寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県倉敷市・洗浄岩の上から高梁川を望む

2016年04月08日 | 
対岸に上陸した私は船頭さんに周辺の名所を聞いてみた。彼は少し考えたうえで「潮満岩(しおみちいわ)・洗浄岩(せんじょういわ)までは歩いて30分弱かな。上からの眺めはいいですよ。…登山道の入口近くに馬がいます」と話した。

上陸

名所案内

標識にしたがって人気のない道を進むとウグイスが盛んにさえずっていた。私の拙い鳴き真似にもすばやく対応し楽しい掛け合いがしばらく続いた。

登山道入口

船頭さんの説明は完璧で福山市営競馬場を思い出させるにおいを嗅ぐと登山道入口が見えた。「潮満岩 洗浄岩(千畳岩) 倉敷市水江財産区」の表示の他に4月17日(日)に開催される「倉敷北部全山縦走大会」の概要をまとめた紙が置かれていた。

登山道入口の表示

登山道入口の表示2

大会の集合場所が「庄パークヒルズ サークルK駐車場」だったので思わず苦笑した。賢そうな馬の走りを堪能してから山道をゆっくり歩いて行く。

引退した競走馬

石切場跡

地元の有志がポイント毎に半分に割った竹を赤く塗って進行方向を示してくれているので道に迷う心配がない。石切場跡を経て15分ほどで東展望台に到着した。

東展望台

潮満岩

洗浄岩

ここから中電の鉄塔を目印に潮満岩そして洗浄岩へと移動した。私は平たい巨岩の上に立ち倉敷の市街地と多くの人の力で流れを変えた高梁川を見下ろし春の日差しを満喫したのである。

市街地と高梁川

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山県倉敷市・廃止直前の水江の渡し

2016年04月07日 | 
倉敷大橋の袂から高梁川の河川敷へ向かう。階段を利用して土手を下る際に「倉敷市水江地先 / 河口から9km」と記された柱を見つけた。

土手の標柱

高梁川河川敷

高梁川の河口とはコンビナートで有名な水島地区を指す。河原から約100m上流まで歩いて行くと渡船場の入口がある。

渡船場入口

渡船場入口の表示

私は「通行切替えのお知らせ」に視線を移し大体の位置関係を把握した。対岸の小高い場所に船頭さんの詰所(水江渡船組合)がある。

渡船場

船頭

船頭2

手を大きく振って合図を送る(=乗船の意志を伝える)。私を迎えに来てくれたのはサングラスをかけた経験豊富な男性だった(船頭さんは二人いて日替わりの勤務体制となっている)。船に乗り込み高梁川の河川改修工事の話などを聞く。

船頭3

橋

戦前の高梁川は二股(東高梁川と西高梁川)に分かれて流れていたため度々水害が発生して地域住民を苦しめてきた。その解決策として酒津の下に新流路を造り西高梁川を本流とし強固な堤防を築いた(西高梁川の一部だった場所を堰き止めて柳井原貯水池が誕生・酒津以南の東高梁川は廃川)。

もともと陸続きだった水江地区の一部が水没し南北に分断されたために昭和2年(1927)から渡し船の運行が始まったのである。昔はリアカーまで乗せて運んだという。倉敷大橋の下まで移動して船の向きを変えた船頭さんが「戻りましょうか」と言った。私は少し沈黙した後に「せっかくなので水江の向こう側も見ていこうと思います」と答えた。

※河川改修工事の流れについてはサイト【玉島歴史館】を参照されたし(玉島近代史→第5話 高梁川の改修)。尚、どこを埋めたのかはグーグルアースの航空写真を見ると分かりやすい。

橋2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山県倉敷市・西阿知浄水場と多聞寺霊園との間に新設された道路

2016年04月06日 | 
うさぎや倉敷西店の約250m先に真新しい交差点が出来ていた。西阿知浄水場のすぐ東側に立派な道路を整備し倉敷大橋(今年1月24日に開通)と岡山県道60号をつないだのだ。

新道路

県道を左折して側道の方に入り歩いて行くと右手に墓地が広がっている。多聞寺霊園に寄るとその塀は平成26年(2014)4月建立との表示があった。

多聞寺霊園

六地蔵

私は入口付近(水江1158‐2南側)に配置された(高梁川土手向きの)六地蔵に手を合わせて側道に戻った。霊園の先でも賃貸住宅の建設が始まっていた。。

側道

側道2

古水江町内会掲示板

農地から宅地への転換の速さには驚くばかりである。土手下の近くにあった古水江町内会掲示板の貼り紙に目を通して西部用水路に沿って東へ歩いて行く。

水路

水神

古水江遊園の手前に祀られているのは水神だろうか。近所の人に3月末日で廃止される「水江の渡し」の場所を聞く。中年の女性が「遊園の裏手から土手に上がる階段がありますよ。河川敷に下りて少し歩くと渡船場の看板が出ています」と教えてくれた。

古水江遊園

大師堂

地蔵尊

裏道沿いの大きなクスノキの下に古水江大師堂などが建っていた。文化年間の刻銘がある地蔵尊の前を通過して堤防に付設された階段へと急ぐ。

土手へ上がる階段

土手へ上がる階段2

最上段からの西部用水路沿いの集落を望む時には額から汗が流れていた。強い日差しで頭が焼けそうな感じだった。

土手へ上がる階段3

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山県倉敷市・鮮Do!エブリイ西阿知店隣の工事現場

2016年04月05日 | 
広島県福山市に本社を置くエブリイ(スーパー)が岡山県倉敷市西阿知町に進出したのは平成25年(2013)11月26日である。エブリイの他にダイソー・ひまわりなどもあってコンパクトな商業施設を形成している。

工事現場

工事現場2

エブリイの隣(東側)の空き地にユンボ等が入り基礎工事に取り掛かるようであった。工事の看板は見ていないが、住宅の建設と思われる。反日おから商店(東高梁川の廃川地に建つ)へと延びる岡山県道60号沿いは新築が殆どで相当に需要があるのだろう。

コンビニ

床屋

周辺はコインランドリー・デイサービス・コンビニ・医院・激安の床屋が建ち並び、倉敷駅前まで出掛ける必要を感じない位便利なところだ。

置物

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山県道60号倉敷笠岡線・西阿知駅北交差点そばの白十字

2016年04月04日 | 
JR山陽本線・西阿知駅の北側はよくある田舎の風景が広がり2階の窓際に洗濯物を吊るしている民家もあった。昭和の雰囲気は倉敷市消防団西阿知分団車庫を過ぎると急速に薄れていった。

倉敷市消防団西阿知分団

岡山県道190号(西阿知停車場線)を北上して県道60号(倉敷笠岡線)の西阿知駅交差点に着くと町並みが一変した。整備中の新興住宅街という表現が適切であろう。

県道60号

道路標識

交差点のそばに建つ白十字西阿知店は平成24年(2012)3月8日の開店だから丸4年が経過したことになる。私は東の方角を見て宅地開発の進む西阿知が一昔前の福山市新涯町界隈とよく似ていることに気付いたのだった。

白十字

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR山陽本線・西阿知駅に到着

2016年04月03日 | 
西阿知駅の所在地は岡山県倉敷市西阿知町1049。開業は大正9年(1920)5月25日。自分がこの駅で下車することになろうとは…。

名所ガイド

西阿知駅

西阿知は大山康晴の生家でそれなりに知られているが、花莚や畳表の産地でもあった。小さな駅舎を出てすぐに敷島倉庫というレトロな建物が目に入った。

レトロ建築

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン(4月1日~6月30日)

2016年04月02日 | 
岡山県とJRが協力・連携した一大観光キャンペーンが4月から始まった。伊原木 隆太(いばらぎ りゅうた)岡山県知事の力の入れようは相当なもので湯崎氏の戦略を参考にしているのは間違いない。

岡山県知事

ふるさとおこし号

私は先月岡山県を在来線を利用して旅した。その際、ふるさとおこし号を近距離から撮影することができた。気ままなぶらり旅については少しずつ語っていくことにする(売国放送局がええ加減な旅番組を垂れ流す前にw)

ふるさとおこし号2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市城町1丁目2‐39・彦根マニアックポイントの腹痛石

2015年11月29日 | 
私は漸く忌み地巡りを完結させることができた。彦根城町郵便局から南東へ向かう途中に奇妙な石があった。場所は園田自転車商会の斜向かい、Iさん宅の塀寄り。

腹痛石

地図

暗がりで首なし地蔵のように見えたのは「腹痛石」であった。彦根見どころ散歩マップに彦根マニアックポイントとして紹介され「触るとお腹の痛くなる石。昔は巡礼の腰掛け石という名前だった。」との説明がある。

石柱

久佐の辻

本町を抜けて久左の辻まで戻って来た時には日付けが変わろうとしていた。私は宿の大浴場で凍てついた体をゆっくりと温めた。そして目を閉じて「極楽、極楽」と呟いたのだった。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬の彦根城下での肝試し

2015年11月27日 | 
カメラのバッテリーを充電して傘だけ持って彦根市城町へと出掛けた。冬の肝試しというのは結構きついものがある。彦根城町郵便局に辿り着くまで何度も道に迷い往生した。郵便局の対面に彦根藩の「牢屋跡」を示す石柱が建っていた。周辺は真っ暗で大層気味が悪い。

牢屋跡

石に大きく刻まれた「長野義言 宇津木六之丞 斬首之処」の文字。水戸のテロリストによる井伊大老暗殺から2年後、ブレインだった長野主膳義言の運命は大きく変わることになった。反主流派が藩の中枢に返り咲き先の責任を長野に被せて難を乗り切ろうとしたのである。長野に続いて宇津木景福(六之丞)も粛清の対象となった。

義言地蔵尊

牢屋があった場所は湖東山善教寺の東隣である。詳しい位置は彦根城博物館のホームページにアクセスし「彦根御城下惣絵図」をクリックして調べることが可能だ。石柱の隣に祠があり城山地蔵尊と義言地蔵尊が祀られている。長野は牢屋前で首を刎ねられたとする説が一般的だが、沼波の御仕置場である可能性を指摘する研究者もいることを付け加えておく。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市城町1丁目7‐36・湖東山善教寺

2015年11月25日 | 
コロッケは後でゆっくり食べることにして最終目的地へと歩を進めた。道路右手に真宗大谷派湖東山善教寺と刻まれた石柱が建っている。

善教寺門前

善教寺

とりあえず本堂をちらりと見て引き返した。城町1丁目は藩政時代の四十九町や下魚屋町にあたる。四十九町の通称は牢屋町だったようだが、彦根城町郵便局の前辺りに関連する史跡があると聞いてやって来たのだ。いざ写真を撮ろうという時にデジカメの電池がバッテリー切れに…。私は夜に出直すことを余儀なくされたのであった。

牢屋跡

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市城町2丁目で珍しい1灯点滅式信号機を発見

2015年11月24日 | 
長曽根町の教禅寺山門前から南東へ約200m進んだところで滋賀県道2号大津能登川長浜線と交わる。そこで私は珍しい物を見つけて驚いた。4方向1灯点滅式信号機が彦根城の近くに存在していたとは…。観光資源の一つとして地図に記載してもいいくらいだ。

地図

地図上の橙丸が信号機の位置、そして青丸が肉のアキオ(城町2丁目5‐36)である。近江鉄道・彦根口駅で下車してから歩き詰めで腹が減り、精肉店自慢のコロッケを1つ揚げてもらうことにした。

精肉店

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市長曽根町の青柳山教禅寺に分解保存されていた長曽根口御門

2015年11月23日 | 
長曽根町の白山神社から青柳山教禅寺(浄土真宗本願寺派)までは非常に近い。私は(2代目の)山門を見つめて感慨にふけった。

教禅寺本堂

初代の山門は彦根城外堀の長曽根口御門を移築したもので昭和初期まで使用された。現在の山門が完成したため昭和9年(1934)に分解され本堂の床下に保存されてきた。

当寺から少し東側にあった外堀(長曽根口)の発掘調査が3年前に行われ、元の場所に御門を復元しようという動きがあると聞いた。ぜひとも実現してほしいものだ。

伝道掲示板

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市長曽根町の白山神社

2015年11月22日 | 
乕徹(虎徹)の井戸跡のすぐ北側が白山神社である。石鳥居(※井戸から北東へ約40m)を潜ると社殿まで石畳が続いているが、参道右手に五連の朱塗り鳥居が見える。

参道

稲荷神社

社殿

社殿の脇に祀られているのは稲荷であろう。現在地に白山神社の社殿が建立されたのは明治八年(1875)ということだが、その歴史は相当前まで遡る。境内の片隅にあった記念碑の全文を書き写しておく。

白山神社
一、御祭神 菊理媛命
当社の創建年代、由緒は不詳であるが、平安末期には長曽根と云う地名が古文書にみられ、彦根の地が里根・彦根・長曽根の三根によって形成されていた時代から三根の守護神として北野寺[現北野神社]の地に白山大権現として鎮座していたが、彦根城築城の際に山頂にあった彦根寺がこの地に移され、併せ[天神さん]を勧請奉斎し、彦根寺を北野寺と改め井伊家の守護神として尊崇するようになった頃、白山権現社は取り壊されたものと考えられる。その後藩主直興により再建されたが、長曽根の大火により天満宮と共に焼失。
御祭神菊理媛の命は再建された天満宮に合祀されていたが、明治八年氏子民相計り、当時道場のあった現在地に新社殿を建立。明治十一年には、元の白山大権現社のあった北野神社の一角に社殿も建てられ、現在は御旅所としてその歴史を残している。
因みに、社霊とも云うべき神輿は、元亀二年[一五七一]信長、佐和山城攻めの折り、現甲良町池寺西明寺に神輿を移し難を逃れたと村の古書にある。
今回境内の拡張整備、石玉垣・燈籠建立を期に由緒石柱にその歴史を記すものである。
文、宮司 滝澤隆司

石碑

「次回彦根に来た時には北野神社に立ち寄ろう」と無知な旅人は心に誓い市の中心部に向かうことにした。当初の予定より1時間遅れとなってしまったが、収穫した事柄は多かった。

白山神社周辺地図

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀県彦根市長曽根町と刀工・長曽禰興里の関係

2015年11月20日 | 
私は御仕置場の跡地を巡ると決まってどっと疲れが出る。今回は特に酷いように感じた。どしゃ降りの中、湖岸道路を歩くのが本当にしんどくなっていたのだ。

湖岸道路

長曽根町民会館

長曽根町北交差点の一本手前(南)で右折して大きな長曽根町民会館に着いた。「道場」の額が掲げられた建物前には小さな祠と「乕徹の井戸」があった。乕徹(虎徹)とは江戸時代の名刀工・長曽禰興里の入道名である。興里を長曽根の生まれとする説は根強い。

元々は武具(刀剣など)製造集落だったのが、太平の世に移行するにつれて治安維持に関する任務を任されるようになったと言われている。備後福山藩も城下の外れに同様の村を2つ設置して監視の目を光らせていた。

乕徹(虎徹)の井戸

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琵琶湖東岸で佇む旅人

2015年11月19日 | 
彦根市長曽根町の湖岸道路沿いに休憩スペースが設けられている。キラキラ輝く湖面とは対照的な雨天の景色。色味の乏しい琵琶湖の畔で私は一服することにした。

湖岸

休憩スペース

きれいな水と汚い水が流れ込む滋賀の広いウミ。自然の希釈能力とは凄いものである。歴史も実は同じだ。明と暗の両面があるが、得てして人は前者のみを見ようとする。しかし、暗の部分に触れることを避けていては全体像を理解することなど何時まで経ってもできやしない。

湖岸道路

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする