、小沢官房長官、支持率危険水域でも、支持をしてる人達の為に鳩山総理と反小沢分子の大幅改造を断行して新発進し直せ

マイナス思考げ危機感ゼロ党内でケンカしてる暇あるかそんなバカ閣僚は即解任し仕事する若手と交代させ、一致団結選挙に突進。

最後、レベッカと周平の別れの場面で、おたがいに

2009-11-24 20:01:53 | 大半の国民は他人に任せで我欲ばかり

                       アディオスぼくの友達を読んで
   小学部四年 N.A
                                  
 最後、レベッカと周平の別れの場面で、おたがいにアディオス(さようなら)の言葉は、本当は、君と友達になれてよかったという意味がこめられていると思った。別れるのは悲しいけど君のことは忘れない、きっと、また会えるさと言う気持ちのアディオスだと思った。

 なぜ、周平とレベッカは、友達になれたのだろうか。あんなにレベッカのことが気に入らなかったのに。浅見先生や亜美の母親の話を聞いてレベッカのことをわかろうという気持ちになったのだろう。だけど、二人が急に親しくなったのは、テストの時に、レベッカがノートにアンデスの山の草や花をもくもくと書いていて、周平がそれにきょうみを持って話しかけたことが、一番の大きなきっかけだと思う。

 体によい薬草をたくさん日本に伝えるために薬剤師になりたいという夢やキューバのチェゲバラをそんけいしているという話をきいて、周平はレベッカの本当の強さがわかったのだ。

 「どうして?あたし、あたし、あたしっていっちゃいけないの?あたしは世界じゅうでたった一人なんだよ。どうしてたいせつにしなくちゃいけないの。」 と言ったレベッカは、ただ、わがままで言っているわけでは、ないのだ。教室でみんなの前で、こんなことを言う子どもは、日本人にはいないだろう。もし、いたとしても、中屋君が言うように、いじめられてしまうだろう。

 もうひとつ、ぼくが、心に残っていることは、レベッカが「日本人は、なんでも『みんなで』、『みんなで』を言う。」という言葉だ。ぼくも『みんなで』をよく使う。この言葉は、便利だし、自分にとっては、安全だからだ。しかし、よく考えてみると一人、二人しか言っていないのに『みんなで』と言う言い方は、たしかにおかしい。ぼくも、人のことを言う前に、まず、自分のことを考えるようにしたい。

 新町祭りが始まった。周平にとって、この町での最後の祭りだったが亜美やレベッカのことを考えてみこしをかつがなかった。どうしてかは、「この祭りはずっと続くし、来年、この町に残る杉橋や中屋たち、みんながみこしをかつげるようにしてくれる。」と思ったからだ。周平は、人の気持ちをわかろうとするようになって、男らしくなったと思う。

 この本は、おたがいに認め合える友達ができるすばらしさを教えてくれた。
ぼくには、おたがいに認め合えるような友達は、いるのだろうか。
 これから、いろいろなことにきょうみを持ち、いろいろな人との出会いを大切にしながら、周平とレベッカのようなずっと続く友達を作りたい


 (N・Aくんの読書感想文「アディオスぼくの友だちを読んで」は、赤城養護学校(本校は、前橋市にあります。)の小学部代表として、前橋市の小学校読書感想文審査会へ、出品されました。その後、前橋市の代表として、群馬県の小学校読書感想文審査会へ、出品され、みごと入選をはたしました。)



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