たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡三十三観音(第十六番 天昌寺)

2012-08-28 | ぶらり盛岡
第十六番 天昌寺   聖観音   盛岡市天昌寺町
巌鷲山天昌寺は15番の浅草観音堂から北上沿いに上流側に進むと五差路の信号があるので、左折すると2kmほどで到達する。右折すると舘坂橋です。国道4号線からはNHK前の交差点を曲がり、岩手大学工学部前を通過し、館坂橋をわたり秋田方向に進んでいくと館坂橋から300mほどのところです。天昌寺山門に行くには、次の信号を左折することになります。この辺は前九年の役で有名な厨川柵があったところです。源頼朝が平泉の藤原氏を討伐し北に攻め込み厨川の柵に至り戦功により工藤氏を岩手郡の地頭職に任じ、加えて巌鷲山の大宮司を命じた。その後、工藤氏は姓を栗谷川氏と改め南部氏に仕えたが、南部氏もこの聖観音を崇敬したといわれている。聖観音は本堂内に安置されています。





天昌寺山門











天昌寺裏の厨川柵の案内板





天昌寺のあるこの地は古くから、厨川柵跡の有力な候補地の一つとして知られるが、安倍氏の柵跡については、今のところ不明のようです。盛岡市教育委員会は天昌寺裏に厨川柵の案内板を立て、この地を厨川柵の「擬定地」と指定している。天昌寺は安倍氏が厨川柵に祀っていた祈願所が発祥と言われている。現在は前九年の役で敗れた安倍氏一族の菩提を弔っています。




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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡から)

  雲消えし澱みの底の水いかに紅(あけ)なる色の影もあらずや。

 小林茂雄宛 明治35年7月20日 於白蘋閣 白玉楼認 で2首(その2)

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