
今から28年前のアメリカで、
悪質な不動産投資の餌食にされて、
有り金のほとんどを失った男が、
ガチギレした😡‼️
アメリカなんかにいたくないという心の叫びの中で、
男は、
外国での新しい生活を選択することにした。
とは言っても、
外国もピンキリ。
出来れば、
ヨーロッパがいいと思っていた矢先、
ボスニア紛争が落ち着く気配が見えた、
やから、
サラエボに、
新天地を求めることにした。
男は、
腰の後ろに指をクロスさせて(偽証の意味)
必ず返すという借金を親戚一同に求め、
借りた金で、
ボスニアのサラエボに来て、
家を建てた。
アメリカ人やという冷ややかな現地人の眼差しの元、
男は、
「俺は祖国アメリカから爆撃された」と悔しそうに語った。
男のボスニア紛争に対しての甘さが、
翌翌年の、
NATOの8月と11月空爆をもって、
表された。
サラエボ周辺のアメリカ軍の攻撃でも、
誤爆のひとつふたつは起こる。
しかも、
クラスター爆弾使ってるから、
男にすれば、
心臓バクバクもんやった。
が、
なんとか持ちこたえて、
1995年の元旦。
この日、
ジミー・カーター元大統領による呼びかけで、
停戦が実現。
男は喜んで、
家の近くの街かどで、
うれしそうに、
「ハッピーニューイヤー‼️」と叫んだ!
その時、
誤爆したクラスター爆弾のひとつが、
男の家を爆破した😱‼️
ボスニア紛争は、
春に再び激化して、
また、
NATOの空爆を得て、
終戦へと向かう。
ボスニア紛争は終わったが、
男の心の紛争は、
終わらなかった。
男は心に呟いたという。
「アメリカに爆撃されたというのは言葉のあややったのに、ホンマに爆撃するやつがあるか⁉️」、
と。
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