くない鑑

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男女3人伊勢物語-「苦難の北畠家」編

2010年01月15日 | 旅日記
伊勢神宮へ参拝を済ませ、津まつりの雰囲気を味わったあと、次に向かったのが旧美杉村多気に在る北畠氏館跡

(三重県庁)を発ち、目的地までは一般道で。
全日本大学駅伝コースでもある伊勢街道を南下し、松坂市内で熊野街道,国道166号線を介して、美杉に出られる伊勢本街道へと入りました。
途中、仁柿峠を越えるこの道は、大和とを結ぶ街道で、今でも、松坂へ出るには一番近い道だそうですが・・・街道に入って暫くすると、さっきまでの様相とは一変。
まず、この数日前に通過した台風の影響か,土砂や枝葉が道路に積もっていて、その轍が出来てました。
この段階で、ちょっといやな予感がしたんですが、ナビが「ここを通れ」というので、その案内どおりに進むと、今度は「工事中」の為に進路を強制的に変えられて、集落の中を通る細道に。
しかも、その入口には...

「仁柿峠は道幅が狭いので大型車は通れません」

...という看板が(--ゞ
「まさかねぇ」と、半信半疑ながら車を走らせて集落を抜けると、もう、直ぐに酷道に入りました。

ちがいがまさんが仰っていたことが、ここで漸く得心できました。

何の心の準備も出来ず,集落を抜けたらいきなり、車一台がやっと通れる道幅。
夏に通った乳頭郷鶴の湯へ行く急峻な砂利道なんて、これに比べればかわいいものです。

すれ違うのもやっとで、中には、ガードレールが無いところも。
また、台風の影響でか、排水路には巨木が一本丸々刺さっているところもあって、中々スリリングでした。
そんな峠の酷道だから、そんなに車も通らないだろう・・・なんて思っていたら大間違い。
先にも述べたとおり、ここは松坂へ行く一番近い道なので、上から下から車が、「勘弁してくれよぉ」と、叫びたくなるほどひっきりなしに来ます。
多分、独りではダメだったでしょうが、ここへ導いた碧雲斎が助手席に座っていたので、監視役にして、10kmほどある峠道を、悪戦苦闘しながらおよそ30分ほど掛けて何とか越して、美杉郷に入りました。

時刻は16時半頃,平家の落人伝説でもありそうな、山間の、とても静かな集落でした。


目当ての史跡の手前には資料館があったので、ちょっと立ち寄ってみました。

しかし、既に閉まっている雰囲気だったので、碧雲斎を物見に走らせると・・・係員の方がまだ居られて、開館時間は終わっていたのに、ご好意で開けてくれました。

ありがたいことです<m(_ _;)m>
中には、北畠氏館の模型や北畠家関連の史料のほかに、美杉や伊勢本街道に関する資料が展示されていて、中々興味深くて面白かったです。

また、資料館の方(地元の方)と少しお話もして、峠道の興奮を落ち着けることが出来ました。
山間の集落ですが、台風で近くの八俣出川が増水して、床上浸水したお宅もあったそうです。
いいところですから、是非一度、仁柿峠を越えて行ってみてください。

この後、資料館の隣に在る、目指していた多気北畠氏城館跡へ。

すると、ここで碧雲斎が...

「霧山城を攻め上りましょう。」

...なんて言いやがりました(爆)
ここ北畠氏館は、甲府の躑躅が崎館要害山城の様に、背後の山に要害を構えていましたが、そこへ行こう!って言うんです。

時刻は17時。
陽も既に傾き始め、若干不安はありましたが、若い碧雲斎の行動力と、自信の好奇心に背中を押させて、城攻めを敢行しました。

館から山頂までは950mほど。

幾分整備されているとはいえ、ほぼ、杉林に囲まれた山道です。

そこを、かなりの早足で,麓から20分ほど掛けて、鐘突堂跡に攻め上りました。

そこから見えるのは、山山山...

なお、ここは北畠家終焉の地。
織田信長に攻められて屈服した北畠具教が三瀬館で暗殺された(天正4年)後、一門の左衛門尉政成が籠城して織田勢を一戦交えるも、衆寡敵せず,霧山城は攻め落とされて、伊勢国司北畠家は滅亡しました。
織田勢の攻め口は判りませんが、もし、私たちと同じ伊勢本街道を上がってきたとしたら・・・と思うと、ただただ、すごいとしかいえません。。。


遠く彼方、かつて支えた南朝の御座所・吉野の先に陽が沈んでいく中...

北側の頂部に在る本丸跡にも攻め入りました。

詰城だからか、規模はそれほど大きくは無かったです。

ただ、このままでは陽が暮れて下山出来ずに遭難する危険性もあるので、急いで退こうとするも、秋の陽は釣瓶落としで...
さっきまで、何とか残っていた陽の光も、本丸跡を少し下ったところで全く無くなり、辺りは忽ち漆黒の闇に(--ゞ
夜の山歩きの備えなど全くしていなかったんですが、ケータイの明かりとフォトライトで足元を照らして、何とか、無事に退きことが出来ました。
御伊勢様の御加護と、文明の利器とはありがたいもので...。
麓の北畠神社に着いたのは18時過ぎ。

せっかくここまで苦労して来たので、北畠家所縁の地を見て周りたかったんですが、如何せん,辺りはもう真っ暗なので、仕方なく、帰路に着くことにしました。

さすがに、仁柿峠越えは、夜ということもあって避けて(^^ゞ
資料館の方に、無難に走って帰れる道を教えていただき、(まもなく廃止される予定の)JR名松線と雲出川に沿って走る県道を使って名張へ出て、そこから伊勢道に乗って行きましたが・・・途中、四日市の辺りから、思い掛けずも大渋滞に巻き込まれてしまい、抜け出すのに2時間も(^^ゞ
ちがいがまさんに聞いた、伊勢湾岸道長島SAに在る足湯も既に閉まっていて、夜食にもありつけず。。。
若干凹みながら先に進み、東名道のどこかで食事と、ちょっと仮眠をして、関東には朝方に到着。

碧雲斎とみっちーをそれぞれお宅近くまで送り届けて、自分も帰宅。

予てよりの念願だったおかげ参りは、無事、0泊3日で遂げられました。
これも、御伊勢様の御加護の賜物です。

次は・・・できることなら来年、もしくは、式年遷宮の年に、また詣でたいです。

伊勢物語(終)

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