最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
今回は西から北へ,京都の外を駈足で巡ってきました。
しかし、今回是非とも行きたかった!洛北紫野に在る大徳寺の塔頭である高桐院の素晴らしさに癒されて...1時間ほどの~んびりと居ました。
そして、その余韻に浸りながら,次に向かったのは洛東。
上洛をしたら、慈照寺銀閣や一乗寺の詩仙堂へ欠かさず,特に雨降りの日は情緒があって大好きなので向かいました。
ただ、今回はもう一箇所,京都市交通局発行の京都観光一日乗車券に付いてくる路線図にあるお得なクーポン対象にも惹かれて、詩仙堂の更に奥にある曼珠院へも今回目指して行きました。
ただ、そこへ行くまでに思わぬ時間を食ってしまうのです。。。
紫野の大徳寺高徳院から最も近いバス停,建勲神社前から[ 北8系統 ]のバスに乗れば、曼珠院や詩仙堂が在る一乗寺町へ直接行くことが出来るので、時刻表を見てみると、あと少し待てば着くようだったので、何本かバスを見送って待つこと暫し。。。
目当てのバスが漸く,10分位してか、やって着ました。
しかし...
てっきり一乗寺方面を経由してくれると思ったバスは、案に相違して,途中の北大路バスターミナル(地下鉄烏丸線北大路駅)が終点だったのです。
その、予期せぬ事態に慌てて[ 北8系統 ]のバス停を探し当て、時刻表を見てみると・・・!!!
一足違いでバスは発っていました,無念......。
更に続いた予期せぬ事態に、慌ててバス路線図を見て、少しでも近いところまで・・・と、[ 204系統:錦林車庫 ]行に乗って取り合えず,上終町京都造形芸大前へ行き、ここで岩倉方面へと行く[ 5系統 ]のバスへ乗り継いで行くつもりでした。
しかし...
この計画も敢無く,あと一歩!というところで岩倉行のバスが行ってしまって、儚く潰えました...。
ここからは他にも、2,3系統のバスが一乗寺町方面へと行くのですが、時刻表を見る限り暫くは来そうも無かったので仕方なく雨の中,歩いて向かいました。
尤も,そう遠い距離ではなかったのでよかったのです・・・が、何故かその途中,暫くは来るはずも無い
バス(2本くらい)に抜かれました(--ゞ...
こうして,建勲神社から北大路,上終町から一乗寺町までバスに見放されて続けて1時間程。
時刻は既に16時を回っており、漸く辿り着いた一乗寺下り松町から最初に目指した曼珠院まで,徒歩では20分...。
目指す各寺院の閉門時間が迫っており、ここで一歩間違えれば、曼珠院はおろか詩仙堂なども巡れなくなってしまう・・・と判断。
曼珠院へ行くことは今回,無念にも諦めて、詩仙堂へと進路を変更して向かいました。
一乗寺町下り松町バス停から坂道を上がること10分ほど。
途中,宮本武蔵の“古戦場”を横目に見、詩仙堂はもう目の前!というところで、“十午の庭 圓光寺”と書かれた一枚の古ぼけた看板に目が止まりました。
詩仙堂には上洛をする度に訪れているので、必然,案内板の前を幾度と無く通っているのですが...
正直,初めて気が付きました・・・が、折角のこと,何か惹かれるものも感じて矢印の指す方へ誘われる様、車一台がやっと通れるほどの路地を進んで行きました。
路地を入って20m先に在ると看板に記されていたのも、足が向いたポイントだったのですが、結果はそれ以上,1~2分程度は歩いたところにその御寺はありました。
路地口の看板に誘われ,何の予備知識も無く訪れてみたら拝観時間の終了間際で、住職らしき方が後片付けなのか,なにやら作業中。
その為、受付には誰も居らず...。
有料な境内に、無断で立ち入るわけにもいかず,少し中(境内)に入ってその方に「すいませ~ん」と声を掛けたらびっくりしてこっちを向いて,開口一番...
「ここは有料ですよ」って,ちょいと語気を強めて窘められる感じで返ってきました。
心中,「だから呼んだんだよ」と思いながら、受付小屋に戻ってきた寺僧に拝観料を支払って、境内へと入りました。
その際,先の寺僧から終了時間が迫っている旨を言われましたが、入る前にそれは確認済みだったので、「はい、大丈夫です」と返して、中へ中へと進んで行きました。
しかし、境内に入って私はとっても後悔しました。
それは何故かというと...
この御寺が、実に素晴らしい!ということを知ってしまったからです。
まず、受付を済ませてから最初に目を見張るのが、本堂玄関奥にある煌びやかな襖絵。
凡そ禅宗の御寺とは思えぬ鮮やかさに、思わず暫し見惚れてしまいましたが、更に奥,本堂内には今度、実に質素な屏風が一双飾られていました。
円山応挙の手による「雨竹風竹図屏風」の(どうやら)模写(レプリカ)の様ですが、鮮やかな玄関奥の屏風とは打って変わって、質素で端麗なその屏風は、この日の天気と圓光寺の雰囲気にとてもマッチしていました。
また、これが飾られている本堂の照明具合も程好くいい感じでした。
ここへ多分,上がることが出来たと思うのですが、如何せん,時間が無かったので...
その軒先にある縁側にて屏風を鑑賞しました。
そして、合わせてお庭も縁側から鑑賞をしましたが、いい!実にいいですよ!!お庭も。
視界に入る一切が鮮やかな緑で、ついつい見惚れてしまう,歩き疲れた身と、的が外れまくって凹んだ心を快復させるには、十分過ぎるほどにお見事。
暫し縁側にて鑑賞した後,お庭の散策に出ましたが、決して広いとは言えない敷地空間なのですが、それを感じさせないほどに奥深く、ちょっと不思議でもありました。
手ブレをしてしまったのですが、“庭の森”から見た本堂が、私的には一番好きで気に入りました(笑)
ちなみにこの御寺,神君家康公が“開祖”とあって、庭の外れにお墓も建立されていました。
省みてみれば、非常に勿体無かった!
圓光寺を駈足観て後,当初の目的地であった詩仙堂へと向かいました。
上洛の「午後中」<<<<<◇>>>>>上洛の「夕暮れ時」
今回は西から北へ,京都の外を駈足で巡ってきました。
しかし、今回是非とも行きたかった!洛北紫野に在る大徳寺の塔頭である高桐院の素晴らしさに癒されて...1時間ほどの~んびりと居ました。
そして、その余韻に浸りながら,次に向かったのは洛東。
上洛をしたら、慈照寺銀閣や一乗寺の詩仙堂へ欠かさず,特に雨降りの日は情緒があって大好きなので向かいました。
ただ、今回はもう一箇所,京都市交通局発行の京都観光一日乗車券に付いてくる路線図にあるお得なクーポン対象にも惹かれて、詩仙堂の更に奥にある曼珠院へも今回目指して行きました。
ただ、そこへ行くまでに思わぬ時間を食ってしまうのです。。。
紫野の大徳寺高徳院から最も近いバス停,建勲神社前から[ 北8系統 ]のバスに乗れば、曼珠院や詩仙堂が在る一乗寺町へ直接行くことが出来るので、時刻表を見てみると、あと少し待てば着くようだったので、何本かバスを見送って待つこと暫し。。。
目当てのバスが漸く,10分位してか、やって着ました。
しかし...
てっきり一乗寺方面を経由してくれると思ったバスは、案に相違して,途中の北大路バスターミナル(地下鉄烏丸線北大路駅)が終点だったのです。
その、予期せぬ事態に慌てて[ 北8系統 ]のバス停を探し当て、時刻表を見てみると・・・!!!
一足違いでバスは発っていました,無念......。
更に続いた予期せぬ事態に、慌ててバス路線図を見て、少しでも近いところまで・・・と、[ 204系統:錦林車庫 ]行に乗って取り合えず,上終町京都造形芸大前へ行き、ここで岩倉方面へと行く[ 5系統 ]のバスへ乗り継いで行くつもりでした。
しかし...
この計画も敢無く,あと一歩!というところで岩倉行のバスが行ってしまって、儚く潰えました...。
ここからは他にも、2,3系統のバスが一乗寺町方面へと行くのですが、時刻表を見る限り暫くは来そうも無かったので仕方なく雨の中,歩いて向かいました。
尤も,そう遠い距離ではなかったのでよかったのです・・・が、何故かその途中,暫くは来るはずも無い
バス(2本くらい)に抜かれました(--ゞ...
こうして,建勲神社から北大路,上終町から一乗寺町までバスに見放されて続けて1時間程。
時刻は既に16時を回っており、漸く辿り着いた一乗寺下り松町から最初に目指した曼珠院まで,徒歩では20分...。
目指す各寺院の閉門時間が迫っており、ここで一歩間違えれば、曼珠院はおろか詩仙堂なども巡れなくなってしまう・・・と判断。
曼珠院へ行くことは今回,無念にも諦めて、詩仙堂へと進路を変更して向かいました。
一乗寺町下り松町バス停から坂道を上がること10分ほど。
途中,宮本武蔵の“古戦場”を横目に見、詩仙堂はもう目の前!というところで、“十午の庭 圓光寺”と書かれた一枚の古ぼけた看板に目が止まりました。
詩仙堂には上洛をする度に訪れているので、必然,案内板の前を幾度と無く通っているのですが...
正直,初めて気が付きました・・・が、折角のこと,何か惹かれるものも感じて矢印の指す方へ誘われる様、車一台がやっと通れるほどの路地を進んで行きました。
路地を入って20m先に在ると看板に記されていたのも、足が向いたポイントだったのですが、結果はそれ以上,1~2分程度は歩いたところにその御寺はありました。
路地口の看板に誘われ,何の予備知識も無く訪れてみたら拝観時間の終了間際で、住職らしき方が後片付けなのか,なにやら作業中。
その為、受付には誰も居らず...。
有料な境内に、無断で立ち入るわけにもいかず,少し中(境内)に入ってその方に「すいませ~ん」と声を掛けたらびっくりしてこっちを向いて,開口一番...
「ここは有料ですよ」って,ちょいと語気を強めて窘められる感じで返ってきました。
心中,「だから呼んだんだよ」と思いながら、受付小屋に戻ってきた寺僧に拝観料を支払って、境内へと入りました。
その際,先の寺僧から終了時間が迫っている旨を言われましたが、入る前にそれは確認済みだったので、「はい、大丈夫です」と返して、中へ中へと進んで行きました。
しかし、境内に入って私はとっても後悔しました。
それは何故かというと...
この御寺が、実に素晴らしい!ということを知ってしまったからです。
まず、受付を済ませてから最初に目を見張るのが、本堂玄関奥にある煌びやかな襖絵。
凡そ禅宗の御寺とは思えぬ鮮やかさに、思わず暫し見惚れてしまいましたが、更に奥,本堂内には今度、実に質素な屏風が一双飾られていました。
円山応挙の手による「雨竹風竹図屏風」の(どうやら)模写(レプリカ)の様ですが、鮮やかな玄関奥の屏風とは打って変わって、質素で端麗なその屏風は、この日の天気と圓光寺の雰囲気にとてもマッチしていました。
また、これが飾られている本堂の照明具合も程好くいい感じでした。
ここへ多分,上がることが出来たと思うのですが、如何せん,時間が無かったので...
その軒先にある縁側にて屏風を鑑賞しました。
そして、合わせてお庭も縁側から鑑賞をしましたが、いい!実にいいですよ!!お庭も。
視界に入る一切が鮮やかな緑で、ついつい見惚れてしまう,歩き疲れた身と、的が外れまくって凹んだ心を快復させるには、十分過ぎるほどにお見事。
暫し縁側にて鑑賞した後,お庭の散策に出ましたが、決して広いとは言えない敷地空間なのですが、それを感じさせないほどに奥深く、ちょっと不思議でもありました。
手ブレをしてしまったのですが、“庭の森”から見た本堂が、私的には一番好きで気に入りました(笑)
ちなみにこの御寺,神君家康公が“開祖”とあって、庭の外れにお墓も建立されていました。
省みてみれば、非常に勿体無かった!
圓光寺を駈足観て後,当初の目的地であった詩仙堂へと向かいました。
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