くない鑑

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水無月の上洛「詩仙堂」

2007年07月09日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
西から北,京都の外側を駈足で巡り、入洛してから7時間後の16時頃には朝とは正反対,東側の一乗寺町に居ました。
大徳寺から北大路を経由して目指したのは、未だ行ったことの無い曼珠院だったのですが、時間的な都合上で断念し、途中目に止まった看板に惹かれて瑞巌山圓光寺へ行きました。
ここも初めてでしたが、その見事なお庭に感嘆し、一時の休息を得てから次へ,この直ぐ近くに在る詩仙堂へ向かいました。
ここは江戸時代,徳川家の直参旗本で、後にゆえあって芸州浅野家に仕えていた石川嘉右衛門重之が寛永18年,浅野家を致仕した後に造営したもの。
ただ、実はいま,一般的に呼ばれている“詩仙堂”というのは通称で、狩野探幽の描いた中国の漢晋唐宋各時代に於ける詩家36人の肖像画を掲げたここの代表的な一室に由来しており、正式には,凸凹した地に建てた住居という意の“凹凸カ(穴かんむり果)”というそうです。
ちなみにもう一つ,ここは曹洞宗永平寺派の末寺でもあり、石川嘉右衛門重之の号,丈山に由来して“丈山寺”とも呼ばれています。
洛中から離れた地に在るゆえに天災地変の災厄に遭う事無く、地形を巧みに生かして造営されたこの詩仙堂は、300年以上も変らずに建ち続けている・・・そうです。



それほどの歴史があったとは露知らず,今から6年前に初めて独りで入洛した折に、ここを初めて訪れました。
そのきっかけが何であったのか,今となっては思い出せませんが...
それ以来,毎年の様に上洛していますが、その旅程の中には必ず慈照寺銀閣とここ詩仙堂を予定に組んで、(大体)その日の最後に訪れています。
それほどまでして行く理由とは...
居心地が良くと~ってもて落ち着くんです。

特に雨の日,喧騒などを洗い流すかの如くに降る雨音と、雨樋から瀧の様に落ちる水音,耳を澄ませば聞こえてくる鹿おどしの音などを、閑寂な中で聞き惚れながら...



何も考えずに無心で,室の奥から、はたまた縁側から深緑のお庭をボーっと見ていると、一切の雑念,煩悩が雲散霧消して心身の傷が次第に癒されていく・・・ような感じがするのです。


また、お庭を見るだけでなく散策することも勿論可能。

実は手狭なお庭も、それとは感じさせない設えにはますます感嘆します。





さっきまでいた堂宇を逆に,お庭から見るのもまた一興です。



なお、この詩仙堂は洛中で多く見かけた小中高生などの旅行群が見向きもいしない,言わば“大人の居場所”的なので訪れている(笑)・・・向きもあるのです。が!大人だって非常識者は数多いるもの。
こんなに静かで趣があって和む場所・・・に無粋な中年のオバサンが4人,大音量の笑い声を交えながら世間話に汚い花を咲かせていました。
挙句,ケータイに掛かってきた電話にまで出て喋りだす始末...。
その勢いに、独り旅風の二十歳くらいの女性も逃げていましたが、私は、余りにも無粋で興を殺ぐ非常識な連中へ、冷たい視線を向けていました。
そしたら、少しは気が付いたのか,多少ボリュームが落ちた気がしましたが、でもやっぱり,無粋であることこの上なく、私も我慢の限界!
お庭を見てから帰ることとしました。
すると、その連中も私が帰り際にお庭を,相変わらずぺちゃくちゃと喋りながら巡っていましたが、私を見つけるなり,何と無くまたばつの悪そうにしていました。
ただ私的には,興を殺がれて多少なりとも腹立ちはありますが、一方で,斯くも素晴らしきお庭などを前にしても世間話,井戸端会議しか出来ない連中を憐憫...に思いましたよ,全く(苦笑)

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