ケイシロウとトークアバウト

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トンだ片想い😵

2021-01-03 21:29:00 | 日記




この話は、
俺がコトがあったそのときに、
キヨ様から聞き、
今度は、
この前、
レフティ本人から聞いた。
相手方がレフティのコトがあったときの写真をインスタに出した報復として、
レフティからの依頼で、
暴露記事というカタチで、
ここに紹介する。

時は五年前。

レフティ13歳。
相手方オンナはクラスメートのリカ。
リカはキヨ様ゆずりの二枚目レフティが大好き💕
やけど、
オンナ心は、
好きなオトコの子には、
意地悪く現れる。

ある日レフティが、
次の科目なんだっけと校内で呟いてたら、
リカが来て、
「理科よ。理科室であるのよ」と薄ら笑いしながら言った。
レフティは笑顔で「サンク👍」。
そのまま理科室に行った。
リカはニヤリ😼として、
心の内に、
「本当は音楽なのよ。音楽室であるのよ。レフティ、怒られていいザマ」と嘲った。
そして、
リカは、
余裕で音楽室に入って、
ガク(愕)😱が入った!
着席していた、
隣クラスの女子から、
「あんた、次は理科のはずよ」と言われた。

リカはめげずに、
もっともっとレフティを苦しめてやれと思い、
理科室前の廊下を通っていたレフティの背後から現れ、
持ってたカバンで、
理科室の窓を叩き割った!
ちょうどそこに、
どちらも女性の、
校長と教頭が来て、
「誰が窓を割ったの⁉️」と怒鳴って来た。
リカはレフティを睨み、
「レフティよ」と言った。
レフティはリカの視線にひるんで、
「ごめんなさい」と謝った。

と、
いきなり理科室のドアが開き、
担当の男性教師が這いながら現れ、
「ガス漏れして、気が遠くなりそうでした。レフティありがとう」と言った。
校長も教頭も凄まじくレフティをほめたので、
リカはたまらずに、
「窓を割ったのはあたしです」と言ったが、
みんなからせせら笑い対応受けた。

ついに、
ガチガチガチにキレたリカは、
放課後の理科室でクラスメートをみんな呼び出して、
レフティとの決着を要求した。

ルールは、
目隠しして、
理科室外の側にある木に飛び移るというもので、
怖かったらしなくていいというチキンゲームやった。
本当はしたくなかったと述懐したレフティやったけど、
みんなの手前、
臆病やと思われたくないので、
目隠しした。
そして、
理科室の窓辺に上がって、
木の方向へジャンプしたが、
落ちてしまった😱😱

ニヤリとしていたリカの耳に、
校長と教頭の声が聞こえる。
「レフティ。保健室の新しいベッドで遊ばないで❗️」、と。
怪訝に思ったリカが窓辺から下を見下ろすと、
大きなベッド🛏の上にレフティがふざけていた。
リカは不愉快やったけど、
自分が、
キメれば、
レフティに恥をかかせることが出来ると考え、
目隠しして、
「飛びます!飛びます!飛びます!」と叫んで、
窓辺から木にジャンプして、
枝にしがみついた。

大きな声援が上がったが、
枝が折れそうになったので、
どうせ下にはベッドがあると思い込んだリカは、
手を離した。
が、
その時点では、
ベッドは室内に、
運び込まれていた。

救急車で運ばれたリカは、
全身打撲の全治2ヶ月と診断され、
レフティを含むクラスメートが見舞いに来たときには、
全身包帯のミイラ女と化して、
ただ、
「飛びます!飛びます!飛びます!」と、
うわごとカマしていたという。

タミヨとレフティは、
二年生になって、
離れ離れ。
そして、
この状態は、
今に至る!

(なお、インスタに勝手にレフティの写真を貼ったタミヨは、削除とともに、キヨ様方のH家に、お詫び佐賀牛を送っている。その時のすき焼きした話は、近い内に、ブログ公開しよう👍)


戦場のハッピーニューイヤー

2021-01-03 00:57:00 | 日記




今から28年前のアメリカで、
悪質な不動産投資の餌食にされて、
有り金のほとんどを失った男が、
ガチギレした😡‼️
アメリカなんかにいたくないという心の叫びの中で、
男は、
外国での新しい生活を選択することにした。

とは言っても、
外国もピンキリ。
出来れば、
ヨーロッパがいいと思っていた矢先、
ボスニア紛争が落ち着く気配が見えた、
やから、
サラエボに、
新天地を求めることにした。

男は、
腰の後ろに指をクロスさせて(偽証の意味)
必ず返すという借金を親戚一同に求め、
借りた金で、
ボスニアのサラエボに来て、
家を建てた。
アメリカ人やという冷ややかな現地人の眼差しの元、
男は、
「俺は祖国アメリカから爆撃された」と悔しそうに語った。

男のボスニア紛争に対しての甘さが、
翌翌年の、
NATOの8月と11月空爆をもって、
表された。
サラエボ周辺のアメリカ軍の攻撃でも、
誤爆のひとつふたつは起こる。
しかも、
クラスター爆弾使ってるから、
男にすれば、
心臓バクバクもんやった。

が、
なんとか持ちこたえて、
1995年の元旦。
この日、
ジミー・カーター元大統領による呼びかけで、
停戦が実現。

男は喜んで、
家の近くの街かどで、
うれしそうに、
「ハッピーニューイヤー‼️」と叫んだ!
その時、
誤爆したクラスター爆弾のひとつが、
男の家を爆破した😱‼️

ボスニア紛争は、
春に再び激化して、
また、
NATOの空爆を得て、
終戦へと向かう。

ボスニア紛争は終わったが、
男の心の紛争は、
終わらなかった。
男は心に呟いたという。
「アメリカに爆撃されたというのは言葉のあややったのに、ホンマに爆撃するやつがあるか⁉️」、
と。