白石城跡と川を挟んで500メートルほど隔てた田圃の脇に「弘安の碑」がある。「上の宿」のバス停より100メートル位左手前の田圃の中にある。

高さ1メートル位の石碑で周りに稲縄が回されていた。
表面に微かに梵字でお釈迦様を表す「バク」という文字が見え丸い石碑と並んでいた。
これは、弘安時代(1285年)に建てられた「板碑」(いたび)といわれるもので、全国各地にあるというが、「弘安の碑」はこの地域では最古の石碑だということである。

亡くなった方の追善供養とか病気回復・生活安寧などを願ったものとの市の説明書きがあった。
西田中の住吉神社から泉国際ゴルブ場に向って300メートルほど進んだ所の右側にも板碑がある。
「柿屋敷の板碑」と呼ばれている。

この板碑は、庚申供養塔や獣魂碑などと並んで泉ケ岳を背にして建てられているが、土地の整備によって移設されたものらしい。
この碑は、梵字で「ア」と書かれており、古来「眠りの神様」として子供の夜泣き封じを祈り、不眠症の人は碑面を上から下に撫で下ろして願をかけ、寝てばかりの人は撫で上げて祈願したと言われている。
設置時期は不明であるが、隣にある庚申供養塔は正徳3年(1713年)に建てられたものでした。

高さ1メートル位の石碑で周りに稲縄が回されていた。
表面に微かに梵字でお釈迦様を表す「バク」という文字が見え丸い石碑と並んでいた。
これは、弘安時代(1285年)に建てられた「板碑」(いたび)といわれるもので、全国各地にあるというが、「弘安の碑」はこの地域では最古の石碑だということである。

亡くなった方の追善供養とか病気回復・生活安寧などを願ったものとの市の説明書きがあった。
西田中の住吉神社から泉国際ゴルブ場に向って300メートルほど進んだ所の右側にも板碑がある。
「柿屋敷の板碑」と呼ばれている。

この板碑は、庚申供養塔や獣魂碑などと並んで泉ケ岳を背にして建てられているが、土地の整備によって移設されたものらしい。
この碑は、梵字で「ア」と書かれており、古来「眠りの神様」として子供の夜泣き封じを祈り、不眠症の人は碑面を上から下に撫で下ろして願をかけ、寝てばかりの人は撫で上げて祈願したと言われている。
設置時期は不明であるが、隣にある庚申供養塔は正徳3年(1713年)に建てられたものでした。