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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市の北吉津町(中)交差点中央辺りに建っていた道標

2012年03月30日 | 郷土史
備後福山10万石の城下町で育った者であれば吉津の道標を何度か目にしたことがあるだろう。北吉津町(中)交差点角に建つ古めかしい石柱(繋ぎ合わせた痕跡あり)には「従是東京大坂道 従是北石州道」という文字が刻まれている。

吉津町の道標(従是東京大坂道 従是北石州道)

桜丘学区文化財を大切にする会の説明によればかつてここは三叉路で道幅も現在の半分位だったようである。つまり道標は現在の交差点の中央辺りにあったことになる。ここから東が神辺街道、北が藪路街道(旧大峠を経て石見街道に繋がる)であることを通行人に示していた。江戸時代(から昭和の初めまで)は自動車時計博物館へ向かう道(交差点から西方向)は無かった。

吉津町の道標に関する説明(藩政時代西へ抜ける道はなく三叉路だった)

元和~元禄時代の福山城下絵図より吉津の道標辺りを拡大

昭和5年の福山市街地図より吉津の道標辺りを拡大(近くを両備軽便鉄道が走っている)

私が所有する江戸期の福山城下絵図と昭和5年の福山市街地図(緑の丸が道標、紫の丸が惣門 ※私が後から地図に色付けした)も確かに三叉路になっている。城下への(北からの)入り口である惣門が近いので周辺には不審者を見張る者が配置されていたはずだ。

北吉津町(中)交差点を北上すると上河橋がある

交差点から北は上り坂となり上井手川に上河橋が架かっているが、私にとって橋の向こうは未知の世界であった。生活する上で通る必要性がないからだ。川沿い(下)の細い道ですら行き来した回数は両手で足りる。上河橋を渡った右手が法鏡山實相寺の参道である。

上井手川に架かる上河橋から北吉津町3丁目付近(西方)を望む

實相寺の駐車場付近

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