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ジャズの歴史①”ジャズはいかにして生まれたか”

2005-04-30 02:24:19 | ジャズの歴史
このブログのカテゴリーを新たに編集しなおして、「ジャズの歴史」というのを立ちあげる事にした。
文章自体は某所で書いていたのを文体だけ手直ししたものなんだけど、 内容はそれなりのものが書けていると思うので、このブログであらためて公開する事にしました。
ジャズの歴史が大雑把に分かるようなものになると思います。
今回はジャズの黎明期、誕生の経緯を簡単に説明します。

ジャズってニューオリンズを中心としたアメリカ南部の黒人のあいだから発生したわけだけど、そもそもアメリカ大陸には黒人っていなかったんだよね。
なんでアメリカ大陸で黒人が暮らすようになったのかというと、それはヨーロッパ諸国が競って入植してきた時に、アフリカから奴隷として黒人をドンドコ連れてきたからなわけだ。
延々何百年単位でヨーロッパ各地の列強が植民地として支配してきたんだけども、イギリス領だった東海岸を中心とした植民地13州の人たちとイギリスが戦争して、約8年間すったもんだした挙句に植民地側が勝ちを収めて、1783年のパリ講和条約をもってアメリカは独立する。アメリカ独立戦争ってやつね。
そこから、もともとネイティブアメリカンが住んでいた土地へと侵略して西部へと農地開拓で領土を広げていく、長い長いアメリカ開拓史がスタートするんだね。

で、ニューオリンズなんだけど、南部の港町として植民地支配をしている列強にとっては重要な拠点だったのね。
1699年にルイジアナ州がフランス領になってからイギリスやスペインと獲ったり獲られたりしてたんだけど、いがみ合いに疲れて3国とも共倒れする形で植民地を維持できなくなってきて、最終的にはフランスからアメリカに売却される形で1803年にアメリカ合衆国最後の合併州となるわけ。
この辺の歴史は僕も詳しい事は知らない。興味がある方はアメリカ独立戦争やナポレオンとかの本を読むといいかも(笑)。
1803年にアメリカ領になったニューオリンズなんだけど、長年フランス、イギリス、スペインがかわるがわる支配してて、なおかつ要衝として重要視されるほどの港町だった事もあって、人種にしても文化的にも出入りが激しかったのね。
音楽的にも、ヨーロッパ各地の音楽や黒人たちの故郷アフリカの音楽、列強の開拓船が経由してきた西インド諸島の音楽や、果ては黒人奴隷たちが生み出してきた霊歌やブルースなどなど、音楽も多様なものが日常的に演奏されていたという背景があったわけ。
それらは普段バラバラに各階層や人種ごとに楽しまれていたんだけど、それを黒人のもとに融合させるきっかけになった事件があった。

リンカーンが1860年に大統領に就任して奴隷開放政策を打ち出す。
これ自体は人権思想に根差したものでもなんでもなくて、北部の工業地域に黒人奴隷の労働力を誘致して発展させようという打算的なものだったんだけど、南部で絶大な勢力を持っていた綿花栽培業者たちは奴隷をこき使ってしこたま稼いでたわけで、そこに人権を認めて賃金を与えなきゃいけないとなると嫌なわけだ・・・・・・当然政策との対立が起こって、結果南北戦争が勃発する。
結局政府側の北軍が勝って奴隷解放宣言が出される。建前上は黒人奴隷にも人権が認められる日が来たわけだ。
でね、今まで人間じゃないようにこき使われてきた黒人たちだけど、奴隷として生きる限りメシを食う事はご主人様によって一応保証されてた?んだよね。それがスパッと奴隷解放の波がきてポンと奴隷の生活から開放された結果、どうにかこうにかお金を稼いで自立して生活しなきゃいけなくなったわけだ。
そこで苦肉の策として、南軍の軍楽隊が用いていた楽器を安く払い下げてブラスバンドを組織して食っていこうとしたのがジャズの原型になる。

ここまでを読んだだけだと「それじゃ黒人が黒人の音楽をやっただけじゃん」となるけど、そこに当時のニューオリンズにあった世界各地の雑多な音楽と、黒人には無かった系統立った音楽理論、楽典の知識を持ち込んだ階層があった。
それは、長いヨーロッパ支配や白人支配の中で白人の支配者層の子供を黒人奴隷の女性が身篭る事で生まれてきた混血の人たち。
彼らは「クレオール」(Creoolと綴り、ポルトガル語の「育てる」と言う意味の言葉が語源らしい)と呼ばれていて、奴隷解放までは白人階層の各家庭の家族として、黒人奴隷と比べるとある意味特権的な生活をしてた。
白人と同等の教育を受けて、裕福な生活をして、音楽をはじめとする芸術にも近しく接していた・・・・・・。
奴隷解放が成っても白人と黒人の生活レベルの差は厳然とあったんだけど、それでもそれまで思うように扱ってきた奴隷たちが言う事をきかなくなって、白人たちはムシャクシャしてたわけだ。
結果、肌の色が黒くても白人と同等の生活をしていたクレオールたちは白人たちの憎悪をまず率先して浴びる結果になって、それまでの裕福な生活から放り出されます。
今まで白人社会の側に立って蔑んで見ていた黒人階層に転落していくんだけど、当然黒人たちからも敵視される事になります。
でも、黒人もクレオールもメシが食えないという現実に直面している事に変わりはないわけ。
結局「じゃぁ一緒にバンドやろうや」というところに、どうにかこうにか落ち着いていくのね。
その邂逅によって、音感とリズム感のみを頼りに演奏される黒人の音楽に、他の様々な国の音楽の影響、そして音楽理論と技術だてられた楽器の奏法が融合する事となり・・・・・・。

こう見てみるとジャズの誕生ってスゲェ偶然の産物って言うか、本当に稀有な条件の歴史の狭間から突然変異的に生まれてきたんだなぁって思うね。
クラシックは当然として、スペイン、フランス、イギリスに古くから根付いている土地ごとの伝統音楽、教会音楽、民謡だとか舞踏曲だとか・・・・・それらとアメリカの黒人奴隷の音楽、ゴスペル、ブルース、スピリチュアルやなんかが化学変化を起こしてポコッと生まれたのがジャズなのね。
たかだか100年ちょっと前に生まれたのに、もはやポピュラー音楽として認識されなくなってきているのも、こういった根深い歴史的な背景の上に成立したものだからなんだろうね。

今回はここまでにしときます。
この「ジャズの歴史」はしばらく続くと思います。
全部通して読めばあなたも立派なジャズ博士、なんて事はないか(笑)。

ではでは。

2 コメント

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Unknown (Bird of Paradise)
2005-04-30 16:21:44
TAROさん、はじめまして。Bird of Paradise です。

コメントいただきまして、ありがとうございます。

ジャズの歴史とは何の関係もありませんが、大西順子さんの復帰、うれしいかぎりです。まったく知りませんでした。
返信する
>Bird of Paradiseさん (TARO)
2005-04-30 23:32:56
わざわざの御来訪、いたみいります。

大西順子、いいですよね。

日本の女流ピアニストには見られない堂々とした押し出しを持っている、稀有な存在だと思います。

これから楽しみですね。
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