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自然災害 仕組みとアプローチ -  大坂の陣 長期篭城戦の危険性

2016-11-03 23:53:25 | 地震 津波
 大坂の陣で豊臣方は篭城して長期化した場合は家康がその内に寿命になると期待した向きもあったようです。
 長期化しても武器兵糧の補給がもし可能、かつ徳川方の持つ射程距離の長い大砲が仮に無かったならば、それは或いは有効化なのか?と言うと、必ずしもそうとは言えない面もあるかと思います。
 大地震などそう発生はしないかとは思いますが、篭城戦が数年とかの長期になった場合は、大きめの地震も想定しなければならないのではないでしょうか。
 大地震の場合、城郭の被害にどのようなものがあるか、について考えて見ると、結構多くて、例えば城門や城の内部の扉が閉まらない、或いは開かないと言う状況になった場合、城攻めをして来る敵方を防ぐ事、或いは城から攻撃に出る事が困難になる事が想定される事、そしてそれを修理しようとした所を城攻めする側から狙われるなども有り得るわけですが、他にも屋根瓦の損壊により落下で危険になったり、雨漏りが始まったりと様々な支障が出て来るものと思われます。
 そしてこうした建物の損壊よりも更に問題なのは、水の確保ではないでしょうか。
 仮に地震で井戸が枯れたり、水質が悪化して飲めなくなった、或いは水路が損傷したなどと言う場合は、特に城内に多くの兵がいた場合は数日内に影響が出て来ると見られるのですが、大阪城ではどうなのでしょう。

引用開始(一部抜粋)

http://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi/1505.html
豊臣石垣コラム
「金明水」井戸と「銀水」井戸の調査

徳川期大坂城本丸には5基、山里丸には2基の井戸がありました。国立国会図書館所蔵の『大坂築城丁場割図』を見ますと、本丸中・東部に4基(図1-①〜④)と、数奇屋櫓の前(図1-⑤)に井戸が描かれています。この中で最も有名な井戸は小天守台の中にある「金明水」井戸(図1-①)でしょう。

引用終了

 これは大坂の陣の少し後なのかも知れませんが、大坂の陣の頃も大体こんな感じだったのかと思います。
 このエリアは水が豊富であり、多少の地震でも井戸が枯れる事はあまり無いかと考えられます。
 ですが、標高が低い事などから、地震の規模や性質、場所によっては、井戸水に海水が混じってしまうのかどうか、と言う所かも知れません。
 当時は海水淡化装置などありませんでしたから、水が無くなってしまう事になります。
 仮に水質の悪化程度であっても、それを煮沸するには多くの薪が必要なわけで、これをどうするつもりだったのでしょう。
 井戸や水路に影響するような地震はめったに無いのかも知れませんが、天正地震以降、大地震が多発していた当時ではそうした可能性も想定して篭城戦を考えなければいけなかったのではないでしょうか。


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