「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

館蔭の杜の中の板碑

2016年03月17日 | 日記
館蔭の杜の中には板碑がある。

全国の遺跡を網羅したホームページを見ていると、目の前の館蔭の杜に縄文遺跡やら板碑群があることを知り早速探しに出掛けてみた。

家から歩いて5分もかからない杉林の蔭の斜面にすぐにその石碑を見つけることができた。



根白石城址の中の一角にあるといった方が分かりやすい。野菜作りをしている畑の近く、城址の土手の途中にポツンと一基立っていた。



板碑(いたび)とは、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)と同じように石塔のひとつで、中世に多く使われていた石製の供養塔のことをいう。正しくは板石塔婆(いたいしとうば)というが、広く世間には板碑という名前で通用していることから多くの人は板碑の名称を使用している。
板碑の形状は、板状に加工した石材の頭部を三角形にしている。また、頭部と反対側の先は基礎といって地面に建て(刺し)やすいように尖らせている。三角形をした頭部の下には二条線と呼ばれる2本の線刻で区画を行ない、その下側に種子(しゅじ=梵字で表した主尊)や被供養者、供養年月日などを刻むエリアを設けたものが一般的な形となっている。


縦に割れているようで、針金で2か所縛ってあり、やや不鮮明であるが「キリーク」と思われる梵字が彫られていた。
「キリーク」は漢字の龍の字に似た梵字で、千手観音菩薩や阿弥陀如来を表すといわれている。
病気回復や安寧の世の中の到来を願って建てたのだろう。

袂には稲藁が敷かれ、紙垂が立てられていたので今でもどなたかがお参りをされているようだ。

西北に泉ケ岳を望む根白石城址は戦国時代の古城跡といわれていることから、この板碑も500年以上は経っているのではないだろうか。



この城址の中にはもう一か所板碑群があると紹介されているが、今日は探し当てることができなかった。

目の前にある館蔭の杜の中だ。また、ゆっくり探してみよう。