百醜千拙草

何とかやっています

正直、真面目、向上心

2019-03-26 | Weblog
実験動物を扱っていると、相手はどこまでこちらを理解しているのだろうと思うことがあります。しかし、ネズミに向かって「お前は俺のことをどう思っているのだ?」と聞いても答えが返ってくるわけもなく、お互い理解し合えないものだとの前提で対応しています。

そんなことを考えていたら、人間どうしでもそうだな、と思いました。外国人で言葉が通じない場合に意思疎通が不自由になるのは当然として、同じ言語を喋り、同じ文化圏で育って生活していても、理解し合えない人々はいます。自分の配偶者でさえ「お前は俺のことをどう思っているのだ?」と問いかけたい気持ちになることはしょっちゅうです。ま、最近は理解し合えないものだと思ってやっていますが。

人間が他の人間や生物と一緒に地上で生活していく上で、必ず他者との関わりあいがあり、お互いに相手のことを自分なりに理解し、普通、その理解に基づいて行動しています。その理解の仕方というのは個々にユニークであり、そこに人間どうしが根本的には理解し合えない原因があると思います。「バカの壁」というやつですね。

最近、また新しく研究員を雇おうとしていますが、過去に何度かかなり大きなハズレを引いたので、慎重になっています。仕事上の関係なので、お互い目指すものは共通していますし、こちらの要求はかなりはっきりと伝えているはずですが、どうしても人間関係ですから、常にハッピーといういうわけにはいきません。相手はこちらの言うことを相手にとって都合の良いように解釈する傾向があり、こちらも同様です。

以前は、相手の思うところを汲み取って緻密にこちらの要求とすりあわせていけば上手くいくはずだと思っていました。相手が自分と同じ理解体系をある程度共有していれば、とこれでもいいですが、それでも、人間は感情の動物であり、感情は山の天気のごとくに変化しますから、人間というのはしばしば豹変します。そしてみんな、大抵は自分は正しいと思っており、悪いことがおこれば他人の所為にしたがります。そうなると、意見のズレは感情の対立となり、そうなると相手を理解しようとする努力は失われコミュニケーションは断裂です。自分自身が絡む局面を自己を離れて大きな視野から見ることができる人間といのは滅多にいません。

ま、最近は、人間というものは理解しあえないものだ、と思うようになり、それを前提にして行動すればストレスが少ないということがわかりました。理解しあえなくても、仕事や家庭の目的上、一緒にやっていくという一点を共有しておればなんとかなると思います。そこに最も大切なことは「正直さ」であろうと思います。なので「正直さ」が尊重すべき人間の資質であるという価値観は少なくとも共有されていないと人間関係は成り立ちません。

「正直さ」というのも実は結構、解釈の幅があるようで、ある国の文化圏では、己の利益を守るためなら、ウソをついて他人を欺いても良い、と教育されているようです。自分や家族を守るためにウソをついても、「正直でない」とはみなされないのだそうです。ま、このような恣意的な正直さでは科学研究者としてはダメですが。

結局、今回、オファーを出すことにした人とは、メールのやり取りの後、会って話をして、それから最新の投稿前の原稿を見せてもらって決めました。前にも書きましたが、一事が万事で、メールの最初の1行を読めば、ダメな候補者はだいたいわかります。その判断が間違っていたことはありません。グラントと同じですね。最初の一ページがダメで残りが良いグラントなどありえません。

私のレベルの研究室では、「優秀な人」というのは滅多に応募してきませんので、ダメではない人の中でのベストを消去法で残していくしかないのですが、結局、私が求める条件は「正直」で「真面目」に「多少の向上心」、だけです。とはいうものこの三つを同時に持つの人は、稀ではないかと思います。多少の向上心をもって正直に毎日真面目に数年やれば、立派に優秀な研究者になっているはずですから。あいにく、多くの人が向上心をもって真面目に毎日つまらないことを続ける努力ができずに脱落するようです。向上心はあるが不正直な人には大変困りました。そういう人は真面目ではもちろんないわけですし。向上心はないけれども真面目で正直という人もいて、こういう人もちょっと困ります。技術補助員には向いているとは思います。
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