たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡の旧町名(葺手町)

2011-08-26 | ぶらり盛岡
(14)葺手町(ふきでちょう)

ふきでちょう、またはふくでちょうと呼ばれる。この町名は,屋根葺職人が住む町であったことに由来。初め屋根葺町と呼ばれたが,明暦元年(1655)年に葺手町と改められた。その後,葛(くず)右衛門町や吹手町とも呼ばれた。葛右衛門とは藩の屋根葺棟梁で,盛岡では茅葺き屋根を葛屋根と呼んだ。なお,藩が町家に初めて瓦葺を許可したのは,寛保元(1741)年であった。葺手町の東裏は外堀が通り,堀の向かいには藩庁の走り使いをする小者の住む小人町(こびとちょう)があった。

葺手町と紺屋町との間に斗米山(とっこべやま)という大石があり,古くはこの辺りを斗米といった。紺屋町から当町へ出る横町を愛染(あいぜん)横町と称した。町人や牛馬曳きは現岩手銀行中ノ橋支店前にあった高札場「札(ふだ)の辻(つじ)」を敬遠してここを通ったという。

葺手町から紺屋町に出る横道を愛染横町といい,地内に愛染明王像を有する宝林山愛染院に由来する名前で,明王像は後に愛染院が廃寺となってから斗米山(とまいさん)長福院に移された。古謡に「斗米寅子(とっこべとらこ)に,馬場松子(ばばまつこ),石間亀子(いしあいかめこ)に騙されな」と詠われ,宮沢賢治作品『とっこべとら子』の舞台になっている。



葺手町の旧町名由来の案内板






葺手町通り




長福院(葺手町の不動明王)





長福院の右側にある「斗米稲荷」




盛岡信用金庫とその脇の愛染(あいぜん)横町




愛染(あいぜん)横町





長福院の斜め向かいにある葺手町の三明院





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啄木の盛岡中学時代の歌

  鞍壺(くらつぼ)に桜かつ散る森の下道塔(あららぎ)高く月出でにけり 
 
≪盛岡中学校校友会雑誌第3号 明治35年3月≫ 「白蘋」名で7首 (その4)

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