百醜千拙草

何とかやっています

Tomorrow is another day

2009-12-08 | Weblog
しばらく、留守にしておりました。仕事から離れていると、昔と違って不思議に仕事のことは頭に浮かばず、むしろ、これから死ぬまでの日々をどうやったら楽しくすごせるだろうか、みたいなことをつらつら考えておりました。これまで、なかなか進まないプロジェクトでストレス溜まり気味だったので、よい気分転換ができました。帰って来てから、仕事のことをぼつぼつ考えたりしてますが、不思議なことに、ストレス気味だったはずの仕事にまた戻れるのが楽しみです。人間、毎日、何かすることがあるというのは良いことです。いくら、結果を出さねばならないというプレッシャーにストレスを感じていても、プレッシャーもないがする仕事もないというよりは、はるかにましだと思います。数年前は、プレッシャーもあり、やるべき仕事もあるが、資金が足りず、やりたい仕事もできない、という状態の時期もありましたから、今の状況はずっといいです。

結果を出さなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうな時は、太宰治の詩「生活」を読むと、元気がでますね。
  
  よい仕事をしたあとで
  一杯のお茶をすする
  お茶のあぶくに
  きれいな私の顔が
  いくつもいくつも
  うつっているのさ

  どうにか、なる。

よい仕事をしても、それが、無事に評価されないと、借金が返せるかどうかわかりません。そして、借金がかえせなくなったら、仕事もできなくなるかも知れません。分筆業や自営業や、私のような研究者は、皆、よい仕事をするだけでは、生きていけません。よい仕事をして、その結果が売れてはじめて、お金になるわけですけど、それは、お客さん(なりレビューアなり)の外部の人の評価で決まります。しかし、私ができることは、できるだけ良い仕事をすることだけで、他人の下す評価を直接変えることはできません。だから、自分が満足できる様な仕事をしたら、それだけで、十分ではないか、と私は思うのです。それで、よい評価が受けられずに廃業になったところで、それは天意として受入れるより他ないのですから。
 イエスも「明日、何を着、何を喰わんと思い煩うな」と言っています。ボビーマクファーリンも「Don’t Worry, be happy」と歌っています。「明日できることを今日するな、他人ができることを自分でするな」という警句もあります。今日は、自分がやるべきことを楽しく精一杯やって、それで満足して、ぐっすり眠ります。明日は明日の風が吹きます。
 そんな感じで、残りの人生の日々、生きていけたらなあ、と思っております。
コメント
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