たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

渋民「斎藤家」の啄木歌碑

2011-08-05 | 啄木歌碑
啄木は節子と結婚し、盛岡の新婚の家で3週間、市内の加賀野での生活、合わせて9ヶ月経った後、盛岡を離れ渋民村での生活が始まった。その家が斎藤家です。
盛岡から国道4号線を北上すると渋民の街に入り道路の右側に愛宕神社がある。そこから100mほど進むと道路の右側に現在の斎藤家があり、道路沿いに啄木歌碑が建立している。この歌碑は、昭和29年5月、新東宝映画「雲は天才である」の映画監督中川信夫が寄贈したものです。

 






かにかくに渋民村は戀しかり
思いでの山
思い出の川 

石川啄木


この歌は、一握の砂「煙二」に掲載された。




啄木記念館敷地にある旧斎藤家(改修前)



啄木は、明治39年3月より、翌40年5月まで渋民の斎藤家の2階に寄寓していた。この間啄木は渋民小学校の代用教員をしていた。
斎藤家は1970年に記念館敷地に移転され、移転後40年目の昨年、改修され、現在は綺麗になっています。



改修された斎藤家



啄木が間借り住んだといわれる二階への階段







啄木記念館敷地に並ぶ渋民小学校と斎藤家



渋民尋常高等小学校は明治17年10月に渋民村字渋民の・愛宕神社の下に、造られた。  啄木は明治24年この学校に入学 して4年間勉学し、その後明治39年 4月から一年間、日本一の代用教員として教鞭をとった思い出の校舎である。 昭和42年7月、現在地に 移し復元した。



渋民尋常高等小学校の教室








啄木は故郷渋民で小学校の代用教員として、斎藤家で1年2ヶ月過ごした後、北海道に渡り、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした。ここが故郷での最後の住家でした。