Jazzを聴こうぜBLOG版

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初心者はピアノが好き?

2006-12-31 12:12:33 | ジャズの話題
いやぁ、何か記事を書くのはひさしぶりだなぁ。まぁもう大晦日だからね。一応メインのブログであるこっちにも何か書いて、2006年の締めくくりにしたいと思う。散々放置しといてなんだけど、ある程度定期的になにか書いていかないと、僕自身だんだんブログがどーでも良くなって閉鎖なんてことにもなるかも知れないし、それはちょっと寂しいからね。
でもねぇ、内容のあることを書こうとすると、なかなかネタがないんだよね。プライベートネタだけど、僕がモットーにしているのは「ブログは感想文ではありません」だ(笑)。
まぁちょっと書いてみましょう。 

で今回は、日本のジャズファンに顕著な「ピアノ好き症候群」とでも言うかな、そういった現象について、ちょっと書いてみることにする。
なんでこんなこと言い出したかってぇと、最近知人にジャズのアルバムを定期的に貸していて、その人が判で押したようにピアノトリオばかり要求してくるからなんだ。ずっと前になんだったかの書籍で「ピアノトリオ症候群」なんて言葉を目にしたことがあるのね。「初心者はピアノが好き」とか「ピアノトリオやソロピアノの編成に拘って、そういったアルバムのみ収集する人がいる」なんてね。
そんなことあるのか?と思ってたんだけど、ああ、やっぱあんだなって。
あと面白いんだけど、このブログで公開してる「Jazzを聴こうぜ100の質問」でも設問してる『「これこそジャズのイメージだ」と感じる楽器はなんですか?』という質問を、まったくジャズを聴いたことがない人たち10人ほどに聞いてみたら、7割くらいからピアノって答えが返ってきたんだ。
なんでなんだろうね。確かにピアノって聴きやすい音色だし、なんとなく流れてても耳に障ることは少ないかもしれないんだけど、楽器それぞれに持ち味ってものがあって、ピアノでは表現できない領域だってたくさんあるのにね。

まず、ジャズ=ピアノだってイメージ、これは明らかに間違いだよね。
以前に「ジャズの歴史」でやってるんで詳しくは書かないけど、ジャズって南北戦争時代の軍楽隊の楽器を使って、黒人たちがブラスバンドを始めたのがその原型なんだから、ジャズが生まれた背景にはピアノってなかったんだ。基本的にマーチングバンドから来てる音楽であって、初期は祭事や葬送の行進曲なんかがその演奏の場だったわけ。マーチングでピアノが一緒に行進するなんてありえないでしょ(笑)。
ジャズにおいて和音を出してたのは各楽器のアンサンブルと、あとはバンジョーとかギターやなんかの弦楽器だったのね。
アメリカの黒人音楽においてのピアノってのは、南部においては18世紀末にミズーリ州あたりで広まったラグタイムピアノってのと、10年代にニューヨークで起こったラグタイムにブルースを加味したストライドピアノ、そして20年代末くらいにシカゴでアマチュアサイドで起こったブルース演奏のブギウギピアノと、ジャズとは関係の薄いところで別の流れがあったわけだ。もちろん相互に影響しあってはいたんだけれども、ピアノそのものはジャズにはあとから入ってきた外様の楽器なんだね。
この辺は気が向いたら、ジャズの歴史番外編としてでも書くかな。

ピアノって確かに凄い汎用性と、深い音色を持った楽器だと思う。クラシック音楽の粋だよね。以前にも散々書いたけど、ジャズだってクラシック音楽の末端にできた支流に過ぎないし、ジャズにおいてもピアノに相当な比重がかかるってのもよくわかる。僕も楽器の中では一番好きかな。
だけどさ、ジャズの中にも色々な音楽があって、色々な表現があって、そのために色々な楽器がとあるわけでしょ。ピアノだけって限定して聴いてしまうのは、ちょっと寂しくないかな。
ジャズって音楽は特に、演奏者と楽器との結びつきってのが強いような気がするね。
クラシック音楽の場合、まず演奏したい作品があって、そのために必要な楽器の選択があって、演奏者はその演奏の歯車のひとつになるというイメージがある。だからオーケストラでも必要ない楽器は出てこない。
これがジャズの場合、楽器はその演奏者の「声」であって、作品の歯車ではないように感じるんだよね。
演奏の題材としての曲ってのはあるけれども、ジャズは基本的に曲よりも前に演奏者があって、演奏者と不可分な楽器がある。それぞれの演奏者が集まって、それぞれの「声」を出し合って、それでどんな演奏になるか、どんな作品になるか。
「俺の声はどうだ!」ってぶつかり合って、結果としての「演奏」が生まれる。
クラシックのような、ひとつの目標に向かって整然と演奏を進行させていく完成された世界ではなくって、予定にない不慮の出来事、自己主張のぶつかり合いをいかにひとつの演奏としてまとめ上げていくかという、ドタバタ、グチャグチャ、ハチャメチャな世界がジャズだって、そんなイメージがあるんだよね。
「さあ今日は何が起こるんだ」みたいなね。
曲があって⇒楽器があって⇒演奏者がある、のではなく、演奏者があって⇒楽器があって⇒曲があるのがジャズ。
そこで「この楽器を聴く」「この楽器しか聴かない」ってのは、起こる出来事の可能性を限定しちゃってるような、そんな気がしない?。
「よし、今日もあれが起こるんだな」みたいな(笑)。
それはもうジャズリスナーとしての精神ではないんじゃないかなと・・・・・いや、飛躍しすぎかな?。
まぁ音楽の聴き方なんて自由だし、正しいも間違ってるもないんだけどね。

あらら、まとまらなくなっちゃった(笑)、
えーと最後に、面白いのが『「これこそジャズのイメージだ」と感じる楽器はなんですか?』という質問。これにネット上で答えてくれたジャズファンの人たちは、ほとんどがテナーサックスと答えてる。
これはなんでなんだろうねぇ。
テナーがシーンの中核に躍り出てくるのって、40年代以降のような気がするんだけど・・・・・面白い。

今年はこんなところでブログ納めにしようと思います。
また来年も不定期に続いていきますので、投稿の間隔が空いてしまっても、しつこく覗いてやってくださいませ。

それでは皆さん良いお年を!


2 コメント

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ピアノと箱庭 (kenyama)
2007-01-20 23:00:35
TAROさん、こんばんは。ご無沙汰しております。
日本の住宅事情から、大音量でなくても楽しめるのが、ピアノ・トリオの人気の秘密のようにも言われます。それと、小さい頃の「ピアノのお稽古挫折体験」からくるコンプレックス、あとBGMに相応しい「雰囲気」などなど、「ピアノ」をどこか身近に感じる要素の多いことは大きいと思います。
一方で、トリオにホーンを加えたカルテット以上の編成だと、とっつきにくい演奏も多く、ついつい「ピアノ」の牙城に立て篭もってしまう心情も理解できなくもありません。
そんな時は、カルテットではなく、新旧のビッグバンドに走った方が楽しいような気はします。結構素直に楽しめます。ただし、大音量向きですが.....
では。
kenyama
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>kenyamaさん (TARO)
2007-01-21 21:23:56
こんにちは、おひさしぶりです。
今年もよろしくお願いします。

ピアノトリオは確かに聴きやすいってのはありますよね。
予期しない音があまり流れてこないと言うか、なんとなく流してても耳に刺さらないアルバムも多い。
そういう聴き方もひとつだし、僕もそれ用のアルバムをキープしています。

僕はジャズは「反応を聴く音楽」だと思っているふしがあり、平均的なパウエル型ピアノトリオだと、その辺が不満なんですね。
どうしても楽器の編成に限界があると言うか・・・・・一部のズバ抜けた例を除くと、やはり物足りなく感じる。
逆にデュオの方が、コミュニケーションは緊密な気がしませんか?

ピアノトリオを否定する気はまったくないし、好きなアルバムもたくさんあるのですが、それだけしか聴かないってのは、ちょっともったいないというか・・・・・
演奏者それぞれの音をすべて聴いて、反応を聴き分ける耳ができてくれば、この「ピアノトリオ症候群」は自然と解消されるのではないかと、今は思っています。
なんでかって、僕がそうだったから(笑)
今はトリオ+ワンホーン+ギターとか、そういった中編成が一番聴き応えがあって好きですね。

音量に関しては、まあなかなか恵まれない人が多いでしょうね。
僕もなかなか(笑)
お金が欲しいなぁ・・・・・
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