(14)葺手町(ふきでちょう)
ふきでちょう、またはふくでちょうと呼ばれる。この町名は,屋根葺職人が住む町であったことに由来。初め屋根葺町と呼ばれたが,明暦元年(1655)年に葺手町と改められた。その後,葛(くず)右衛門町や吹手町とも呼ばれた。葛右衛門とは藩の屋根葺棟梁で,盛岡では茅葺き屋根を葛屋根と呼んだ。なお,藩が町家に初めて瓦葺を許可したのは,寛保元(1741)年であった。葺手町の東裏は外堀が通り,堀の向かいには藩庁の走り使いをする小者の住む小人町(こびとちょう)があった。
葺手町と紺屋町との間に斗米山(とっこべやま)という大石があり,古くはこの辺りを斗米といった。紺屋町から当町へ出る横町を愛染(あいぜん)横町と称した。町人や牛馬曳きは現岩手銀行中ノ橋支店前にあった高札場「札(ふだ)の辻(つじ)」を敬遠してここを通ったという。
葺手町から紺屋町に出る横道を愛染横町といい,地内に愛染明王像を有する宝林山愛染院に由来する名前で,明王像は後に愛染院が廃寺となってから斗米山(とまいさん)長福院に移された。古謡に「斗米寅子(とっこべとらこ)に,馬場松子(ばばまつこ),石間亀子(いしあいかめこ)に騙されな」と詠われ,宮沢賢治作品『とっこべとら子』の舞台になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/29/50a194119ab4723497bebf5bd6ebe78f.jpg)
葺手町の旧町名由来の案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e9/c6355e3a7deb9cd9e19ce17823d50123.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ee/0451c4601e79386b586e50c1f70256ff.jpg)
葺手町通り
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a1/057b30a1d03bbc87e6008f5f454fc007.jpg)
長福院(葺手町の不動明王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d1/b97efd94ab380e20a818a40e58a2dd4b.jpg)
長福院の右側にある「斗米稲荷」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b5/5fcce5cfd3dcea233bc63cb23deb1968.jpg)
盛岡信用金庫とその脇の愛染(あいぜん)横町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c5/28f2ab001d9ad65fd177428e6839e31e.jpg)
愛染(あいぜん)横町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/05/bd244b4f2579c1f2b1dc9f0cbe565f6e.jpg)
長福院の斜め向かいにある葺手町の三明院
ふきでちょう、またはふくでちょうと呼ばれる。この町名は,屋根葺職人が住む町であったことに由来。初め屋根葺町と呼ばれたが,明暦元年(1655)年に葺手町と改められた。その後,葛(くず)右衛門町や吹手町とも呼ばれた。葛右衛門とは藩の屋根葺棟梁で,盛岡では茅葺き屋根を葛屋根と呼んだ。なお,藩が町家に初めて瓦葺を許可したのは,寛保元(1741)年であった。葺手町の東裏は外堀が通り,堀の向かいには藩庁の走り使いをする小者の住む小人町(こびとちょう)があった。
葺手町と紺屋町との間に斗米山(とっこべやま)という大石があり,古くはこの辺りを斗米といった。紺屋町から当町へ出る横町を愛染(あいぜん)横町と称した。町人や牛馬曳きは現岩手銀行中ノ橋支店前にあった高札場「札(ふだ)の辻(つじ)」を敬遠してここを通ったという。
葺手町から紺屋町に出る横道を愛染横町といい,地内に愛染明王像を有する宝林山愛染院に由来する名前で,明王像は後に愛染院が廃寺となってから斗米山(とまいさん)長福院に移された。古謡に「斗米寅子(とっこべとらこ)に,馬場松子(ばばまつこ),石間亀子(いしあいかめこ)に騙されな」と詠われ,宮沢賢治作品『とっこべとら子』の舞台になっている。
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葺手町の旧町名由来の案内板
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葺手町通り
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長福院(葺手町の不動明王)
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長福院の右側にある「斗米稲荷」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b5/5fcce5cfd3dcea233bc63cb23deb1968.jpg)
盛岡信用金庫とその脇の愛染(あいぜん)横町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c5/28f2ab001d9ad65fd177428e6839e31e.jpg)
愛染(あいぜん)横町
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長福院の斜め向かいにある葺手町の三明院
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啄木の盛岡中学時代の歌
鞍壺(くらつぼ)に桜かつ散る森の下道塔(あららぎ)高く月出でにけり
≪盛岡中学校校友会雑誌第3号 明治35年3月≫ 「白蘋」名で7首 (その4)
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啄木の盛岡中学時代の歌
鞍壺(くらつぼ)に桜かつ散る森の下道塔(あららぎ)高く月出でにけり
≪盛岡中学校校友会雑誌第3号 明治35年3月≫ 「白蘋」名で7首 (その4)
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