緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

宗教によって様々な価値観。

2024-10-05 | 宗教観
母親の死を迎えて宗教観の事も書き綴ってますが。
うちの実家は浄土真宗だという話をしていました。
葬儀までに4日あって、棺の横でゆっくりしていたという話をしていました。

そんな雰囲気を察したのか葬儀会館のスタッフさんが色々話してこられました (^^;)
井戸端会議の雑談です (^.^)

浄土真宗って、前から母親も言ってましたが、「門徒もの知らず」って、簡単な宗教だと言ってました。死んだら終わりだと。
そして、毎月月参りに来ているお坊さんも先祖の名前とかでお経を読んでるわけじゃないと、掛け軸のご本尊に向かって読んでるだけだと。
へぇ~そうなんだ~という感じでした。
そんなに興味なかった頃だったので (^^;)
その頃は浄土真宗が親鸞聖人だという事も知りませんでした。
まあそんな頃は釈迦もブッダも弘法大師も空海も最澄も名前だけ社会で習ったというぐらいで知らんかった (>_<)

前に従兄妹の四十九日の時に行ったお寺のお坊さん、私の家の近所の曹洞宗だったんですが、浄土真宗は死んだら終わりだという考えで四十九日を軽んじていると話していました、曹洞宗は死んでからの一週一週の四十九日を重んじるという話もして、傘餅の話もしていた。
何とお坊さんが他の宗教の事をこんな風に言うのかと何だか違和感でしかありませんでした。きっとまだ若かったから未熟なのかなって思ってしまいました。

その「門徒もの知らず」と言われていたのは、
浄土真宗の信者がひたすら波阿弥陀仏と唱えて他の事は顧みず無知だとあざけって言われていたという。

そこの葬儀社のスタッフの人はそう言われているのが残念でならないと言っていました。
そんなことは無いと。
浄土真宗は一風変わっていると言われているけど、そんな事ないんですよと (^.^)
そのスタッフの方のキャラが濃いすぎて話が半分ぐらいしか入ってこなかったので、あんまり記憶に残ってないけど (^^;)

浄土真宗は死んだら即浄土に生まれるんだと。
だから浄土へ行く道を導いたりはしないのですと。
存在を知らせ浄化する線香も要らないし、道を灯すロウソクも要らない。
浄土を旅するためのご飯も水も要らないんですと。

普通私たちが言う「戒名」も浄土真宗は「法名」と言うんですと。
戒名というのは自分を戒め、また浄土へ向かって修行するための名前であり、既に浄土に生まれているのだから自身を戒めるための戒名は要らないので「法名」なのだと。

ある意味神道の今を生きるという事と同じように私は捉えました。
今を生きて今生で浄化していくので今が大切だと、死んでから戒めても仕方ないとでも言っている感じ (^.^)
本来なら仏教も仏になるために生きると言われているのだから、死んだら即仏で良いんじゃないかと思うし、実際即身成仏とか言いますよね
仏になるために生きている間にしっかり生きろと!!

私自身も生きている間に気づき学び悟る、それで即宇宙へ戻るという感じで、肉体に執着も無いし、墓にも入らない形あるものを残さない生き方で、あとは散骨です !(^^)!

ホントそれだなと (*^^)v

うちの実家の浄土真宗のお坊さん、
お父さんから引き継ぎ今息子さんが来てくれているんですが、
凄く真面目なお坊さんで、ちょっと可笑しい個性的な、説法も少しというか説法からはかけ離れた自分の身内話が多くて落ちのない話が次々と延々と続くんです。
笑いを我慢するのが大変なんです(>_<)

というよりも、それ以上にお経の読み方がツボで仕方がない!!
気をどこかにそらさないと我慢できない。
ホントにこんな読み方なのかが気になって仕方がない!!

それが始まったのは父親の四十九日が初めでした。
そこからこの息子さんにお父さんからバトンタッチで変わったんです。
月参りには来てたけど、重要な時にはお父さんの方のお坊さんが来てました。

この四十九日の時に、本日は……と、ぼそぼそ何か言ったんです。
よく分からんかったけど、なんかこれを読みますという感じの言葉だった。
それは親鸞聖人の物語という事だったように聞こえました。
親鸞聖人の曼陀羅なのかなって勝手に解釈はしましたが間違ってるかもしれません (>_<)

それがオペラのようで声を張り上げて高らかに歌うのです。
その歌い方というのか読み方というのか、
ホント我慢できないぐらい笑いたい (>_<)
我慢していると肩が上下に震えてくる。

それは四十九日だけかなと思ってました。
なのに、今回の葬儀のお経も、初七日のお経もまじでツボってしまってどうしようもない!!

前に他の知人の浄土真宗のお葬式に行った時にはそんな事なかったのに!
良い声で、素晴らしいお経だった。
何がどう可笑しいのか、何にツボるのかが分からないけど笑ってしまう。
多分笑えばいいという事だろうとも思う
半面真面目な私は……、
何でやろう!!
お経を哲学しろって言う事なの?何かの学びなの?って聞きたいぐらい!!

そうそうネットやYouTubeでお経を流せるやろうから一度探してみようかなって思ってたんだった!!

日本では一番信仰が多いらしい。
ちょっと興味持ってみようかな !(^^)!

でも多分最初の方の、笑い飛ばすというか、お坊さんに弔いを頼む事ではないという方向だと薄々感じている!





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