宮床集落の国道457号線沿いに「原阿佐緒記念館」がある。
正面入口は国道の裏側になっており、宮床郵便局を迂回すると綺麗に整備された石畳み道路の中程にある。
この建物は、父幸松が阿佐緒のために建てた生家をそのまま「原阿佐緒記念館」としたもので、平成2年6月に開館された。
明治のロマンを残す貴重な洋館で、少女期からの阿佐緒の愛用品や彼女の短歌、写真などを展示している。
中庭はよく整備されていて、入口右側に
「沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきく生きのさやぎを」
と彫りこんだ御影石の歌碑がある。
左側には30歳の作品
「夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも」
の木製の白い歌碑も建てられている。
原阿佐緒(1888~1969)のプロフィール
「男や社会に翻弄されながらも歌に恋に奔放無垢に生きた美貌の歌人」
明治21年(1888)6月1日黒川郡宮床村(現在の大和町宮床)生れ。本名は浅尾(あさを)。
実家は、代々宮床伊達氏(初代宗房)の家臣で、塩や麹の販売を業とし「塩屋」と号した。
宮床小学校~吉岡小学校(大和町吉岡)ー角田尋常小学校(角田市)ー吉岡尋常小学校卒業後、宮城県立高等女学校(一女高)に入学、その後肋膜炎を患い3年で中退。
明治37年(1904)上京し日本女子美術学校日本画科に入学、その後奎文女子美術学校に転校し卒業。
明治42年(1909)「女子文壇」に投稿した一首が与謝野晶子に認められて新詩社に入社。
4月から翌年6月まで宮城学院女学校(現在の宮城学院女子高等学校) で絵画を教える(現在の校章は原阿佐緒のデザイン)
大正2年(1913)「アララギ」に参加、処女作「涙痕」を出版(序文は与謝野晶子)、九条武子、柳原白蓮と共に三閏秀歌人としてその美貌と才能をうたわれる。
2度目の離婚後、大正10年(1921)の東北大学教授・石原純との恋愛がスキャンダルとなり、清算後はマネキンガール・女優・酒場のマダムなどをし歌壇に復帰しなかった。
昭和44年(1969)2月21日没
館内は、狭いスペースに阿佐緒の年賦、部屋、作品や報道記録、与謝野晶子などとの手紙などが展示されていたが撮影禁止となっている。
持ち帰ったパンフレットなどを写してみた。
定期的に「原阿佐緒記念館だより」も発行されているようだ。
これまて「恋多き女性歌人」のイメージが強かったが、「悩みも多く耐える女性であった」と思い直した訪問だった。
◆ 原阿佐緒の歌碑は野草園前や七ツ森湖畔・宮橋公園にもある。
「家毎にすももはな咲くみちのくの春べをこもり病みてひさしも」
(仙台市野草園 )
「夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも」
(七ツ森湖畔・宮橋公園)
正面入口は国道の裏側になっており、宮床郵便局を迂回すると綺麗に整備された石畳み道路の中程にある。
この建物は、父幸松が阿佐緒のために建てた生家をそのまま「原阿佐緒記念館」としたもので、平成2年6月に開館された。
明治のロマンを残す貴重な洋館で、少女期からの阿佐緒の愛用品や彼女の短歌、写真などを展示している。
中庭はよく整備されていて、入口右側に
「沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきく生きのさやぎを」
と彫りこんだ御影石の歌碑がある。
左側には30歳の作品
「夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも」
の木製の白い歌碑も建てられている。
原阿佐緒(1888~1969)のプロフィール
「男や社会に翻弄されながらも歌に恋に奔放無垢に生きた美貌の歌人」
明治21年(1888)6月1日黒川郡宮床村(現在の大和町宮床)生れ。本名は浅尾(あさを)。
実家は、代々宮床伊達氏(初代宗房)の家臣で、塩や麹の販売を業とし「塩屋」と号した。
宮床小学校~吉岡小学校(大和町吉岡)ー角田尋常小学校(角田市)ー吉岡尋常小学校卒業後、宮城県立高等女学校(一女高)に入学、その後肋膜炎を患い3年で中退。
明治37年(1904)上京し日本女子美術学校日本画科に入学、その後奎文女子美術学校に転校し卒業。
明治42年(1909)「女子文壇」に投稿した一首が与謝野晶子に認められて新詩社に入社。
4月から翌年6月まで宮城学院女学校(現在の宮城学院女子高等学校) で絵画を教える(現在の校章は原阿佐緒のデザイン)
大正2年(1913)「アララギ」に参加、処女作「涙痕」を出版(序文は与謝野晶子)、九条武子、柳原白蓮と共に三閏秀歌人としてその美貌と才能をうたわれる。
2度目の離婚後、大正10年(1921)の東北大学教授・石原純との恋愛がスキャンダルとなり、清算後はマネキンガール・女優・酒場のマダムなどをし歌壇に復帰しなかった。
昭和44年(1969)2月21日没
館内は、狭いスペースに阿佐緒の年賦、部屋、作品や報道記録、与謝野晶子などとの手紙などが展示されていたが撮影禁止となっている。
持ち帰ったパンフレットなどを写してみた。
定期的に「原阿佐緒記念館だより」も発行されているようだ。
これまて「恋多き女性歌人」のイメージが強かったが、「悩みも多く耐える女性であった」と思い直した訪問だった。
◆ 原阿佐緒の歌碑は野草園前や七ツ森湖畔・宮橋公園にもある。
「家毎にすももはな咲くみちのくの春べをこもり病みてひさしも」
(仙台市野草園 )
「夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも」
(七ツ森湖畔・宮橋公園)