「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

中野地蔵堂(宮床・久保田)

2015年05月29日 | 日記
国道457号線を大和町方面から仙台方面に進み、コンビニ前の信号を左折して宮床町内に向い100メートル位の右側に「中野地蔵堂」がある。


 ◆道路側から見たお堂入口と全景


 ◆正面から見たお堂

入口右側に、「山神」や「湯殿山」などの石碑の後ろにこの地蔵についての説明書きがある。


 ◆石碑は嘉永2年(1849),安政4年(1857)のもの

また、左側には大和町の文化財指定の木柱もあり、地蔵堂についての概略説明が書かれている。



この地蔵堂は、享保7年(1722)仙台藩五代藩主伊達吉村の生母である宮床伊達初代宗房夫人の貞樹院松子が建立したものである。

地蔵は、国見の巌を仙台の石工に彫らせたという178センチもある大きな座像で、子育て地蔵として近隣の信仰を集めている。



地蔵が完成して、この地に運ばれる時「中野の土橋を地蔵が渡り終えた途端、土橋がどっと水中に崩れ落ちた」の逸話なども書かれている。
※「中野橋」はこの先100メートル余りのところにある。

広いお堂の中には、座像のほか両側に子安観音像と思われる石碑や小さな石像もあった。



地蔵は赤い帽子と袈裟をまとって両手を膝の上で重ねた姿をしており、仏壇には供えものや真新しい花も飾られていて現在も信仰の厚いことが感じられた。



境内の周囲には小さな地蔵や数多くの石像が建てられていた。




鎮座して以来、宮床伊達家が宵祭りから大祭まで施行していたが、明治になって競売に付され、地元の方が落札したという。