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ジャズの歴史⑥”50年代の西海岸と東海岸”

2005-05-27 23:45:57 | ジャズの歴史
バップからクールへの流れへとジャズ界は飽くなき前進を続けていたかに見えるけど、40年代の終焉とともに停滞期を迎える。
バップの創始者たちは他界または大御所として創造性を枯渇させ、クールの各派に関してはバップのような横の繋がりによる一丸となったムーブメントが生まれる事なく、東海岸地域の不況も相まって各派閥へ雲散霧消する形で活気を失っていく。
バップイディオムによる急激な一大革命の後には、停滞と混沌が訪れた・・・・・・ってなとこかな。
で、明けて50年代に入ってすぐ、当時のアメリカの音楽産業に激震を与えるような出来事がふたつばかり、ほぼ同時期に起こる。
ひとつは音楽産業における、SPレコードから10インチLP盤への移行。もうひとつは50年の6月に勃発した朝鮮戦争。
これらの出来事によってジャズ界がどう動いていったのか、順を追って見ていきましょう。

朝鮮戦争による軍需産業の好況は、西海岸に大きな好景気を生み出したのね。
東海岸におけるジャズシーンの停滞と不景気は前述したけども、飯が食えなきゃしょうがないってんで、好況で仕事の受け皿がある西海岸地域へとミュージシャンたちはこぞって移動を始める。
その「仕事の受け皿」になったのがハリウッド。映画音楽のサントラ作りね。ジャズのスタンダードナンバーと映画音楽が密接なかかわりがあるのはこの時期の影響が強いという事でしょう。
ミュージシャンが集まれば演奏の舞台になるクラブやライブハウスも増えるわけで、西海岸のジャズシーンが一気に花開く事になったわけね。
これが世に言う「ウエストコーストジャズ」。
一般的にウエストコーストジャズは「西海岸の白人中心の編曲を重視した明るく健康的なジャズ」と言われてるよね。
ハリウッド周辺にスタジオミュージシャンとして職を求めれば当然読譜力、作編曲能力、ジャンルを超えたレパートリーの広さと対応力を求められる事になるわけで、そういった正規の音楽教育や一定の知的水準によって得られるであろう資質を身につけている白人のミュージシャンがウエストの中心になっていた事は事実のようね。ただ、その渦中に黒人がいなかったという事は全然ない。ウエストの「編曲を重視した明るく健康的な」というイメージもあくまで統計的なものであって、アーティストによってまったく編曲能力や読譜力がなかったり、哀愁のある雰囲気の楽曲を演奏していたりする事も稀ではなかったみたいね。
ここら辺にウエスト派を定義する上での難しさがあると思う。
上記のイメージに当てはまるアーティストを挙げる事は簡単なんだけど、著名なウエストのアーティストでもこのイメージに当てはまらない人はざらにいるんだよね。
その意味では「50年代初期に西海岸に起こったジャズの隆盛を形成した一派」というのが、雑駁ですがウエストコーストジャズの定義と言えるかもしれない。
ウエスト派の音楽の特徴は、アンサンブルの効果を重視した事。躍動的で明快なリズム。そしてテーマ、ソロ回し、テーマという形式を必ずしも踏襲せず、各ソロの間、またソロの途中にもテーマや決めのフレーズなどが盛り込まれたりと、曲の構成に複雑なアレンジを用いた、などが挙げられる。また、アドリブのスタイルはバップからクールの影響、さらには近代音楽や室内楽の影響を受けたものなど、ウエスト派の中でもあまり一定しなかった。
奏法による区分けができないというのも、ウエストのイメージを漠然としたものにしている要因のひとつでしょう。
このウエストコーストジャズは、ほんの数年であっという間に衰退していく。
原因として、スタジオワークという食うに困らない仕事を得てアーティストたちが創造意欲や革新性を失っていったとか、編曲手法の極端な導入によってジャズ本来の自由度や創造性、さらには泥臭さが殺されてしまい、結果として聴衆からの支持が得られなくなったとかって、一般的には言われているよね。
ただねぇ・・・・・ウエスト派の人でも残る人は今後のジャズシーンに残っていくし、その中には超大物も何人もいるしね・・・・・様々な要因が重なって、なおかつウエスト、イーストという地域による区分け自体あまり意味をなさないものだったので、自然に消散していったというところではないかと・・・・・。
ここでウエストの代表的な奏者を挙げようと思ったんだけど、ウエスト派自体がバップやクールのような求心的な特定の個人や一定の派閥によるムーブメントではなく、ひとつの流行とも言える散発的なものなので、ここでは控える事にする。
ただし「ウエスト独自のスタイル」と言ったものは確実に存在していて、なおかつそのウエストの中にもさらに様々な「タイプ」があり、かなり「深い」ので興味のある方は調べてみて・・・・・って、他力本願だなぁ(笑)。
なお、この「ウエスト派独自のスタイル」の形成には、「クール派」の影響も多分にあったことを補足しておきます。

さて、50年代の頭から西海岸のジャズは活況を呈していたんだけど、ジャズの根拠地たる反対側の東海岸のジャズシーンは不況に喘いでた。マイナーレーベルの温情によってみんなどうにかイーストの火を絶やさずにいるような状況で、要するに仕事にあぶれてたのね。
食えなくてヒィヒィ言ってたんだけど、そんな中でも急進的な複数のミュージシャン達は「西海岸の白人ジャズ」に対して「東海岸の本家黒人ジャズ」の巻き返しを狙って、虎視眈々と牙を研いでた。
このジャズ史上最も大きなブームを巻き起こす流れの突端はやはりこの人、Miles Davis(マイルス・デイヴィス、tp)の実験的な試みから始まる。
51年に吹き込まれた「Dig」というアルバム。そしてそのセッションの参加者だったArt Blakey(アート・ブレイキー、ds)による54年のライブ盤「A Night At Birdland Vol.1 & Vol.2」によって、東海岸の新たなるジャズの流れ「イーストコーストジャズ」が起こるのね。
「Dig」においてMilesは従来のバップの手法に加えて、ドラマーのシンバルによる微細なリズムキープ、そしてピアニストのブロックコードを単なるバッキングではなくビートを刻むように弾かせる事、これらによる「リズムの細分化」を試みたと言われてる。
この試みがそのまま受け継がれ、Blakeyの「A Night At Birdland Vol.1 & Vol.2」に繋がっていく。
「Dig」はtp、ts、asにピアノトリオを加えた3管によるセクステット、「A Night At Birdland Vol.1 & Vol.2」はtp、asにピアノトリオ2管のクインテットによる演奏なんだけど、この編成も「イースト派」のスタイル形成の大きな要素になる。
イースト派の音楽的な特徴を挙げてみると、まず前述したリズムの細分化。これによってフロントのホーンセクションのフレージングもより振り幅の激しいハードなものへと変わっていった。
次に複数管を起用した編成によってテーマ部、ソロ部のバッキングにアンサンブルの効果を求めた事。テーマ部を単純なユニゾンで終わらせるのではなくある程度決め事を作ってみたり、各人が一体となった演奏を求めた事。
さらに、10インチLP盤の採用により15分前後という長時間録音が可能になった事によって、各ソロの長尺化。長くソロを取れるという事はそれだけ「構成を考えたアドリブ」が可能になると言う事で、短時間で燃え上がるバップのアドリブよりも複雑で高度なソロプレイが展開されるようになったわけだ。
これらの新しい要素や試みによって、それまで構成が散漫で「各人のアドリブ合戦」でしかなかった楽曲を、ひとつの統一された方向性を持った「曲としてまとまった楽曲」を追求していったと言えると思う。
そして何よりも、黒人としての精神性やウエスト派への巻き返しを込めた強いバイタリティーを前面に打ち出していったジャズだと言えるでしょう。
このエネルギッシュでヴァイタルなバップの発展系は、演奏の内容に即して「ハードバップ」と呼ばれるようになる。
数年で衰退していったウエストコーストジャズに対して、ハードバップはその時点時点で様々な展開を見せ、支流、亜流とも呼べる様々な流れを生み出しながら、60年代末頃まで続くジャズの主流派になる。
日本を見ても60年代に有力なジャズメンの来日が相次いで、世界的にジャズが広まった原動力はハードバップにあったと言っても過言ではないでしょう。
この「新たなバップ革命」は後世に残る名コンボ、名バンド、そしてジャズジャイアンツと呼ばれる巨匠達を数多く生み出していく事になる。

 はい、やっぱ書ききれませんでしたね。
 ハードバップの発展と衰退までをきちんと書くと延々と書き続けてしまってメチャメチャ長くなりそうなので、今回はこの辺でやめときます。この時代は。書くべきことがたくさんありすぎて、大雑把にするのは難しいや。 次回は・・・・・どうすっかな・・・・・とりあえずハードバップがどう変遷していったか、そして亜流的にどんな流れを生み出したかは書こうと思います。
 これ以降、ハードバップのブームが終わらないうちに次のムーブメントが様々に起こってきてジャズはさらに多様化していくので、書いてるほうは気ィ狂いそうです。
 ではでは。

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
待ってましたー (saku)
2005-05-28 00:15:21
歴史のつづきはいつかと待ち続けておりました。



やっぱマイルスってすごいんですね。

演奏自体はそんなにうまくないと聞きますが、チャレンジ精神がすぎというか、天才ですね。



もし彼がいなければどうなってたんでしょうか。。。
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訂正 (saku)
2005-05-28 00:16:26
『チャレンジ精神がすごい』と書きたかったのです。

では。
返信する
>sakuさん (TARO)
2005-05-28 12:38:19
たびたびの御来訪、いたみいります。

読んでくれている人がいるんだと思うと、書くほうも力が入ります。





>やっぱマイルスってすごいんですね。

>演奏自体はそんなにうまくないと聞きますが、



クラシックの演奏のような綺麗な音を出す演奏者ではないです。きったない音出すとき、たまにありますよね(笑)。

ただ、これほど「歌ってる」演奏者はちょっと他にいないかもしれません。

彼の持っている歌心や緊張感、繊細さが見えてくると、聴き方変わりますよ。





>もし彼がいなければどうなってたんでしょうか。。。



50年代の頭くらいで、とっくにジャズは停滞していたでしょう。

彼がジャズのすべてのムーブメントを作ったとは思いませんが、いつの時代も散発的だったさまざまな流れを統合して、実際にひとつの形にしていく役割を、常に担っていたんですね。

ひらめきで何かをパッと生み出す秀才というよりは、深く深く考えて何かを模索していくような、学者肌のミュージシャンですね。

やっぱ大好きですね。
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ほほー (saku)
2005-05-28 14:00:47
マイルスは自分の中で原点という感じで、彼の演奏を聴いて本当にジャズが好きになったと思います。

と言ってもそんなに持ってないのですが、relaxin'は愛聴してます。



最近は遠ざかってますが。。。
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イメチェンですねー (saku)
2005-05-29 20:25:26
背景かえたんですねっ。

前と正反対でちょっと慣れないですが、さわやかなのでこれから夏にかけていい感じですね。



それだけです、ではー

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>sakuさん (TARO)
2005-05-29 21:43:04
こんばんはー。





>マイルスは自分の中で原点という感じ



Milesはねぇ・・・・やっぱ基本でしょうか。

この人のアルバムを集めるだけでジャズの歴史の半分以上が追えてしまうますからね。

やっぱ偉大だと思います。





>背景かえたんですねっ。



これから梅雨じゃないですか。

で、その時期にピッタリなテンプレートをと思ったのですが、出てきたイメージが「雨後の竹の子」でした(笑)。

6月中はこれでいこうと思います。

7月に入ったらまた変えようかな・・・・・・。



ではではー。
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Unknown (1917monk)
2023-01-21 01:12:12
初めまして。
もう20年近くも前のブログですので、もしかしたら投稿者様はこのコメントを見ないかもしれませんが...

私はジャズがなんとなく好きでよく聴くのですが、なんとなくでしたので、あまり歴史や創造してきた人物について詳しく知らず。

ジャズの中でも(人数が多いにしても)なぜか黒人ミュージシャンに興味をそそられる事が多く、何故だろうと調べていた際このブログに辿り着きました。

アートブレイキーの話が出てきて、高校生の時にYouTubeで見たブレイキーのA Night In Tunisiaの映像で、こんなにも楽しそうに演奏する人がいるのかと驚かされた事を思い出しました。
もしかしたら自分の中で、“心から楽しんで演奏する人たち”というのが黒人ミュージシャンという括りになっていたのかもしれません。
もちろん人種は関係ないのは承知ですが、黒人特有の内からみなぎるパッションに惹かれるのだなと思いました。

ジャズの歴史に関してここまでスッと入ってくる解説を読んだのは初めてです。
どうしても伝えたく、お話ししたかったのでコメントさせて頂きました。いつか気付いてもらえたら嬉しいな...
他の投稿も追って読んでいきたいです!
タメになる楽しいブログを書いてくださりありがとうございます!!
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