たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡三十三観音(第二十一番 龍谷寺)

2012-10-21 | ぶらり盛岡
第二十一番 龍谷寺  櫻川観音  盛岡市名須川町 

龍谷寺は盛岡地方裁判所と岩手銀行の間の通りを県営野球場の方に進むと歩いて5分ほどで着きます。龍谷寺には、櫻川観音が安置されています。



龍谷寺山門




櫻川観音は龍谷寺の本堂に安置されております。この観音様は、言い伝えによると、一人の 僧侶が観音様を背に今宵の宿を求めていましたが日も暮れてしまい、櫻川の木陰に宿をとりました。夜更けに盗賊らしき者がいきなり刀を抜いて斬りかかりました。その時この観音様がピカリと輝いたので、賊はあわててその光を目当てに斬りつけたところ、その刀はポッキリと折れ、賊は恐れ逃げ去りました。僧侶が観音様を見ると観音像の左腕は肩のところから切り取られていました。この観音様は、その後、この地に建てられた龍谷寺に祀られ、櫻川観音と呼ばれ、多くの人々の信仰を集めました。現在、観音様は往時のままのお姿で微笑んでおられます。










龍谷寺は、啄木の父一禎が師の葛原對月に従い修業したお寺でもあります。父一禎は、ここで對月の妹カツと知り合い、後に結婚しております。







次の歌は、啄木が明治37年1月8日、龍谷寺での盟友阿部修一郎の姉梅子の葬儀に参列した時の挽歌です。


大天(おほあめ)の御座(みざ)に生(あ)れます美霊(うまだま)の面影と見る香のくゆらし。
                   (阿部梅子の君が霊前に)

啄木


この歌は、岩手日報(明治37年1月10日)に載っている。


啄木は阿部修一郎とは心を許しあった中でしたが、啄木の友人知己への金銭上の不義理や言動、生活振りに憤慨したユニオン会は、会の総意として絶交を決め、修一郎が啄木と直接会い、それを宣告している。次の歌は、このことを歌ったものです。



その後に我を捨てし友も あの頃はともに書読み ともに遊びき

啄木


この歌は、一握の砂(煙一)、学生(明治44年2月号)に載っている。


龍谷寺には国の天然記念物である“しだれ桜”があり、季節になるとが咲き誇っています。



 
















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