世の中には色々と難解なものが、ある。その中で、常々最も難しいのは自分自身、だと思っている。分かったようで分からない、つまるところ、何も分かっていない。そんな堂々巡りが、ひたすら続いている。そもそも、自分を理解するとはどういうことなのか、それすら上手く理解出来ていないようだ。
昔、尊敬する先輩SuZ氏から、他人が知らなくて自分だけが知っている自分、他人が知っていて自分が知らない自分、自分も他人も知らない自分がいると教えてもらった。最後の自分は誰にも理解しようがないが、最近、実のところ前者二つのギャップに躓いているのかとも思う。
昔から、自己評価と他己評価のギャップには、困惑するところがあった。認めるものも多いが、未だに納得出来ないものも多い。また、「ある程度」認めているようでやはりどこかで納得していないものも多い。実に、やっかい極まりない。
例えば、自分はもっといい加減に生きるべきとのコメントがある。他人から見ると、どうも真面目過ぎるように見えているようだ。しかしながら、言われるほど真面目ではない。結構いい加減に生きているし、自分では、それが問題だと思っている。周りを見渡せば、自分など足元に及ばぬほど真面目に生きている人は、珍しくない。
実態以上に自分が高く見られている。この手のギャップが、最も多い。一昔前までは、ただ自分の理想が高いだけなのかと思っていた。しかし、やはりそうでもないように思う。かといって、人前で自分を良く見せられるほど、器用でもない。それほど世渡りが上手ければ、苦労はしない。
とにもかくにも、自分とは、難しい。まだまだ、苦労させられそうである。
昔、尊敬する先輩SuZ氏から、他人が知らなくて自分だけが知っている自分、他人が知っていて自分が知らない自分、自分も他人も知らない自分がいると教えてもらった。最後の自分は誰にも理解しようがないが、最近、実のところ前者二つのギャップに躓いているのかとも思う。
昔から、自己評価と他己評価のギャップには、困惑するところがあった。認めるものも多いが、未だに納得出来ないものも多い。また、「ある程度」認めているようでやはりどこかで納得していないものも多い。実に、やっかい極まりない。
例えば、自分はもっといい加減に生きるべきとのコメントがある。他人から見ると、どうも真面目過ぎるように見えているようだ。しかしながら、言われるほど真面目ではない。結構いい加減に生きているし、自分では、それが問題だと思っている。周りを見渡せば、自分など足元に及ばぬほど真面目に生きている人は、珍しくない。
実態以上に自分が高く見られている。この手のギャップが、最も多い。一昔前までは、ただ自分の理想が高いだけなのかと思っていた。しかし、やはりそうでもないように思う。かといって、人前で自分を良く見せられるほど、器用でもない。それほど世渡りが上手ければ、苦労はしない。
とにもかくにも、自分とは、難しい。まだまだ、苦労させられそうである。
さりげなく、Blog引越しました。
Tamayanを見習ってもう少し張り切っていきます。
こっちに来るときは連絡してくださいね。
どっかの誰かみたいに、
突然電話してきて「今、京都にいるんだけど」
みたいなのはやめてね(笑)
仮に自分のことはいい加減でも他人の事に全力を尽くす人はそうはいないと思うで。これに関しては、Tamayanのいうどんなに真面目な人でもTamayanには勝てないと俺は思う。
それを活かしていったらいいのでは?
コメントの内容は、よく人に言われるんよ。ただ、そこにギャップを感じるんよね。 他人からは全力のように見えても、俺の中では常に消化不良というか、まだやれるはずやのにやってないという罪悪感みたいなものがあるんよね。
そんなこんなで、他人から感謝されると、むしろ罪悪感だけが増すんやわ。
とにもかくにも、懊悩の境地やわ。