はい、ジャズの歴史第二章です。
こうしてジャズは産声を上げたわけだけど、実際にはその頃の奏者達は音楽以外に本業を持っていて、演奏は余暇の時間に臨時収入を得るための、いわばアルバイト的なものだったのね。
バンドを組織した黒人たちは主にパレードとか冠婚葬祭の席なんかで当地の民謡だの行進曲だの、伝統的な教会音楽だのを演奏して日銭を稼いでいたんだけど、それら以外の演奏の場としてキャバレーとかバー、ダンスホールだとかの夜の仕事も需要として大きくあったのね。
その需要に応えるために小編成での演奏が必要になってきて、3人とか4人とかのスモールコンボの草分け的形態(当時は主に3管のブラスセクションのみという編成が主流で、そこに弦楽器や鍵盤が加わる事もあった)が生まれてきたんだそうだ。飲み屋とかバーとかって狭いもんね。
それまでは既製の曲やジャンルに演奏の題材を求めていたんだけど、以降演奏する場が夜の歓楽街へと移っていくに従って演奏される音楽も歓楽街にふさわしいダンスミュージックやムーディなもの、スインギーなものに変わってきたのね。
このような変遷の中でジャズ独自の雰囲気やフレージング、奏法が築かれていったという事なんだろうか・・・・・ジャズと酒って切っても切れない縁があるんだね(笑)。
余談になるけど、この頃ニューオリンズで隆盛を極めたアーリジャズを、当地の白人達も珍しがって模倣したのね。それが現在で言うところのディキシーランド・ミュージックというわけ。
そうやって花開いたニューオリンズジャズだけど、優れたミュージシャンはニューオリンズのみに留まらず、ミシシッピー河の定期船を使って出稼ぎ的に近隣の町々に出て行くこともしばしばあって、河沿いにだんだんと北上していく。
こうやって徐々に勢力を延ばすというかテリトリーを広げていくんだけど、その頃はまだ黒人蔑視が極めて根強く横行していた事もあって、南部の一地方の民衆芸能程度に見られていたらしい。
それが中央の大都会に出て行くきっかけになったのが1917年、アメリカの第一次世界大戦参戦。ニューオリンズは軍港となり歓楽街がなりを潜めた結果、演奏する職場がなくなっちゃったわけ。
でまぁ、働く場所が無きゃしようがないってんで、ある者は別の職を探し、音楽で食べていけるほどの有力なミュージシャンたちは別の土地に演奏の場を探しに出て行く事になる。言ってみればジャズの民族大移動みたいなもんか?(笑)。この大移動によってジャズ発祥の地ニューオリンズのジャズシーンは衰退に向かっていく事になる。
で、その大移動の矛先となったのが、それまでもニューオリンズのジャズメンたちがたびたび出稼ぎに訪れていた北部の大都市シカゴ。
そのシカゴに、現在にいたるまでのジャズの方向性を決定づけるような巨匠が登場してくる。
シカゴのジャズシーンに颯爽と現れたその人こそ誰あろうLouis Armstrong(ルイ・アームストロング、tp,col)、サッチモですな。
Joe King Oliver(ジョー・キング・オリバー)っていうジャズ創成期の偉大なコルネット奏者がいて、その人に呼ばれる形でニューオリンズからシカゴに出てきたんだけど、この人が凄かった。
単なるいちトランペッターに留まらず、わずか10年足らずでその後のジャズの進化の方向性を決定づけるような大革新を1人でやてしまう(笑)。
何をしたかというとまずリズム。それまでジャズのリズムは2ビート中心だったのを4ビートで演奏し始めた・・・・・凄いねぇ、この時点から現在に至るまでズーッとジャズの主流は4ビートだよね。
あと、それまでも無い事はなかったんだけどアドリブソロってものをクローズアップして演奏を構成する方法をとった・・・・・これは重要で、それまで集団即興演奏が主体だったのがソロプレイを見せ場としてメインに据えたのね。
今でもバンドのメンバーが順番にアドリブでソロを取ってそれぞれの見せ場を作っていくような「ソロ回し」ってあるけど、この人が始めた事なんですな。その意味でも、後にジャズの主流となるビ・バップやそれ以降のスタイルの原点もここにあったといえる。
22年にシカゴへ出てきたサッチモは24年になるとニューヨークへも渡り、史上最初のジャズのビッグバンドだったFletcher Henderson(フレッチャー・ヘンダーソン、p,arr)楽団に加わり、1年余り後にシカゴに戻るまでにビッグバンドのアレンジメントや演奏スタイルにも大きな影響を与えた。
さらにさらに、ジャズボーカルにスキャットというスタイルを取り入れたのもこの人という・・・・・。
たった1人の天才の影響によってジャズのメインストリームは急速に流れ始める。
同時にこの20年代においては、それまでにニューオリンズのミュージシャンたちが巡演していた大都市、ニューヨークやカンサスシティでもシカゴ同様のジャズの萌芽が起こってくるのね。
ニューヨークでは前述のFletcher Henderson楽団を中心としたビッグバンド・ジャズやストライドピアノの流れが起こり、次代のジャズの主舞台となるであろう地盤を着々と整えていく。
カンサスシティでは禁酒法時代でも治外法権的に賭博や飲酒が許され、歓楽街でのショウビジネスが隆盛を極めた結果、優れたビッグバンドが数多く生まれる事になり、後にジャズの歴史を牽引していく事になる名プレイヤーやバンドリーダーが多数輩出される。
もうひとつの重要な流れとして、シカゴやニューヨークで起こってきた白人によるジャズの台頭が挙げられる。
シカゴではBix Beiderbecke(ビッグス・バイダーベック、cor,tp)を中心とした、ニューオリンズジャズを模倣しつつも白人的なクリアーで洗練されたジャズが生まれていった。
ニューヨークでは距離が遠い分ニューオリンズ派の影響が希薄で、より都会的でクールな演奏が確立されていく。
これら2派の白人ジャズは、後にシカゴ派がニューヨークへ渡る事で合流し、後述するスイングジャズや、その先のクールジャズが確立されていく足掛かりとなっていく事になる。
このような各都市でのジャズの発展の流れはそれぞれがバラバラにあったのではなく、それぞれの交流の中で起こってきた不可分なものだったのね
こうして各地の有力なミュージシャンたちが多数行き来して影響しあい、ジャズの持つ集客力、興行力、経済力が次第に高まっていく事で、20年代の終わりまで続く古き良きアーリージャズの時代を迎える事になる。
はい、ジャズの歴史第二章、いかがでしたでしょうか。
以前書いた文章の焼き直しなので手がかからなくていいや。しばらくはこの路線で楽をしようと思います(笑)。
ではでは。
こうしてジャズは産声を上げたわけだけど、実際にはその頃の奏者達は音楽以外に本業を持っていて、演奏は余暇の時間に臨時収入を得るための、いわばアルバイト的なものだったのね。
バンドを組織した黒人たちは主にパレードとか冠婚葬祭の席なんかで当地の民謡だの行進曲だの、伝統的な教会音楽だのを演奏して日銭を稼いでいたんだけど、それら以外の演奏の場としてキャバレーとかバー、ダンスホールだとかの夜の仕事も需要として大きくあったのね。
その需要に応えるために小編成での演奏が必要になってきて、3人とか4人とかのスモールコンボの草分け的形態(当時は主に3管のブラスセクションのみという編成が主流で、そこに弦楽器や鍵盤が加わる事もあった)が生まれてきたんだそうだ。飲み屋とかバーとかって狭いもんね。
それまでは既製の曲やジャンルに演奏の題材を求めていたんだけど、以降演奏する場が夜の歓楽街へと移っていくに従って演奏される音楽も歓楽街にふさわしいダンスミュージックやムーディなもの、スインギーなものに変わってきたのね。
このような変遷の中でジャズ独自の雰囲気やフレージング、奏法が築かれていったという事なんだろうか・・・・・ジャズと酒って切っても切れない縁があるんだね(笑)。
余談になるけど、この頃ニューオリンズで隆盛を極めたアーリジャズを、当地の白人達も珍しがって模倣したのね。それが現在で言うところのディキシーランド・ミュージックというわけ。
そうやって花開いたニューオリンズジャズだけど、優れたミュージシャンはニューオリンズのみに留まらず、ミシシッピー河の定期船を使って出稼ぎ的に近隣の町々に出て行くこともしばしばあって、河沿いにだんだんと北上していく。
こうやって徐々に勢力を延ばすというかテリトリーを広げていくんだけど、その頃はまだ黒人蔑視が極めて根強く横行していた事もあって、南部の一地方の民衆芸能程度に見られていたらしい。
それが中央の大都会に出て行くきっかけになったのが1917年、アメリカの第一次世界大戦参戦。ニューオリンズは軍港となり歓楽街がなりを潜めた結果、演奏する職場がなくなっちゃったわけ。
でまぁ、働く場所が無きゃしようがないってんで、ある者は別の職を探し、音楽で食べていけるほどの有力なミュージシャンたちは別の土地に演奏の場を探しに出て行く事になる。言ってみればジャズの民族大移動みたいなもんか?(笑)。この大移動によってジャズ発祥の地ニューオリンズのジャズシーンは衰退に向かっていく事になる。
で、その大移動の矛先となったのが、それまでもニューオリンズのジャズメンたちがたびたび出稼ぎに訪れていた北部の大都市シカゴ。
そのシカゴに、現在にいたるまでのジャズの方向性を決定づけるような巨匠が登場してくる。
シカゴのジャズシーンに颯爽と現れたその人こそ誰あろうLouis Armstrong(ルイ・アームストロング、tp,col)、サッチモですな。
Joe King Oliver(ジョー・キング・オリバー)っていうジャズ創成期の偉大なコルネット奏者がいて、その人に呼ばれる形でニューオリンズからシカゴに出てきたんだけど、この人が凄かった。
単なるいちトランペッターに留まらず、わずか10年足らずでその後のジャズの進化の方向性を決定づけるような大革新を1人でやてしまう(笑)。
何をしたかというとまずリズム。それまでジャズのリズムは2ビート中心だったのを4ビートで演奏し始めた・・・・・凄いねぇ、この時点から現在に至るまでズーッとジャズの主流は4ビートだよね。
あと、それまでも無い事はなかったんだけどアドリブソロってものをクローズアップして演奏を構成する方法をとった・・・・・これは重要で、それまで集団即興演奏が主体だったのがソロプレイを見せ場としてメインに据えたのね。
今でもバンドのメンバーが順番にアドリブでソロを取ってそれぞれの見せ場を作っていくような「ソロ回し」ってあるけど、この人が始めた事なんですな。その意味でも、後にジャズの主流となるビ・バップやそれ以降のスタイルの原点もここにあったといえる。
22年にシカゴへ出てきたサッチモは24年になるとニューヨークへも渡り、史上最初のジャズのビッグバンドだったFletcher Henderson(フレッチャー・ヘンダーソン、p,arr)楽団に加わり、1年余り後にシカゴに戻るまでにビッグバンドのアレンジメントや演奏スタイルにも大きな影響を与えた。
さらにさらに、ジャズボーカルにスキャットというスタイルを取り入れたのもこの人という・・・・・。
たった1人の天才の影響によってジャズのメインストリームは急速に流れ始める。
同時にこの20年代においては、それまでにニューオリンズのミュージシャンたちが巡演していた大都市、ニューヨークやカンサスシティでもシカゴ同様のジャズの萌芽が起こってくるのね。
ニューヨークでは前述のFletcher Henderson楽団を中心としたビッグバンド・ジャズやストライドピアノの流れが起こり、次代のジャズの主舞台となるであろう地盤を着々と整えていく。
カンサスシティでは禁酒法時代でも治外法権的に賭博や飲酒が許され、歓楽街でのショウビジネスが隆盛を極めた結果、優れたビッグバンドが数多く生まれる事になり、後にジャズの歴史を牽引していく事になる名プレイヤーやバンドリーダーが多数輩出される。
もうひとつの重要な流れとして、シカゴやニューヨークで起こってきた白人によるジャズの台頭が挙げられる。
シカゴではBix Beiderbecke(ビッグス・バイダーベック、cor,tp)を中心とした、ニューオリンズジャズを模倣しつつも白人的なクリアーで洗練されたジャズが生まれていった。
ニューヨークでは距離が遠い分ニューオリンズ派の影響が希薄で、より都会的でクールな演奏が確立されていく。
これら2派の白人ジャズは、後にシカゴ派がニューヨークへ渡る事で合流し、後述するスイングジャズや、その先のクールジャズが確立されていく足掛かりとなっていく事になる。
このような各都市でのジャズの発展の流れはそれぞれがバラバラにあったのではなく、それぞれの交流の中で起こってきた不可分なものだったのね
こうして各地の有力なミュージシャンたちが多数行き来して影響しあい、ジャズの持つ集客力、興行力、経済力が次第に高まっていく事で、20年代の終わりまで続く古き良きアーリージャズの時代を迎える事になる。
はい、ジャズの歴史第二章、いかがでしたでしょうか。
以前書いた文章の焼き直しなので手がかからなくていいや。しばらくはこの路線で楽をしようと思います(笑)。
ではでは。
>人間が音を音楽と感じるかノイズと感じるかは
>人の主観ではなくて楽音と言う共同主観性
>一通りの展開がすめば終わり
12平均率がある意味妥当な到達点であった事は、ほとんどの民俗音楽の音律がペンタトニックに類似したものであった事を鑑みれば、仰る通りだと思います。
本文でも、人間が勝手に設定した無作為、偶然性によってルールが出来上がってきたとは書いていません(笑)。
不思議なのは、人間が協和音程を美しいと感じるという生理を持っている事そのものですよね。これは先天的なものなのか、それとも歴史、習慣によって作られてきた感性なのか、後者であれば音楽の発展の可能性は無限であると言えますが・・・・・難しいところですね(笑)。
僕が感じるのは、僕らが生まれてから聴いてきた音楽が西洋音楽のみだったという事実が、僕らの感性を限定してしまっているのではないかという危惧です。いや、別にそれでも特に不都合はないんですけど(笑)。
その辺は昨年の12月5日と12日、今年の1月8日、11日の4回の投稿でチランと書いていて、ご覧になった方々からいくつかのコメントも頂いていますので、参照していただければと思います。
>何故クラシックで展開したことがジャズにも起きたのか?
>私は単に黒人が西洋音楽をまるで知らなかったからだと思います。
これは逆ですね。
ジャズそのものは西洋音楽、12平均率を前提にして発祥している・・・・・というより極端に言うと、黒人の持っていた5音音程の音感を無理やり12平均率に当てはめて出来上がったのがジャズであって、ジャズが誕生した最初の瞬間から西洋音楽の楽理はすでに前提として用いられていたんですね。
ジャズで常に西洋音楽の楽器が用いられており、ジャズ独自の民族楽器といったものが存在していない事、モード初期にGil EvansやMilesが各国の民俗音楽の音階を研究した事、フリー創世記にCecil Taylorらがバルトークやシェーンベルクから色濃く影響を受けている事、サードストリームにおけるガンサー・シュラーやウエストコーストにおけるダリウス・ミヨーなど、挙げると切りがないですが、西洋音楽の影響抜きでジャズは語れません。
ジャズの発展は常に西洋音楽を参照して、それに追随する形で行われてきたとまで言えると思います・・・・・って、熱心なジャズファンに怒られるでしょうか?(笑)。ジャズはジャズ独自で発展したのではなく、西洋音楽の分派、枝葉のひとつである・・・・・僕はそういう風に見ているんですね。
>音楽はまず忘れてしまわないと、白紙の状態でなくては新しいムーヴメントにはならない、
>テクノロジーの発展で記録メディアは永久に残ります
>音楽はいつまでも飽和状態のまま
記録メディアに関しては近現代に生まれたものではないですよね。
所謂テクノロジーに根ざしたものでなくても、古代から記譜法というものが厳然とあるわけで、記録する事はいつの時代も行われてきたわけです。
むしろ、記録されてきたからこそ楽理の展開、発展があったわけで・・・・・。
現在でも西洋音楽の楽理を踏まえたうえで、更なる様式を探すという試みはされています。無調性にとどまらず移動調性やセリー技法、偶然性音楽といった超前衛ですね。
これらの大部分は電子音楽やテクノロジーの利用なくしては体現する事が不可能なものが多く、その意味ではテクノロジーの進歩がもたらした前衛性といえます。
ただし、これらが新しい楽理、原理として根付くかどうかは、これはもう100年1000年経たなければ結論は出ませんから・・・・・僕らの音楽的な審美感がある日突然覆る事はありえない以上、音楽のこれ以上の発展があるかないかは歴史の経過を待たなければわからない事なのかもしれませんね。
その頃僕らは生きていないでしょうけど(笑)。
まぁそんなところです。
ではでは。
>一オクターブを十二分割にしたのはそれいじょう細かく分けても
>人には気分良くないサウンドしか得られない結果
はい、僕も音響学(楽理ではない)そのものは音自体が先天的に備えている特質であると思います。ですから、そうでないという事は本文でも述べていないですよね(笑)。
ここで言っているのは、人にとってその音響が気分が良いか悪いかというのは、人間の持つ「審美基準」(心地よいという認識)の問題で、その認識はすべての人間が「先天的に共通して」備えていて、なおかつ不変のものであるか?、という事なんですね。
「現在の音律が最も美しい」という、この認識はどこからきたのか?、では12平均律以外に美しいと感じる音律はないのか?(等分平均率であるとは限りません)、「12平均律=最も心地よい」という審美基準は、人間の側の歴史や習慣、環境による線引きなのかもしれないという事です。
>純正律は移調の問題があります
平均律が便利である事は仰る通りなのですが、すべての音楽がひとつの平均律に固定される理由はどこにあるのか?。
なぜすべての曲が自由な移調を前提に書かれるのか?。純正律のみならず、オクターブを等分していない、所謂「旋法」による音楽はなぜ切り捨てられるのか?。
当の12平均律でさえ、ひとつの調にこだわって曲が書かれるくらいなのに、なぜ移調(平均律)に固執して他の音律を用いる事を禁忌とするのか?。
別に色々な音律、旋法で書かれた曲が音楽シーンに混在してもよさそうな気がしますが、グラントさんはそれを「非」とされる。それは他の平均律、さらには旋法が、本当に「12平均律より心地よくない」からなのか?。それはどんな環境、状況においても人間の生理に対して絶対的な真理、到達点であるのか?。
すべての音楽(曲)を一つの共通原理に置く事を絶対とするのはなぜか?。
これらの問いに「利便性」以外の、もっと必然的な根拠を持った回答があるのでしょうか?。
少々くどく述べましたが、そういう事なんですね(笑)。
>音が残っているのが音楽の展開を不可能にしているんではないか?
では逆を返すと、音そのものが記録されていなければ「別の発展も有り得る」というのがグラントさんの主張になりますよね。
なのであれば、現在の楽理が音楽の発展の到達点であるというご自身の主張とは論理矛盾をきたしますが・・・・・ちょっと揚げ足じみましたか?(苦笑)。
僕がここで述べたのは、テクノロジーによって記録メディアが発展したのと同時に、テクノロジーなくしては出しえない音、出しえない旋律、なしえない演奏を可能にしたという側面があり、偏に「テクノロジー=音楽の行き詰まり」としてしまうのは短絡である、という事です。
テクノロジーに拠る音楽の実験的な側面というのは存在しています。
それは前のレスに書いたのですが・・・・・(苦笑)。
>現代音楽だけはカンニンしてーな、
>裸の王様みたいなものじゃないか?
主観的な審美基準に照らし合わせれば、僕も同感です・・・・・というか、そもそも審美基準自体が主観的なものなんですが(笑)。
ではその「カンニンしてーな」という認識は、いったいどこからきているものなのでしょうか?。これを自問してみましょう。
また逆に、現在良しとされている音楽は、いつの時代どこの風土や環境においても裸の王様にはならず、普遍的な支持を絶対的に集められるものか?、と自問してみましょう。
ご自分の審美基準が全人類の史上を通して普遍、絶対的な感性であると思いますか?(笑)。
現在の音楽が真っ当に音楽として存在できるのは、時代の審美基準がそれを許しているからなのかもしれませんよ。
人間の審美基準とは永久不変なものか?、これは間違いなく「否」です。
楽理の発展=審美基準の発展であるか?、これも必ずしも「是」とは言えない。
ここまでくると、もうこれは好奇心や探究心の問題ですね。
価値観を限定する事を良しとするかしないか、前者がグラントさんで、後者が僕である、と。
その通りですね(笑)。
その「好き嫌い」が人間の生理に根ざした先天的なものか、環境や経験によって形作られる後天的なものか・・・・・音楽や楽理は客観的な観察において定義づけられる音響学と違って、この「好き嫌い」というセンテンスが多分に含まれる。それがこの議論をある意味の抽象論に終始させているということなのでしょう。
議論するには難儀なテーマですなぁ(爆笑)。
>ここののブログの記事内容なら私の意見も
>理解されると思って書き込みしてます、
>貴方の意見に反対なのではありませんから。
誤解されているかもしれないので少々・・・・・。
僕自身はここしばらくグラントさんと交わしたような、あーでもないこーでもないという議論が基本的に好きなんですね。
熱く語るの好きなんですよ(笑)。
議論なんてものは「テメーこのヤロー!」と胸倉つかみ合うくらい熱くなって、終わったら握手、ノーサイドで乾杯!っていう、そんなものだと思ってます。
それが出来ない人は議論しない方がいい(ギャハハ)。
性格柄アツーくなって毎回長文書きますが、別にそれで感情的になったり、グラントさんに対して排他的になったりする事はありません。
>BLUE NOTE系以外は聴く耳もたず
>それを正当化する議論をするつもりは全くない
それが議論のテーマになるかどうかは別として、「BLUE NOTE至上主義の正当化」、個人的な興味としてぜひとも聞きたいところですが(笑)。
ジャズなんて聴いてる人はひと癖もふた癖もある人が多いですなぁ・・・・・って、それは僕の事か?(笑)。
>貴方はもの分かりがよいから
>全ての音楽に寛大であろうとしておられるんですね。
そんなに持ち上げていただかなくてもいいですよ。
僕は寛大でしょうか・・・・・僕にとってダメな音楽はもう決まってます。
「下手なヤツ」「表現していないヤツ」このふたつですね。
ジャズ界には比較的このタイプは少ないかなぁと思い、今日もジャズを聴いています。
なんて(笑)。
またいつでも書き込んでください。
ではでは。
ちなみにドビュッシーとサティが好きなので、僕は女々しいのが好きなのかも知れんですなぁ(笑)。
ジャズとクラシックの一番の違いは、僕はリズムにあると思っています。
音をハーモニーの側面から追求したのがクラシック、クラシックの影響を踏まえてリズム(等間隔に区切られた)の側面をベースに発展したのがジャズ、そんな風に括れると思います。
ヨーロッパのハーモニーにアフリカのリズムが持ち込まれのがジャズ、といったところでしょうか。
ハードバップをメインに聴いているのですか?。ジャズの基本というか、ハードバップまでが正当なモダンジャズで、それ以降はだんだんジャズの臭いが薄れていったようなイメージがあります。
結構僕の中では好みが分かれますね。ファンキーまで行っちゃうとちょっと、頻繁には聴かないというか疲れるというか・・・・・。
グラントさんはピアニストで言えば誰がお好きですか?。
ブルーノート一筋でハードバップとなると、Bobby Timmons、Horace Silverあたりになりますか?。リズム的にも1番ネチッとした時期ですよね。
以前のコメントでBrad Mehldauに触れられていましたが、それは少々意外な気がします。
ちなみに僕は・・・・・えーと、3人だけに絞ってしまうと月並みになってしまいますが、Chick Corea、Bill Evans、Oscar Petersonかな。他にもたくさんいますが、この3人以外はある程度出どころが知れてしまうというか・・・・・。
グラントさんはどうですか?。
「ジャズで好きなピアニストを3人挙げてください」と尋ねれば、大体その人の好きな年代や傾向がわかってくる、そんな風に感じます。
まぁピアノで演奏法を突き詰めてしまえば最終的にはPowelかEvansなんですが(笑)。