くない鑑

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正真正銘の筑紫福岡!(後)

2014年07月14日 | 旅日記
動転の九州行きから4年ぶりに福岡へ、研修で来た2日目は大宰府観光。

・・・の前に。
旅に出ると朝早く起きるクセがありまして(^^ゞ
今回も、前日26時まで起きていたにも関わらず、翌日は朝5時半頃には起床。

一っ風呂浴びて身ぎれいにして、誰もいない天神の地下街を抜けて市営地下鉄で(天神中州川端箱崎宮前)、筥崎宮へ向かいました。

大分の宇佐、京都の石清水と並んで日本三大八幡宮に数えられる、由緒ある御社。
一本真直ぐに伸びる参道の先には玄界灘があり、海上交通の守護神として崇敬を受けた由緒を感じます。

重厚で立派過ぎる桧皮屋根を構えた楼門には、扁額には「敵国降伏」の文字が掲げられています。
醍醐天皇、亀山天皇(大覚寺統)が宸筆として残されているといい、扁額として今に伝わるのは、小早川隆景が筑前領主となった折、文禄年間に社宝の宸筆を謹写拡大して掲げたものだそうです。

しかし、どうも...
筥崎宮は、三韓征伐を成した神功皇后を祭神として御座し、蒙古襲来では敵国退散を成した御社として崇敬を受けています。
この扁額も、ひょっとして、太閤の唐入りと縁浅からぬのでは・・・と、邪推しました。
ちなみに、太閤秀吉は筥崎宮へ参詣しているそうです。
短時間ながら、朝の筥崎宮へ参詣した後、今度はJR箱崎駅から博多へ移動して、櫛田神社へ向かいました。

この2日後から、盛大に挙行される博多祇園山笠

その“主催”たるのが、この櫛田神社

博多駅から北へ歩いて10分ほど。

都会の真ん中のこじんまりと鎮座します御社が、かの盛大な祭の主催拠点とは、俄かには信じがたいのですが、準備は着々と進んでいました。

↑櫛田神社内の桟敷席の案内と、結構狭く感じる山笠が巡行地↓

街のあちこちに、出番を待つ山笠がありました。

その一つ、天神駅のすぐ近く、新天町の山笠

和やかなサザエさん一家を飾っている反面には、猛々しく荒々し前田慶次の飾り。

福岡の人は、この祭の事を熱っぽく語るので、いつかは間近で見てみたいですね。

さてさて、私的な単独行動はこれまで。
ここからは、大宰府まで団体行動に移行(^^ゞ
行きは、西鉄の大宰府観光列車[旅人]に乗車。
車外はもとより、車内も、各車両で異なる内装に成ってます。
ちなみに、この列車はこの日が運行開始100日目。
福岡天神駅では、大河を当て込んだ?!ゆるキャラのふくおか官兵衛くんと、福岡黒田武将隊+(プラス)なる武将隊がおもてなしをしてました。

けど、、、
どこの甲冑か、敢えて聞かなかった、いや、聞いても知っていそうになかったので聞かなかったんですが、なんかちょっと、、、
特に、久野四兵衛さんの兜。
角の脇立がペラペラ、、、
肖像画からは中々判別は出来ないですが、ペラペラはちょっと・・・残念な感じです。

さて、先にも触れましたが、大宰府まで誘う西鉄の観光列車[旅人]は、この日が100日目。
混雑することを見越して、早めに発着ホームで並んでみたんですが、それほどでも(^^ゞ
記念して、車内で何かするのかな?!と、期待してみたんですが、ミネラルウォーターとポスターカードが配られただけ。
駅でもてなしていた武将隊も乗り込んでましたが、特に何をするでもなく、ただ、大宰府までの移動手段として乗っている感じ、、、。
観光列車と言っても[急行]なので、通常のと変わらずに急行停車駅に停まるので、つり革に掴まる武将隊と一般客が混在する、若干シュールな光景が見られました。

福岡天神から大宰府までは、直通なので乗り換えなしで、30分程で到着。
昼食を取るお店に大きな荷物を置いて、天満宮へ参拝。
依然来た時は年末、しかも雪が止んだ後だったので、参拝者は疎らでした。

しかし、この日は暑かったですが、天気のいい日曜日だったので、大変な人出でした。

梅が苦手だからか、天神様とはあまり相性がよくないと感じているので(笑)
早々にここを後にして、天満宮の北に聳える宝満山に鎮座します、竈門神社へ向かいました。

縁結びに御利益があるというこで、しっかりと、しっかりとお願いをしました!(笑)

ムシムシした下(天満宮)と違って、竈門神社は宝満山の中腹辺りに鎮座しているので風が心地良く、涼しかったです。

また、ここの社務所が斬新でして。

こんなに綺麗でスタイリッシュなのは、見たことがありません。
巫女さんも、通常より3割増しで美しく見えます!(コラ)

天満宮まで戻るバスが出る30分程、見えないパワーをしっかりと受けて、眩しいくらいに茂る木々の緑と心地よい風を受けていました。

天満宮近くまで戻ってきたのは12時頃。
ここから、高橋紹運が700の兵で島津勢を迎え討った岩屋城を攻めたかったんですが、昼食の時間まで残り時間が少なかったので、暑さもあって、お店に入りました。
岩屋城は、高橋紹運最期の地で、それを偲ぶ石碑などがあるようなのですが、それは次回、涼しい頃を狙って行きたいと考えています。

(攻め方が徒歩しかないので(^^ゞ)

昼食のお店は、地元の寿司屋。
昼から酒をいただく贅沢に浸りながら(笑)
2時間ほど楽しみました。

帰路は、大宰府からバス。
参道に武将グッズを扱う店が在るのを横目に見ながら、(その先の駐車場から)バスに乗り込んで福岡空港まで送って頂きました。

乗る飛行機は17時発。
その2時間ほど前に空港に着いたので、土産を買い、他社さん達と再び1時間ほど酒肴を楽しみ(笑)
今度は間違い無く、無事に飛行機に乗り込みました。

けど、、、
離陸の時になって、操縦席(副操縦士だったかな)から、、、

羽田空港が悪天候で閉鎖されて、全ての離発着が出来ないので、暫く待機している。」

、、、とのアナウンスがヽ(゜Д゜)ノ
許可されて、スマフォの電源を入れて雨雲レーダーを見てみると、東京は真っ赤っか。。。
帰ってからニュースで知りましたが、かなりの雷雨だったようで、、、。
結果、1時間の離陸待機の後、閉鎖が解け、管制官から許可が降りたということで、羽田へ向かいました。
途中、積乱雲に遭って揺れるかな?!と思ったんですが、大したことはなく、飲み物のサービスもスルーされるほどぐっすりと寝てました。

結局、羽田には1時間遅れで到着。
飛び立った前日の朝は活気に溢れていた羽田も、20時近い時間で離陸機が少ないからか、閑散としていました。
ちょっと小腹が空いたので、何か無いかな・・・と探したが、日曜は20時頃閉まる店ばかり。。。
選択肢が少ない中で、レストランを選んで一息。
私は、おかわり自由のコーヒーとクラブハウスサンドイッチを注文し、暫し同僚と歓談してから、帰り着きました。

中々に、濃くて楽しい2日間でした。

≪終≫▲▲▲「正真正銘の筑紫福岡!(前)」に戻る▲▲▲

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