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寮管理人の呟き

岡山県倉敷市・廃止直前の水江の渡し

倉敷大橋の袂から高梁川の河川敷へ向かう。階段を利用して土手を下る際に「倉敷市水江地先 / 河口から9km」と記された柱を見つけた。

土手の標柱

高梁川河川敷

高梁川の河口とはコンビナートで有名な水島地区を指す。河原から約100m上流まで歩いて行くと渡船場の入口がある。

渡船場入口

渡船場入口の表示

私は「通行切替えのお知らせ」に視線を移し大体の位置関係を把握した。対岸の小高い場所に船頭さんの詰所(水江渡船組合)がある。

渡船場

船頭

船頭2

手を大きく振って合図を送る(=乗船の意志を伝える)。私を迎えに来てくれたのはサングラスをかけた経験豊富な男性だった(船頭さんは二人いて日替わりの勤務体制となっている)。船に乗り込み高梁川の河川改修工事の話などを聞く。

船頭3

橋

戦前の高梁川は二股(東高梁川と西高梁川)に分かれて流れていたため度々水害が発生して地域住民を苦しめてきた。その解決策として酒津の下に新流路を造り西高梁川を本流とし強固な堤防を築いた(西高梁川の一部だった場所を堰き止めて柳井原貯水池が誕生・酒津以南の東高梁川は廃川)。

もともと陸続きだった水江地区の一部が水没し南北に分断されたために昭和2年(1927)から渡し船の運行が始まったのである。昔はリアカーまで乗せて運んだという。倉敷大橋の下まで移動して船の向きを変えた船頭さんが「戻りましょうか」と言った。私は少し沈黙した後に「せっかくなので水江の向こう側も見ていこうと思います」と答えた。

※河川改修工事の流れについてはサイト【玉島歴史館】を参照されたし(玉島近代史→第5話 高梁川の改修)。尚、どこを埋めたのかはグーグルアースの航空写真を見ると分かりやすい。

橋2

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