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書生てっぺーのザレゴト紀行

書生から社会人へ変わってしまったてっぺーのブログ

十代最後の日。

2006年05月21日 20時02分42秒 | コトバ
最初に言っておきますが、この文章は2度目の文章です。1度目の文章は、書き終わる寸前になぜか知りませんけど消えてなくなってしまいました。だからいまはかなりブルーです…それで、文章も多少簡略化されると思います。。。もうあの文章を再現することは不可能ですし、やりたくもないので…

今日は「頑張る」ってことを考えてみたいと思います。最近この言葉を口にする人が減っているような気がします。多分介護などで疲れてる人に「頑張れ」って言うのが忍びないからではないでしょうか?しかし、僕はこの言葉好きです。ただ次の定義を僕は「頑張る」に与えたいと思います。「自分の意思で、自分自身が定めた目標に最大限の努力をして、目標達成に向けて勤しむ。」こんな感じですかね。大事なことは「自分の意思」が伴うことです。この定義に従えば、僕も介護などで疲れている人に対しては「頑張れ」は使いません(もちろん自分の意思で介護している人は除きますよ)。僕は頑張ることが好きです。頑張って目標達成したときの喜びって、なんとなくやってしたときよりはるかに大きいですからね。いや、比べ物にならないですよ。それに頑張ってると往々にして、新たな地平線を発見できるんですよ。つまり自分の今までの限界を突き破ることです。前へ前へ進む、それも終わりなき道を。でも進み続ける。そうしてると、もうやめられなくなる。限界を突き破って新たな自分に出会えるからです。そうすると、世界を見る目も変わってくる。たとえば、僕は中学生のころ10時間の勉強なんか全く考えられなかった。でも今はその限界突き破って毎日のように10時間勉強している。そうすると、10時間も勉強している人間を「頭のいい人で努力家な人だ」と思っていた認識も変わるわけです。つまり頑張るということは、自分自身と本気で向き合い、対話することだと思うんですよ。で、自分自身を良い方向へと変える。それが頑張ることの真意ではないかと僕は考えています。一度頑張って新たな自分に出会えた人は、ほかのことに対しても頑張れるんです。これは僕自身もそうですが、最近すごい人と話したり、聞いたりして気づいたことです。でも、頑張らない人は何事にも頑張らない。それは自分が変われる事を知らないからです。人間誰だって今より良くなりたいと思っているはずです。でも頑張らない人は「思うだけ」、つまりそうなるためになにもしないんですよ。頑張る人は実践する。この違いはとてつもなく大きいと思う。
 僕が20代の僕に対して一言メッセージを送るとすれば「頑張れ!!」、この言葉だと思います。理由は上記の通りです。それに頑張ることは僕は美徳だと思いますしね。頑張ることがかっこ悪いとされていた時代に僕は育ったような気がします。でも、今の僕は頑張ることはすごくかっこいいことだと心から思いますよ。
 明日からの自分は今まで以上に頑張ってかっこよく生きたいです。次の十年間頑張って生きていこう。そして十代の僕に、「頑張ったよ」って胸を張って言えるようにしたい。これが僕の二十代の大きな目標です。

2回目

2005年09月21日 21時41分33秒 | コトバ
昨日夢がどうのこうのって話したんで今日はウォルトディズニーの言葉を紹介します
If you can dream it,you can do it.
夢見ることが出来れば、それを叶えられるのである。
僕なりの解釈加えて意訳すれば…
僕らは夢を抱いて夢を見続けることが出来るのなら、それはもはや叶えられぬ夢ではなく叶えられる夢になるのである。
ってもはや意訳ではないですよね
解釈の世界すらも通り越してますね
こんなのテストで書いたら間違いなくても×ですね
まあこれはテストではないので大目に見てください
確かに夢があれば頑張ろうっても思えますしね
そもそも僕らが本当に頑張れるときは夢というものを叶えよう、手に入れようって思うからかもしれませんね
でもその夢は多分私利私欲のためでは良くないと思うんですね。
ご存じの通りウォルトディズニーは人々に夢(アニメ)を伝えるために尽力した人物ですよね
そんな彼が作ったアニメはほぼ世界中に広まっていきました。
彼は大きな夢を叶えたんですね
僕は彼のような大きな夢はありませんが、僕は僕なりの夢を見続け叶えていきたいと、この言葉を思い出すたびに思うんですよね

新カテゴリー開設

2005年09月08日 20時40分39秒 | コトバ
作ってみました新カテゴリー
題してコトバ
このカテゴリーでは僕の好きな言葉を紹介したいと思います
記念すべき1回目は…ジョン・デューイという哲学者の言葉です。
In the philosophy of John Dewey,a sharp distinction is made between “intelligence” and “reasoning.”According to Dewey,intelligence is the only absolute way to achieve a balance between realism and idealism, between practicality and wisdom of life.
Intelligence involves “interacting with other things and knowing them,”while reasoning is merely the act of an observer,“...a mind that beholds or grasps objects outside the world of things...”
With reasoning, a level of mental certainty can be achieved, but it is through intelligence that control is taken of events that shape one's life.
日本語訳はジョン・デューイの哲学では、「知性」と「理性」のあいだに、はっきりとした区別がなされている。
デューイによれば、知性は、現実主義と観念主義、すなわち実用性と人生の叡智のバランスをとる唯一絶対の方法である。
知性は「他者と交わって、他者を知ること」を伴うが、理性は単なる傍観者、すなわち「…現実世界の外に身を置いて、対象を観察し、把握する人…」の行為にすぎない。
理性をもって、ある程度の精神的確実性は達成されようが、知性を通してこそ、人生を形成するさまざまな出来事をコントロールすることができるのである。
です
長かった
書く前に気づいて日本語だけにしとけばよかった(笑)
デューイは僕たちに“intelligence”であれって言うんですね
僕らは他者(学問などもですよ)と上辺だけで触れ合ってるんではないのか?
僕らはこちら側が変わらざるを得ないようなそういう交わり方をしているのか?
ほんと考えさせられます
この言葉と出会ってからは、僕はなるべく歴史や読書などにおいてこの人はなぜこのようなことをしたのか?などなど考えています
そうすると、ほんの少しですが自分の世界が変わったような気がするんです
大学行ってからはもっともっとデューイのような知の巨人たちと呼ばれるような人たちと交わっていきたいです
それではこの辺で
…疲れた