不肖Tamayan.com駄弁録

「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

帰らざる橋―近くて遠い場所にある現実

2006年01月29日 01時35分38秒 | 徒然駄弁-政治編
 修論の気分転換がてらに更新する今日この頃。
 近頃、拙者の周りでは、卒業旅行の話が実しやかに囁かれている。拙者も参加する予定のそれは、まだ行き先が決まっていない。候補の一つとして、韓国が挙がっている。今日もその話が出た。ふと、思い出した。奇しくも、韓国は、学部の卒業旅行で行った国でもある。しかし、学部の卒業旅行は、いつもの「旅行」とは勝手が違った。
 三日目、我々は、板門店を訪れた。ここは、JSA(Joint Security Area:共同警備区域)という別名がある。北緯38度線を中心とする南北朝鮮軍事境界線とその南北2km(計4km)に渡って設定されたDMZ(DeMilitarized Zone:非武装地帯)の帯の中に、周囲を無数の地雷に囲まれた一つの点がポツンと佇んでいる。それが、JSAである。その名の如く、南北朝鮮が共同で警備する区域である。DMZによって引き離された南北朝鮮両軍が、唯一軍事境界線を境に目と鼻の距離で対峙する場所でもある。こんな事情を反映してか、舗装されていないところは須らく地雷原である。その意味で、JSAは最前線である。
 ここを訪れた時、拙者は、不思議な感覚を覚えた。ツアーコンダクターに連れられ歩いたその場所は、まるで映画のセットみたいだった。道端に無造作に立っている地雷原の標識にも、リアリティが感じられない。軍事境界線上に建てられた休戦協定会議場に入っても、場内で北朝鮮領域に入っても、今ひとつ実感が沸かない。建物から半分だけ体を乗り出し、突発戦闘に備えるべく仁王立ちする韓国兵を見ても、マネキンにしか見えない。向かい側から冷たい視線を送る北朝鮮兵を見ても、客寄せパンダにしか見えない。
 南北のDMZラインからJSAに至る道の入り口には、最長でも90秒でJSAに到達するよう臨戦態勢を整えた南北の実戦部隊が、待機している。兵士達は、当直期間中、常に完全装備で待機する。故に、兵士達は、風呂に入らない。寝る時も、完全装備のままである。ガイド曰く、南側の部隊は、JSAでトラブル発生後最短38秒でJSAに到達し、そのまま交戦状態に入るという。実際、過去数回、JSA内で南北による戦闘が行なわれた。しかし、そんな話を聞いても、何も驚かなかった。
 JSAを発ってDMZを抜けた時、急に実感が沸いた。DMZを抜けた時、乗っていたバスが急に止まった。我々の警護のため同行していた拙者と同年代の韓国兵が、バスを降りた。そして、彼は携帯していた拳銃を取り出し、銃から実弾を抜いた。その時、思った。あそこは戦場だったんだ、と。
 我々にとって戦場は、テレビや映画、本の中の世界でしかない。ましてや、日本から飛行機で一時間半のところに戦場があるなど、夢想だにしない。しかし、そこに戦場があるという事実に変わりはない。韓国は、未だに朝鮮戦争休戦協定を調印していない(あくまで、休戦を政治的に認めただけである)。冷戦後、北朝鮮は、協定の無効を宣言した。国際法上も、事実上も、朝鮮半島では、戦争が続いている。これが、現実である。
 しかし、多くの日本人は、この現実に対して無頓着に過ぎる。歴史的に、朝鮮半島は、日本にとって最大の安全保障問題として存在し続けてきた。明治維新後、日本政府が朝鮮半島に力を及ぼそうとしたのも、もともとは安全保障上の脅威(清と特にロシアの南下を抑止するため)を取り除くためであった。戦後においても、朝鮮半島は、日本にとって主要な安全保障問題として存在し続けている。自衛隊を創設せしめたのは、朝鮮戦争である。日米安保条約第六条は、通称「極東条項」と呼ばれる。78年の旧ガイドラインで、米国が日本に最も強く要望したのは、日本有事ではなく、朝鮮半島有事だった。それは、99年の新ガイドラインに反映され、さらに周辺事態法へと結実した。
 にも関らず、日本では、かような動きに反対する人が多い。そして、そういう人に限って、朝鮮半島の現実が見えていない。否、見ようとしない。この手の人達は、認めない。朝鮮半島有事が、好むと好まざるに関係なく、日本有事へ波及する現実を。彼等/彼女たちは、「平和」以外の言葉を語らない。それ以上の行動を起こさない。拙者は、是非言いたい。最悪の結果を自分の目で見たくないのなら、現実を直視し方策を練れ、と。
 しかし、悲しいかな、これも一つの現実である。JSAから宿泊先へ帰る車中、二つの現実の狭間で悶々としたのを、今でも覚えている。

追伸
 添付写真は、拙者が撮影した「帰らざる橋」です。この橋の中央が、軍事境界線です。そして、左下の青い建物が韓国側、右上の灰色の建物が北朝鮮側の警備陣地です。名の由来は、ここで捕虜の交換や、朝鮮戦争等の戦死者の遺体返還を行なうところからきているとのことです。つまり、この橋を渡ればもう帰ってこないという、そのままの意味です。拙者がここを訪れた前日にも、朝鮮戦争戦死者の遺体が、この橋を通って韓国に返還されたそうです。ちなみに、映画『JSA』の舞台になったのは、この橋です。
 また、クリントンは、大統領任期中にこの橋の真ん中に立った。当時、核危機によって、朝鮮半島は「開戦前夜」と言われたほど緊迫していた状況だった。かような状況の中、前線視察名目で、クリントンは敢えてこの橋の真ん中に立った。あの状況で、あそこに立ったクリントンは何を思ったのだろうか。そして、警護のため同行した兵士達は、直前に遺書を書かされたという。
 現在、南北関係は、一応穏やかに推移している。しかし、米朝関係は、決してよいとは言えない。この一、二年で、在日米海空軍は、明らかに北を意識した編成へ改変されている。グアムにステルス戦略爆撃機が配備されたとの情報もある。日本人が安穏と日々を送る中、朝鮮半島では今もなお「静かな」戦争が行なわれている。
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