はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

最近気がついたこと

2024-01-16 17:26:07 | 病気

高校時代入院してたら

60代70代の同室の患者が

「最近さ、新聞で真っ先に読むのが死亡欄なんだよな」

「そうそう」

と、頷き合っていた。

私は

「へえ、そんなもんかいな」

と、今一つピンと来ていなかったが

最近になって、あの言葉が

心にズキンと突き刺さる。

 

 

ネットの有名人のニュースでも

突然死だのガンの話が多い...気がする。

いや、まてよ

最近特に(突然死やガンの)数が増えたということでもないんだろうから

たぶん

自分がそういうニュースに関心を抱きはじめ

ついつい視線を向ける回数が多くなっているから

すごく増えてきたような錯覚をしているのかもしれない。

 

ま、とにかく

明日は我が身

気をつけていて損することはない。

また、上記の当事者の

「あのとき、ああすれば結果は少しは変わっていたかも」

という言葉は貴重で

耳をダンボに目を皿のように注目すべきだと感じる。

自分にもいずれ参考になるかもしれない

と言ったら

イヤラシイ言い方になるが。

 

 

ところで

『江戸川不動尊唐泉寺』

をご存じだろうか。

ここは、ガン除けのご利益のある

お寺だそうだ。

住所は

江戸川区北小岩7-10-10

である。

 

 

実は...私は

 

8才(1969)から5年間

 

北小岩7-10-9

に住んでいたのだ。

えっ。

じゃアナタお寺の方?

と、問われるだろうが違います。

 

 

ここらは当時

自警会住宅という

2軒長屋の集合住宅群といえる一帯になっていた。

どんな住宅かというと

毎日、天井裏で

ネズミたちがドタバタと運動会をしている。

壁がひび割れていて

指でグリグリすると

粉を吹いて指がめり込む。

壁の中に植物の枯れたのが埋め込まれてる。

安っぽい白っぽいコンクリートみたいな瓦

木造建築というのは名ばかりで。

リンゴ箱の再利用かと見まごう板を

ミノムシのように張り付けただけの

時代劇のワンシーンで

高利貸しに踏み込まれ

病気のおとっつぁんと気立ての良い娘が暮らす

そんな住宅と言っても過言ではないボロ家である。

改修する予算が自治体や政府になかったわけじゃないだろうが

意図的に

ボロ屋にしておく必要があったのだと思う。

 

 

自警会住宅の人口はどのくらいなんだろう。

えーと。

1500人ぐらいかな。

全員が警察官およびその家族である。

ちなみに

江戸川の土手のすぐ近くだった。

江戸川堤を超えて

河川敷を見渡しながら

土手の上の道を下流方向に行くと

京成線の通る鉄橋があり

その鉄橋の下の河川敷に

『バタヤ部落』と私ら小学生が呼んでいた

ベニヤとかトタン屋根の家の集落があった。

 

いっちゃなんだけど

自動車所有率は自警会住宅よりも上かもしれない。

もちろんその中には

チリ紙交換や竿だけ屋の時に使用する商売道具の軽トラもあるが

高度成長期の終盤期の勢いもあって

普通の自家用車も数台

土手の上から眺めたりしていた。

一方、自警会住宅はめったに自家用車は見かけない。

そもそも置くスペースがない。

 

 

さて。

もしドローンが当時あって

ここらを上空から撮影したとしたら

 

『バタヤ部落』と自警会住宅の間に

江戸川堤があり

逆に後ろを振り返り、自警会住宅の背後に

一般住宅そして学校、駅、商店街が広がっている。

と。

この状況を冷徹に考えてみると

この自警会住宅というのは

バタヤ部落と一般住宅街との

『緩衝材』といったら変な表現だが

そういう役割を担わされてきたんじゃないだろか。

我々小学生は

夏休みの河川敷グラウンドでの

少年野球大会などで

交流はあったが

年配の人ではまだまだ

偏見で見る人が多かった時代だから。

したがって

その子ども、孫の世代になり

小岩~松戸あたりの

リサイクルショップやお掃除代行サービス会社

ビルメンテナンス会社などに衣替えし

当然、この部落もなくなった。

ほぼ同じころ

自警会住宅群もなくなったのだと推測される。

 

しかし

 

なぜ

 

ガン除けの寺が

私が住んでいたところにできたのかは

いまだ謎である。

 

 

 

 

 

 



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