緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

世界観の話……。

2023-06-03 | スピ的視点
  価値観や世界観の話をしていましたが。
世界観って色々で、人それぞれなもんだなという話でもありましたが、
人の世界観にばかり合わせる必要ないけど、
知る事は、自分の器や世界観を広げるのには必要で大切かなと思うという話でもありました。
苦手な世界観に慣れる必要はなくても知っていると体験しなくて遭遇することも無くなるので理解だけはしてると良いのではという話です。

私の場合、まあ普通にほどほどに多趣味でもあると思うのですが (^^;)
極めるという所まで行かないという。
趣味の世界に共通して必要な価値観というかそもそも必要な事に気づくと極めるまで行かなくても楽しむだけで良いかなと思ってしまったからでもあるのです (^^;)

発想力、想像力、無から有を生む力、クリエイティブ力……みたいな事に意識が行ってしまうので、何をするにもそれが無いとアカンなと思ってしまって、その潜在意識を出すことに優先順位をと考えてしまうんですよね (^^;)

人の真似するのもなぁ~とか思ってしまうのです、
真似しているうちに自分の潜在意識から産み出てくるもんだと分かっているんだけど、そう解ると冷めてしまうという (^^;)

なので何やっても長続きしないのはそういう理由かなと。
その根底に何故それをやるのか、何故?という方向に行ってしまうからなんでしょう。
それが趣味を極めないを良しとする……という私の世界観 (^.^)
そこには人の繋がりも人間観察も洞察も考察もあるのでその世界観が好きなんでしょうね。

色んな世界観を聴くのは好きなので、「ただ話す」という談話が好きです。
これは前にも話しましたね (^^;)

趣味の話だけではなくて、人間である限り大切な人生観・生命観・死生観がもっと気楽に話せたらいいのにねって思う私。
そんな話しでも色々で良いと思うけど、
知らないまま、また、話さないまま老いていく事はちょっと残念でもあります。
好きな事だけしてそんな世界観も持たないまま初老で死んでいくのもありかも知れないし、
最期病気や痛みを抱えて相殺しながらその世界観も知らないまま死んでいくもありかも知れないしとは思うのですが、

その魂はまた続きをします。
その後世に責任も持たないまま身勝手に亡くなる。
それを身勝手だと言っている私って厳しいですか?

私は自分の人生観も生命観も死生観も持っています。
いろいろ知って、見えない世界も知って、徐々に大きくしていってます。
それが大きいか、まだまだ知らない世界観があるかは死ぬまで広がるでしょうから未知ですが (^^;)

たまには人間も人間に生まれたことや、こんな世界観の話や、
真剣な話が普通にできる世界になれば良いなと思うのです。

それは平和過ぎて平和ボケだと思われるでしょうが、
まさしく世の世界で戦っている国があるというのにと思うでしょうが、
そんな時だからこそ考えないといけないし、話さないといけないなと。
人間の生まれてきた意味、生きている意味、なぜ死があるのかの意味。

先日の広島サミットの時にテレビで見かけましたが、
小学生の男の子が英語で観光に来た外国人に広島の原爆の事や戦争の事、祖父母などの体験話をしている姿でした。
その知識や情報が正解かは分からないけど、
そう話している姿と行動力が素晴らしかった……。
そんな幼い子供が英語で伝える姿を見せるだけでも大人への影響力もあるのですよね。
大人がやっていると色々偏見も持たれてしまう事でも子供がやっているから見る目も違うという。
素直な子供のやる事って直感そのものですね。
正解かは分からないけど、その中には正解もあるし、聴く人の受け取り方も違うので、何か感じてもらうという事が良いんでしょうね。

私も趣味より何より見えない世界、霊性の世界、生命観、死生観、そんな世界観を話すことが好きです。

そんな真剣な話を普通にできる世界にしたい。

現在は私の母だけが存命ですが……、
親子でもそんな人生観や生命観や死生観の話をしたことも無く、
私の話など聞く耳も持たず、友達も持たず、自分の世界に籠っているわけですが、
そもそものその世界観が違うと、その上に話も成り立たないのは明らかです。
母親の考えを否定はしませんが、その考えに私が責任持つことも出来ません。
母親の世界観で母親が言葉に責任を持っている訳でもない
出てくる言葉と言えば、痛いとか年だとか食べられへんとか駄目だとか。
覚悟ってどこにあるんやろうと思うのです。

年いったらどこか悪くなる、痛くなるのは当たり前という世界観で生きていますから、そうなるのは当たり前でしょうね、
そこから抜けようともしないし、誰からの言葉も受け入れませんし、疑問も持ちません。
その世界観が正しい時代に生きた人はもちろん我慢強くて、忍耐強くてってそこは尊敬すらもしますが、人の話を聴かないとか、人と繋がらないというのはある意味我慢が傲慢にもなります、それはエゴにもなるのです。

他の世界観がある事に気が付かない事はどうなんだろうと思った私のきっかけにもなったので、そういうことを親から子へ教え繋いでくれたんだと納得している私ですが、
意識と態度だけは気丈で、見た目や行動がうんと年老いてる母親の姿は少し苦しそうです。
そのアンバランスは少し可哀そうでもあります。

人間は年老いて肉体は衰えていくのも当然ですが、
気持ちが同時に衰えるわけでもないし、
気持ちだけがテンション高いのも気持ちも疲れます。
心の荷物を下ろしていくのも人生には必要です。
生きていく中でそのバランスを少しづつでも取って行かないといけないなと思います。
生きていく中の真剣な話、バランス取るのには必要な事ですよね (^.^)
仕事で成功するとか、お金を多く残すとか、家族がどうだとかより、
自分の人生の成功は何かと言えば、
魂をどう生きたかです。
魂は続きますから。
これも一つの世界観です (^.^)




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