寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

鶏モツと根菜の炊き合わせ

2013年11月24日 | 家飯
下処理した鶏の心臓と肝臓を酒を加えた出汁で5分ほど煮て醤油で味を調える。加熱時間を短くするのはモツが硬くなるのを防ぐため。煮汁ごと冷まし1日置くと味がよくなじむ。

別炊きしたレンコンと人参、そしてモツを器に盛る。やわらかいモツに対して旬のレンコンは歯応え抜群である。素材の食感の違いを楽しみながらお銚子を1本空けた。

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鶏肝の下処理は丁寧に行う

2013年11月24日 | 食材
鶏肝(心臓と肝臓が一緒になった状態で売られている場合が多い)は下処理さえきちんと行えば非常に美味しく食べられる部位である。下処理の重要なポイントは余分な脂と血の塊を除去することだ。モツを食べやすい大きさに切り分け(心臓は縦半分に割る)塩水で洗い血抜きする。

湯引き

湯引き2

更に癖を和らげるために湯通しする。湯引きより時間を長めにしてアクを丁寧にすくい取る。色の変わった肝を冷水でもみ洗いしておくと(血抜きは)完璧。あとは調味液で炊くだけだ。

アクを取って水洗いした鶏肝

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麺たっぷり!マヨネーズ入り焼きそば(セブンイレブンの惣菜パン)

2013年11月23日 | 家飯
セブンイレブンの売れ筋惣菜パン。焼きそばパンと聞いて思わず手をのばすのは昭和生まれ(40~50代)の性か。購入したパンを袋から取り出してレンジで1分加熱した。

麺たっぷり!マヨネーズ入り焼きそば

これでもか、という位焼きそばが挟んであるのが嬉しい。ソースの味付けは控えめで喉が乾かない点が良い。素朴な風味に微妙なアクセントを付けるのが紅ショウガとマヨネーズ。

原材料

私は辛みとコクの絶妙な混ざり具合に感動を覚えた。食べ終わるまで単調さを感じさせないひねり技に150円払うだけの価値はあると言っておこう。

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頑丈な北京鍋を愛用する男

2013年11月23日 | 日記
結婚式の引き出物として貰った頑丈な北京鍋を愛用して10年近くになる。この鍋は新潟県の株式会社青柳製作所(現・アオヤギコーポレーションは圧力鍋の製造メーカー)の製品で既に廃版だが、ネット通販ではまだ入手可能である。

先日書類の整理中に北京鍋の取扱い説明書が出てきて全く読んでいなかったことに気付き少し恥ずかしくなった。知っておきたい中華料理のポイントとして下ゆでと下炒めの仕方を分かりやすく説明していた。

調理法

野菜や魚介の湯びきではお湯に塩と少量の油を入れるのが中華料理の基本である。こうすると沸点が上がり短時間で処理できる上に食材に艶(鮮やかさ)が出る。素人が油通しをすることはまずないが、湯びきは大いに使える技なのでぜひ覚えて欲しい。

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JR福山駅構内に飾られたクリスマスツリー

2013年11月22日 | 日記
福山駅・みどりの窓口の対面にはかわいらしいクリスマスツリーが置かれている。私は駅近くのホテルでもクリスマスを意識した飾り付けを見た。駅南口増築部(福山市三之丸町)の内装工事が急ピッチで進行するのを確認した。

JR福山駅南口拡張部(うどん屋)

横断歩道側には「こだわり処 麺」という名のうどん店がオープンするようだ。大勢の人が出入りする所に飲食店ができるのはありがたい。

JR福山駅南口拡張部(和菓子屋)

この他のテナントは岡山の有名和菓子店「宗家 源吉兆庵」とJR西日本が運営するコンビニ「Heart in」である。駅周辺の飲食店は生き残りをかけて激しい競争を行うことになろう。

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笠岡市富岡の旧富岡派出所

2013年11月22日 | 
富岡の道標の対面に妓楼のような人目を引く建物が残っている。これが旧富岡派出所で立派な造りからも昔の浜街道が相当栄えていた証だ。大磯の観音堂まで帰って来た私は福山や尾道の御仕置場跡に関する文献の記述が昭和50年代に入るとめっきり少なくなることについて考えていた。その理由は某団体の圧力が極めて大きかったのではないだろうか。広島藩と福山藩の境辺りは思想的に問題のあるエリアで公立学校で露骨な偏向教育が行われてきたことで有名だ。実際学校長が執拗な嫌がらせを苦にして自死したケースが何件もあった。

大磯の観音堂の隣の家

治安維持に関して重要な任務を果たしていた仕置人や密偵をただの可哀想な者として末裔がしたりげに語るのはやはりおかしい。彼らの業績について正当に評価した上でお上から見返りとして専売特権を与えられ財をなした者もいたという事実を教えてゆく必要がある。そして世を騒がせた盗人などの首を街道筋に晒し上げて悪党どもを震え上がらせていたことも同様にだ(義民の話に焦点を当てるだけでは単なる洗脳教育であろう)。搾取するだけの権力者(藩主や代官=悪)、生活苦にあえぐ農民(=善)という時代劇並みの設定は極端すぎるのだ。福山の隣の役人村の仕事に関する記述を参考までに載せておく。

第十一節 後地村庄屋の役方心得
後地村庄屋であった石井氏の所蔵文書で、表紙には「後地村実録」とある…後地村の性格は、ほかの村とは異なることが多い。尾道町に隣接しているということ、公儀、他領の大名などの通過場所であること、郡勤番所があるために司法警察事務が多いこと、現在の長江町山奥に刑場があるので、その詳細な取扱上の注意を必要とすることなどで、他村の庄屋心得とは格別に厄介な役割りを持たされている。

『新修尾道市史(第二巻) 昭和47年8月1日発行』

浜街道から伏越遊廓跡を望む

御仕置場の近く(西方)には遊廓(跡)があるが、この組み合わせは福山でも見られた。また福山の木綿橋を尾道の世計橋に置き換えると歴史の暗部がクローズアップされる。

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笠岡市富岡の道標を見て浜街道を引き返す 

2013年11月21日 | 
浜街道沿いの墓地の一画に法界地蔵尊と宝篋印塔があった。江戸後期の石造物だが、大磯の御仕置場と関係があるのかは不明。

倉庫

浜街道から吉祥院を望む

孝藤為吉商店の倉庫を通過して吉祥院の下まで来た。時間の関係で参詣は取りやめて富岡の集落まで行くことにした。

富岡の道標

富岡郵便局の少し手前(笠岡市富岡519の北側辺り)に古い石造りの道標が建っていた。「左は玉しま をか山」と書いてあり、ここから右折して南下すると国道2号線の富岡交差点に出て道は大島(と神島方面)へと続く。私は「区切りがいい」と判断して浜街道を戻った。

富岡の道標(拡大)

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南海トラフ巨大地震発生時の被害想定で広島県福山市の犠牲者数が最多(後編)

2013年11月21日 | 日記
最初の写真は福山市箕島町のアシードブリュー株式会社本社・瀬戸内酒類工場(三吉町南2丁目から移転した三吉酒造がアシードの傘下に入った)の北東約100mの位置にある寺崎3号橋(新涯町4丁目18)から山(元は島)側を撮影したもの。この辺りは津波が発生した時には甚大な被害が出ると想像されるが、私が最も心配しているのは新涯町2丁目界隈である。

福山市新涯2丁目17

一文字堤防下(西側)の低地には高いビルもなく避難場所の設定が非常に難しい場所である。私は初夏に旧川口村の古老から一文字堤防決壊(戦時中)の話を聞くことができた。現在の曙町5丁目および新涯町1丁目からは満潮時堤防の上に船が見えたという。そして運悪く台風が満潮時に接近すると海水が堤防を越えて干拓地に流れ込み、堤防が崩れることもしばしばあったらしい。

現在の堤防は当時のものよりも相当に強固になっているが、再点検を行う必要はあるだろう。劣化損傷が見つかった部分においては早急に補強工事を行わなければならない。無駄な箱物建設よりも護岸工事や小中学校及び橋の耐震補強工事を優先的に進めるべきだ。我々は尾道市と同じ失敗をするわけにはいかないのだ。市長は県の予算の割り振りに対して会見の場で「西高東低」などと嫌味を言う前にすべきことは山のようにある。私には「西高東低」が「行政トップの知力と力量」と「民度」に思えてならない(笑)

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南海トラフ巨大地震発生時の被害想定で広島県福山市の犠牲者数が最多(前編)

2013年11月20日 | 日記
11月13日、広島県は南海トラフ巨大地震発生時の県内被害想定調査報告書を公表した。翌日の産経新聞朝刊から記事の一部を紹介しておく。

 報告書では、震源が違う地震ごとにさまざまな気象条件などを想定。各市町で被害が最大となるケースを示している。南海トラフ巨大地震で被害が最大になるのは、各市町とも「冬、深夜、風速11㍍」という条件下になった。
 市町別で最も人的被害が大きいのは福山市で、6221人が死亡し、6529人が負傷すると想定。建物被害は、全壊1万6528棟、半壊5万2004棟とした。

 死傷者のほとんどは津波によるもので、家屋損壊の多くは液状化か津波、地震の揺れが原因とされた。

私はこのニュースを当日見た時に「流石湯崎さんだ。福山市(行政)の生温い対応策にイエローカードを出したな」と思った。もう既に一部の市民(天當さんの近くの東手城町)は独自に避難場所を設定し避難時間を計測している。最も重要なのは干拓地(海抜0~1m)で便利な生活をしている人々が危機感を持つことなのだ。報告書作成に関わった土田孝広大教授の暗い顔がテレビの画面に映る度、ふと恐怖感に襲われる市民は多いことだろう。

今晩広島ホームテレビは特集を組み福山市箕島町を紹介していた。箕島はもともとは独立した島だったが、今では陸続きとなっており、その先(南東側)の広大な埋立地(工業団地)を箕沖(福山港と芦田川河口に挟まれたエリア:捨てられた飼い犬が周辺に住みつき問題となっている)と言う。津波発生の際には相当な被害が出ることは容易に想像がつく。福山駅からはおよそ10km、車での移動時間は約20~25分の所だ。市がたんまり予算を使って印刷した「広島県福山市・環境観光」というパンフレットに掲載された地図をぜひ参考にして欲しい(笑)

福山市・箕沖地区の地図

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お年玉付き年賀はがきを購入

2013年11月20日 | 日記
11月1日から発売されている年賀はがき。12月に入ると金券ショップではインクジェット紙が売り切れとなる場合が多いので少し早目に購入することにした。私の分は手書き用を揃えた。あと準備するものは筆ペンだけだ。年賀状を書き始めるのは1ヶ月後くらいだろう。

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笠岡市・大磯の船玉稲荷・筥崎八幡宮

2013年11月20日 | 
大磯の観音堂前から浜街道を更に東へ進む。大磯児童遊園地のほど近くに奉献という文字が刻まれた注連柱がある。登山道入口にあたるため柱と柱の間隔は非常に狭い。

注連柱

筥崎八幡宮

セメントで舗装された山道を登って行くと集会所のような平屋の建物が建っているが、これは地元では筥崎八幡宮と呼ばれているようだ。

船玉稲荷

八幡宮から少しばかり離れた位置に船玉稲荷がある。小さな木製の鳥居の奥に祀られているのが博打好きの海神様だ。最近私は俳優の照英さんが瀬戸内沿岸を旅する番組(NHK)を見て船玉の意味を知った。福山市鞆町の元船大工が拵えた船玉は大人の手のひらサイズの将棋の駒のような形で中に人形(神形と言った方がよかろう)やおひねり(五円玉や五穀)を収めていた。船玉を船の中に祀り漁の安全を祈願をするという話で非常にためになる番組であった。注連柱が大正四年に建立されたことを確認して街道沿い散策を続けた。

注連柱2

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落合務シェフのキッチン&トークショー(天満屋福山店8階特設会場)

2013年11月19日 | 日記
天満屋福山店(福山市元町1‐1)で11月20日(水)から26日(火)までイタリア展(7階大催場)が開催される。向こうの生ハムやワイン、ジェラートの販売も魅力的だが、「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ(東京都中央区銀座)」の料理がイートインスペースで味わえるのが最大のウリだ。

天満屋福山店

落合シェフのプロフィール

25日(月)にはオーナーシェフの落合務さんが来店し午後1時から8階でキッチン&トークショーを行う。イタリア料理に興味を持つ方はこの貴重な機会をお見逃しなく。落合さんの立派なところは料理番組などで本場の手に入りにくい材料に関しては代替原料をきちんと教えることだ。そして「素人にやる気を起こさせる」点は優れた才能だと思う。

彼の料理(万人向けのリーズナブルな価格設定が見事)は常に進化しており多くの人を魅了する。私が曲がりなりにも「大人のミートソース」を仕込めるようになったのは落合さんのおかげだ。

私流大人のミートソース

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福山市中心部は12月上旬並みの寒さ

2013年11月19日 | 日記
今朝は相当に冷え込み福山駅前を歩く人達は皆厚着をしていた。12月並みの気温に全身がズキズキする感じだ。冷たい風は県東部の地方経済にも吹き荒れている。昨日の「絵のまち館」閉鎖のニュースは備後一帯に大きな衝撃を与えた。

ビジネスニュース+@2ch掲示板には早速、【地域経済】尾道中央商店街(広島)、「自己破産」へ [11/18]というスレッドがたち、厳しい意見が目立つ。ネット住民は意外にも(支局配属の記者よりも)現実をよく見ており驚いた。67・68・69のカキコは見事に的を射ている。本筋から少し外れるが160と165も本当の話だ。興味のある方はアクセスしてみてね(スレ落ちする前に)

JR福山駅南口

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マイ包丁を砥石で研ぐ

2013年11月19日 | 日記
柳刃包丁と出刃包丁は東京築地でそれなりの値段で購入したものである。真鯛のような骨の硬い魚を捌くのに出刃を用い柳刃で刺身を引く。

包丁の手入れで最も重要なのが研ぎの工程だ。水に浸しておいた砥石の上でリズミカルに包丁を動かし均一な刃をつける。高品質の包丁を自分で研げるようになれば愛着は一層増し鮮魚店に毎週通いたくなる。

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はぶ文泉堂(福山市笠岡町4‐22)

2013年11月18日 | 備後福山・記憶に残る店
昭和40年代子ども達は鉛筆やジャポニカ学習帳を町内の文房具屋に買いに行ったものである。中には駄菓子屋やプラモデル屋を兼ねている所もあって子どもの遊び場の一つだった。本通り筋(現本通り1st)のはぶ文泉堂は正統な文具店で品揃えが豊富で城下町の人間はここで買い物をするのが普通であったと記憶する。

昭和初期の木綿橋

はぶ文泉堂の創業は戦前で昭和5年の市街地図に既に記載がある。昭和初期に撮影された木綿橋そばに店が写っている(入江はまだ埋め立てられておらず北浜の大きな電柱の背後に「はぶ文泉…」という看板が見える)。橋の欄干は金属製になっているが、大正時代の写真ではまだ木製である。橋の袂(北浜)の交番は新町遊廓に向かう男達を監視する(また遊女の逃亡を未然に防止する)目的が強かったものと思われる。

大正期の木綿橋

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