中庸
2021-09-15 | 真理
私の生き方の指針というか目標とか基準とする事に…
中心には「全ての中に一つが在り、一つの中に全てが在る」という事が在るんですが
そこを基準にいろいろバランスを取る、中庸であるという事なんです
昨日まで「そもそも…」という話を続けていましたが
そのそもそもというところに意識を向けてその本質を知りながら、自分の概念を広げます、
自分の概念が広がり過ぎても我見失わない様に中心をしっかり持っていないといけないのでしっかり自分の指針というものがあった方が良いと思った訳です
そうしてから広い概念の中で、また、広く深い器の中で揺れ過ぎない様に陰陽の様にバランスを取っていきます
そして自分も認め他人も尊重出来るように、自分は中庸でありたいと思っています
だからこそ自分にとって嫌なものや必要のない物が無い方がそうなりやすいし、快適に過ごすためにそうしたいと思ってる
最近の、この平成や令和に生まれて来た子供達も今のこの世を生きるために生まれてきていると思うんです
でもその今の世にはまだまだ変化していると思っても昭和的な根強い昔の思考が組織とかにも残されていて少しまだ生きにくいかもしれないですね
なので、何となく若者たちが冷めていたり、政治や社会に興味も薄いかもしれない
かと思うと、何かに過度に反応したリ、何かを訴えたりしても、有耶無耶にされたり、大人の事情だとはぐらかされて来たり過ぎるので余計に冷めているのかも知れません
ある意味若者こそ、客観的にみていて、中庸で在るのかなって思ったりするときがある
私の子供達を見てても、一番親の事を冷静に観て、刺激や優しさを与えて来てくれたのかなって思うし
刺激によって気づきも得られたから今の中庸でいられるのかなと思う
時代のバランスを取るのが必要なその時代時代であって、老若男女とか、全ての人類が関わり合って影響され合ってバランスが取れ、個人の中庸が調整され保たれるのかなって思いますね
そしてその個人の意識の中庸が一つの地球のバランスもとり、宇宙の中で保たれているんでしょうね (^.^)
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