たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡の旧町名(山岸町)

2011-10-10 | ぶらり盛岡

(28) 山岸町(やまぎしちょう)・御弓町(おゆみちょう)

江戸後期の文化9年(1812)には盛岡城下の町人・職人街を「丁」の字を使い、23町から28丁となって発展し、明治時代にいたっています。今回は28番目の山岸丁(町)です。

山岸町は国道四号線の東側になり、国道四号から入るとすぐに愛宕町の盛岡市中央公民館、さらに進むと岩手銀行山岸支店があり、銀行の駐車場に山岸町の旧町名由来の看板がある。


 
岩手銀行前の旧町名案内板







中央公民館前バス停  この先が山岸町です




山岸町は野田街道沿いにできた町で,文化9(1812)年に山岸丁となった。山岸町の先には,寛文9(1669)年に御弓組が新規に召抱えられ,足軽同心町の御弓町ができた。枡形(ますがた)があり,盛岡城下北東口の警備の関門であった。
山岸真綿の産地で養蚕業の盛んだったことは,同町の阿弥陀堂跡地に遺されてある文政5(1822)年建立の蚕供養塔が物語る。
山岸町は,遠く閉伊地方から海産物,塩,鉄を牛馬で運んで来る「塩の道」「鉄の道」と呼ばれた野田街道筋の町として栄えた。
宝珠盛岡山永福寺は,盛岡城から東北の鬼門に当たる南部家の祈願寺で,盛岡五箇寺の1つであった。秋の八幡宮例大祭には山岸獅子踊が神輿行列の露払い役を担っている。永福寺はJR山田線の山岸駅の線路を挟んだ前にある。なお、盛岡五ヶ寺とは、永福寺、聖寿寺、東禅寺、報恩寺、教淨寺を指す。





永福寺








盛岡中央公民館は、現在愛宕町ですが、旧町名では「下小路」で、町人街と山岸町を結ぶ長い通りでした。




公民館の池と愛宕山




公民館の茶室・白芳庵









岩手山の初冠雪

盛岡地方気象台は平成23年10月2日朝、岩手山の初冠雪を観測したと発表した。平年より11日、去年より25日早い観測です。





岩手山の初冠雪(10月5日) 





********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌

  枝にふれて、うせぬる風のゆくへしらに 迷ふて落つる袖の葉か。森。
 
≪盛岡中学校校友会雑誌 第3号(明治35年12月)≫ 「白蘋」名で9首 (その6)

**********************************************************************







最新の画像もっと見る