両親、そしてへその緒の絆で繋がっていた母親と生きていた時には無論子供で。
親の世界しか信じていなくて、守られていて、純粋で真っ直ぐで堂々としていた (^.^)
家から外へ出ると自信が無くて人見知りで怖がりでって感じで、
典型的な内弁慶だった (^.^)
それは親の愛に包まれていたからこその親の前だけのエゴだったんでしょうね。
まあそこから親の子育てて子供の心の基本人格は出来上がっていき、
エゴが大きくなるか、エゴが抑え込まれるかとなったりするのでしょう。
どちらかというと私は後者で、母親の世界観にハマったという感じでした
それが絶対的正義だと思い込んでたし、ある意味幸せだったんでしょう
いつしか自分が自分でなくなって行ったかもしれない。
そして学生社会に出て、母の世界観が絶対的正義だったことが自信でもあったので、その自信でエゴが出て来た事もあったけど、容姿には自信が無かったので変にちょうどバランス取れていたかも知れない。
それでも幼い時の環境で育ったというか、インナーチャイルドと言われる魂だったのか、純真さとか真っ直ぐさとか堂々としているという中心は小さくなっても残っていたんでしょうね
それは、今になっても、人生の途中を思い出しても分かる感じ (^.^)
ただ見失っていた頃があったなと。
そして結婚を機に全く別の世界観を知った
それが旦那だし、旦那の家族の世界観。
それから、母の世界観がどんどん自信と共に崩れていき、自分を完全に失った感じ (>_<)
旦那のために、子供のために、家族のためにという人生。
それにも足らなかったのか人のためにと深みにハマって行った。
そんな時には自分を観る事もせず、
知らない世界観の海に飛び込んで溺れて行った感じでもある。
知らない世界観は怖くて、不安で疑問で疑いで違和感がどんどん生まれた。
信じることが出来ない、
信頼感を持てない、
それが自分の自信のなさだったのかなと。
きっと親の世界観をぶっ壊す事でもあったから怖かったんだと思います。
でもそれは壊した先に見えてくる純真さと真っ直ぐさと堂々とした自分にもう一度出会うためだったんだろうなと (^.^)
親の世界観をぶっ壊し外の世界を知り自分の魂(インナーチャイルド)と一体化になった時やっと卒業だなと (^.^)
そうやって、外の世界へ飛び出した後に自分を知る事ができ、本当の自分を知り、自分が知らなかった世界を知り、受け止め、認め、
やっと「信じる」事が出来るんだと思ったのです (^.^)
そう思うと、子供の頃の純真さって、そのままでいれたら良かったのにとも思うけど、純真さだって、それ以外を知らないと気づけない事
だから感謝なんですよね。
人生って、長い旅ですね。
インナーチャイルドの事も自分の中に在るって知ってるのに、わざわざ封じ込めて一周してくるんだと (^^;)
人生って知っている事を知るために知る事なんですね
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