くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

水無月の上洛「午前下」

2007年07月04日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
野宮神社の庭園と、鬱蒼とした竹林に奪われた心を取り戻して雨天の中,進路を北へ。
嵯峨野の奥,化野念仏寺を目指して歩いて行きました。

野宮神社の北側を走るJR嵯峨野線(山陰本線)とトロッコ線の踏切を渡り、


竹垣に仕切られた竹林を抜けると・・・その眼前に広がったのは、とても長閑な風景でした。

ここまで足を伸ばしたのは初めてだったので、予想だにしなかった光景でしたが、雨に靄の掛かった山々は、まるで水墨画にでも表現されているかのような、落ち着いた雰囲気。
それにまた,心を奪われながら歩いていると・・・水田の一角に一本の“立て札”を見つけました。
そこには...
“小倉餡発祥の由来”が記されていました。

それによると...
小倉餡は、今からなんと!1200年も前に煎餅職人の“和三郎”さんが、空海上人が中国から持ち帰った小豆と朝廷から賜った砂糖を和えて作り上げたとか。
その功績を讃えて“和泉明神”なる御社があったそうですが、いつの間にか廃絶してしまった・・・とのことです。
小倉餡に、そんな歴史があったとは?!正直,驚きました。

さて...
この向かいには、一つの草庵と一つの陵墓があります。
まず前者は「落柿舎」という、松尾芭蕉の弟子で向井去来という詩人の草庵です。

入園料は200円,一見すると随分とこじんまりとした感じがしたのですが・・・舎外からそーっと、中を見るに留めました。
でも、趣はとっても良さそうでした。
そして後者は、嵯峨院皇女有智子内親王の“陵墓”でした,びっくりしました。

向井去来が、如何なる思いでこの隣に草庵を築いたのか,今となっては窺い知ることが出来ませんが...
何も飾る事無く,それと判るのは宮内庁の“注意書”のみ。
小倉餡が生まれた頃と同じく、1200年の前からここに在るとは思えぬほど,陵墓はきれいに整備され、しっかりと護られていました。

そして再び,化野念仏寺方面(北)に向かって歩き、次に着いた二尊院。でしたが、中高生らしきのが数人,わさわさしていたのでその先に歩を進めました。
そして着いたのが二又路。

ここから先,化野念仏寺までが更に距離があるようなのですが、この時,時刻は既に11時15分...。
当初の予定だと、11時半には目当てのお店で食事を取るつもりだったので化野念仏寺へ行くことをここで断念して進路を西へ,路地を入って行きました。
その先に在ったのは、檀林皇后橘嘉智子(嵯峨院皇后)の祈願所で大学別曹(学問所)学館院が設けられていた檀林寺

そして、更にその先,突き当たりに在ったのが祇王寺


その更に上には滝口寺という、何れも平家物語と所縁のある御寺が在ったのですが、前者は修学旅行生で騒がしかった・・・ということもあって、門外から中の様子を窺っただけ。
後者へは行く事無く,来た道を戻って行きました。
その途中,さっき通過した二尊院に。

さっきと違って、今度は誰も居らずにひっそりとしていて閑だったので、ちょい立ち寄ってみました。

ただ、門外にある案内図を見ると、これまた随分と広い境内・・・なので、この後のことを考えて,今回は拝観することを断念しました。


またその近く,嵐山方面へ歩を進めたところにあったのが常寂光寺

かつて、ここには京極中納言藤原定家の山荘,時雨亭が在ったそうですが...いまは日蓮宗の寺。
そして、秋には燃える様な紅葉が美しいそうですが、時は今,初夏水無月。
しかも、雨脚のハッキリとした雨・・・でしたが、それが返って,萌える様な鮮やかな緑の中に、御寺はすっかりと溶け込んでいました。

ここも、偶然に見つけた御寺ではありますが、時間があったらば是非!堪能したかったです。

そこから先,再び嵐山方面へ、車一台がやっと通れるほどの小径を歩いていると、鬱蒼とした緑の中に突然,予期せぬものが!!
それは...小倉池という名の湖沼です。

ここに池が在るとは全く知らずに、初めて足を伸ばしたので、その驚きは一入。
全ての音を呑み込むかのような静寂と、雨のお蔭でより萌える緑は、正直歩き疲れた身には一服の清涼感を得られたような心持です。
ちなみに...
嵯峨野方面へ行く途中から気になっていた御社が、この池の辺にありました。
その名もズバリ!「御髪神社」といい、日本で唯一の髪の神様が御座します御社だそうです。

一応、今のところ髪は有り余っており、しかも、理容師の友達からは「絶対に禿げない」お墨付きを得ているので、この先も困ることはないようなのですが・・・念押しで,対岸より詣でました。

常寂光寺から小倉池に沿って歩くこと数分,御髪神社を対岸より詣でて直ぐのところに在るのが、トロッコ嵐山駅

再三言うように、先を急いでいたのでじっくりと観ることは出来なかったのですが、嵐山の竹道へ向かう道すがら,ふと眼下に目を落として見ると、竹林の合間に山陽本線(嵯峨野線)に並行して駅舎が見えました。
かつて、秋に上洛した折,保津峡下をする予定を立てて乗ろうとしたこの列車も、その時は生憎の雨降りで断念。
以後,お値段の兼ね合いもあって一度も乗らず終いなのですが・・・一度くらいは乗ってみたい!と思いつつ、更に先へと進みました。


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