つい最近、今村夏子著「むらさきのスカートの女」を読んだばかり。芥川賞受賞作品にそれ程の価値を見出してはいないけど、ありがちな小難しさがなく面白かった。著者の経歴をみると作家としてはまだ駆け出しと言っていいキャリアなのに、書く小説ほとんどが名だたる文芸賞を受賞している。多分才能なんてそういうことなんだろうけど、子供のころから作家になりたくてずっと努力している人達には辛い現実だ。
この映画の原作は読んでないけどきっと面白いだろうから、図書館で出会えたら読んでみようと思う。
芦田愛菜ちゃんか・・・テレビドラマ「Mother」でみせた健気な少女は中学生の制服が似合う聡明なお姉さんになった。優等生イメージを役柄の中でどのように壊してゆくかがこれからの課題だろうけど、しばらくは今までの様に普通の町に生きている普通の女の子のままでいいかな。
新興宗教に嵌まった家族が描かれている。父親も母親も傍から見ればイッチャッテル。緑のジャージを着て夜な夜な頭に置いたタオルに水を掛け合う夫婦は、娘の同級生の男の子が河童と比喩したのも頷ける奇行だと思う。それでも信心なんてイワシの頭から始まるものならば、人それぞれだし、それこそ信じる者は救われるのだ。この家族に馴染めなかった長女は家を出て距離を置くけど、愛菜ちゃん演じる次女は葛藤しながらも宗教の合同集会にも参加するし友達ともうまく付き合っている。
両親の信心に巻き込まれながらも自分の立ち位置を推し量るだけの器量をもった賢い子は、愛菜ちゃんのイメージ通りだからそんなに特別な家庭の話には思えないのも計算されたキャスティングかもしれない。
仄かに恋心を抱いた教師から冷たい批難を受けたり、家出した姉は音信不通で心配ではあるが、彼女の生活は淡々と営まれてゆく。合同集会の夜、冬の冴えわたる夜空に流れ星を見つけあう親子三人の姿は、どこにでもある家族の姿だ。
この先も両親は粗末な食事を気にもせず高価な聖水を買い頭に掛け合うのだろう。長女に生まれた孫を抱く時が来るのか分からない。次女もいつかこの家を出て自活するとき、やっぱりこの家庭で育ったことを愛おしく思うのだろうか。
ホント、人それぞれだ。