勘違いしている人が多いだろうから、そこだけは吠えておこうと思います
宮崎駿監督はスタジオジブリっぽい映画を作りたくて10年の時を経て作品を発表したわけではありません
監督は今生きている宮崎駿を表現したかったのです。当たり前ですが
宮崎駿=スタジオジブリではない事を大前提に視座をあげてみてください
きっと大部分の酷評は自分たちの知っているジブリ映画じゃないから失敗作だと烙印を押すのでしょう
ディズニーじゃないんだから、100年前と同じ綺麗で絵空事のファンタジーなんかやってられるわけないじゃないですか!30年前の自分と寸分違わぬ貴方でいられますか?そうだとしたら怖いですよね。そんな人魅力的でしょうか
いつまでもラピュタやトトロの宮崎駿ではないのです。成長とか退化とかではなく刻々と死に向かって生きているひとりの作家なのです
わたくしはこの最新作を大変好意的に受け止めました
主人公は飛ばないし巨悪と戦うこともありませんが、監督の死生観をより鮮明に感じることができたので興味深い作品となりました。地獄から天に昇る夥しいワタワタは人になるのだと言うのに、いくつかの命はペリカンに食われてしまいます。全部が生きて天に届くわけじゃないのです・・・知っているけど惨い描写でした
大叔父は過去を守るため未来を犠牲にしろと迫ります。監督自らの老いを自覚しているんでしょうか。所謂老害って奴に対する怯えのようなものも感じました。監督だけじゃなく、鈴木Pやスタジオジブリそのものの閉塞感にも通ずる気がします
死せるまで安定しない積木を積む孤独感に耐えられなくなったのかも知れません
少年は新しくお母さんになる人(空襲で亡くなった本当のお母さんの妹って言うのが時代の隔世を感じる)が連れ去られた異世界を訪れ、アオサギや少女の頃の本当のお母さん(少女の頃神隠しにあったと伏線が張られていた)達とラビリンスを彷徨うことになります
確かにその動機は不明瞭だし、かつての宮崎作品のようなデフォルメされたアクションシーンはありませんので、大方の人はガッカリするのでしょう
わたくしが感心したのは神隠しにあってた少女の頃のお母さんと一緒に、新しくお母さんになる人(少女からすれば妹)を現世界に連れ戻そうとする感性(アイデア)でした。今の若いクリエイターには想像もつかないでしょう
わたくしの祖父母も同じような関係でした。男女は逆ですが、祖母にあてがわれたのは連れ合いだった人の弟(わたくしの祖父)でした。だからわたくしの父親と父親の姉二人は種違いの姉弟です
昔はそんなことが珍しくもなく血縁を成していたんですね。宮崎駿というよりも時代を象徴する設定なのでしょう
少年と少女の頃のお母さんは違う扉から現世界に戻ります。別れ際少女は言います「貴方のお母さんになれるのが楽しみ」
泣きました
少年はやっと亡くなったお母さんを送ることができ、新しいお母さんを迎える踏ん切りがつけられます
自分の生きる世界は自分が積み立てた思いと行動で作られていくのですね
「君たちはどう生きるか?」と老境の宮崎駿監督に問われました
還暦過ぎたわたくしにもまだ答えは出せません
多分こうやって考えることが生きることだろと思うのです
今日もご飯食べてビール飲んで汗かきながら生きていきましょう
事前情報はなるべく仕入れないようにして映画は観ますが、完全にシャットアウトするのは無理です。この作品の凄いのは初日観るまで物語はおろかキャストまで漏れていなかったことです
よっぽど特徴あれば別でしょうが、声だけで声優を当てるのはわたくしには無理です。ラストクレジットを観るまで想像もつきませんでした
あいみょん
AIMであるわたくしは本当にビックリでした
後で調べてみれば、ちょい役じゃなくて重要な少女の頃のお母さん(ヒミという役)じゃないですか!思い返せばあいみょんの中低音の声が蘇ってきます
ファンクラブ会員用のメッセージにこれが最初で最後と書かれていますが、とても立派に声優できていましたので撤回してもらいたいものです
宮崎駿監督、これが遺作にならないことを願います
どうかもう一作
やっと、ジブリではなく自分の映画が作れましたことにお祝い申し上げます