この歌碑は岩手県八幡平市平舘新山にあり、盛岡から国道282号線を北上して行くと平舘公民館前のバス停があるので、その先の信号を左折すると左側に平舘高校があり、高校から50mほど進むと左側にこの歌碑がある。昭和39年12月に建立された。
この歌は、、雑誌「スバル」(明治43年11月号)に発表、一握の砂「煙二」に掲載されている。
秀子は明治37年4月平館小学校教師として勤務し、一禎の生家の隣に下宿していた。後に渋民小学校に転任し、ここで啄木と親しくなった。啄木が故郷渋民を去り、函館に向かう前夜、秀子を訪れ、田圃で鳴く蛙の声を一緒に聞いたときの歌といわれている。
5月の中ころになると、歌碑の近くに、一本の木から三色の花が咲く梅の木?があります。
かの家の
かの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ
啄木
かの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ
啄木
この歌は、、雑誌「スバル」(明治43年11月号)に発表、一握の砂「煙二」に掲載されている。
秀子は明治37年4月平館小学校教師として勤務し、一禎の生家の隣に下宿していた。後に渋民小学校に転任し、ここで啄木と親しくなった。啄木が故郷渋民を去り、函館に向かう前夜、秀子を訪れ、田圃で鳴く蛙の声を一緒に聞いたときの歌といわれている。
5月の中ころになると、歌碑の近くに、一本の木から三色の花が咲く梅の木?があります。