規定が掲載されている。“約款”という用語は使用されていない。以下、これらを適宜紹介してみよう。

第3条は免責に関する規定。「左の場合に於いては当会社は損害弁償の責めに任せす」とある。その第4号に「内乱外患一揆暴動等に原因する火災の損害」の規定がある。本保険証券は、日露戦争(1904-1905)勃発前の発行されたもの。この規定は、日露戦争終結後に発生した日比谷焼打ち事件(1905年9月5日)の際に問題となる。ポーツマス条約に不満を持つ民衆が暴徒化し市電や民家に放火したのだ。本来、商法上も(保険証券裏面記載の)規定は免責となる焼打ちによる被害。最終的には保険金相当額を見舞金という名目で支払った。これは東京火災保険株式会社のみの問題ではなく、横浜火災(同和火災を経てニッセイ同和損保)等他の損害保険会社でも同様の処理を行なっていることが確認されている(詳しくは、小著『火災保険よもやま話』2005年、保険教育システム研究所、21ページ以下参照)。なお、本論考は、正確なものではない。なぜなら、焼打ち事件当時に火災保険証券裏面に記載された免責規定の文言(東京火災、横浜火災)と、それに先立つ数年前に発行された保険証券の文言が、“全く同じ”という確証を持てないからである。

第10条は、「契約期間の終始」を定めている。第10条によると、保険契約の終期は「満期日の正午12時に終わる」と規定されている。この部分は、意外であった。全く知らなかったことである。保険の終期が4時に決められたのは何時か、その理由は、移行に伴う暫定措置等はあったのかは、今後の研究課題としておこう。

第14条は「損害調査の手続き」に関する規定。ちょっと表現が面白いので、引用してみよう。「火災の節当会社の徽章を携帯したる社員若しくは人夫現場にたちいり防火又は保護の為め相当の時間被保険物を占有することあるも決して拒むべからず・・」。句読点が全くないので読みにくいが、文意はご理解いただけよう。

先日、ある損害保険業界人に、この火災保険証券を見せたところ、「同じ頃の東京海上が発行した火災保険証券を見たい」という感想があった。残念ながら、この世にそのようなものは存在しない。東京海上が火災保険の営業免許を取得したのは大正3年(1914年)のことだからである。