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ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

007. 滞在許可を更新しなくっちゃ!

2018-10-24 | エッセイ

 前に滞在許可をもらってからあっという間にまた申請手続きの期限がせまってきた。
 それというのも前回は申請してから許可の通知が来るまでなんと九ヶ月間もが過ぎていた。
 許可された期間は二年間。もうすでに十年間も住んでいるので、今回は永住許可とはいかないまでもせめて五年間はもらえるものと期待していたのだ。
 ところがたったの二年間、しかもすでに九ヶ月は過ぎているので、残りは一年と三ヶ月しかない。
 その期間があっというまに過ぎてしまったのだ。
 ああ、忙しい!

 準備する書類は何か変化があるかもしれないので、まず日本大使館に電話をして確かめた。
 それによると、「無犯罪証明書」というのを取らないといけないらしい。
 これは最初にヴィザを申請するときに日本の警察から取り寄せて出した事があるが、今度はポルトガル国内での「無犯罪証明」が必要になったらしい。
 それはどこに行けば発行されるのかというと、リスボンの場合は「シダダオン」という役所だけれど、セトゥーバルの場合ははっきりとは分らないということだったが、
 住所を教えてもらったので、一応そこへ行ってみることにした。

 住所をたよりにたどり着いたところはなんと以前お世話になったことのあるパソコンショップの隣だった。
 二階建てのガラス張りのこの建物は人の出入りが多くて、以前から「何だろうか?」と思っていたのだった。
 でも駐車場が全然見あたらない。
 しかたがないので、大通りを渡ったショッピングセンターの駐車場に行ったところ、ちょうど出て行く車が一台あって、うまく駐車できた。広い駐車場は満車だ。
 ところが「シダダオン」では「ここではない、メルカドのそばの裁判所へ行きなさい」とのこと。
 がっかり! やっとの思いで駐車したのに!

 でも急いで裁判所にいかなくちゃ! 昼休みになってしまう。
 こうなると無料の駐車場など探している暇はない。
 裁判所の横の有料駐車場に車を停めて事務所まで走った。
 運良く受付はガラガラ、暇そうにしていた。
 「ああ、これですぐにできる」と喜んだのもつかの間、係りの女性は「証明書の発行には一ヶ月かかりますよ」と言った。
 「えっ、うっそー」
 「うそではありません。ここで申し込むと一ヶ月はかかります。」
 「そんなばかな!冗談でしょう?」
 係りの女性はちょっと恥ずかしそうな顔をしながら、さらにこう言った。
 「もしリスボンに行って手続きをしたら、一時間でできますよ」
 「ええーっ?」
 私は耳を疑った。ここで一ヶ月かかるのが、リスボンの役所で一時間でできるだろうか?信じられない。
 とにかくリスボンに行くしか道は無い。
 でも人から聞いた話によると、リスボンの役所で何かの手続きをしようとすると、どこでも長蛇の列で自分の番が来るまで一日仕事だという。
 実際にTVのニュースでも何回も取り上げられている。
 しかも、もうお昼。今からリスボンに行ってもそんなことだと話しにならない。

 今日はセトゥーバルでできることをやってしまおう!
 まず銀行に行って預金の残高証明書を取らなくちゃ!
 銀行のまわりの駐車場はいつも空いていたためしがない。
 ちょっと遠いけどメルカドの裏ならどこかにスペースがあるのでそこに行って車を停めた。
 天を仰ぐと、抜けるような青空。でもとても冷たい風がびゅうびゅうと吹いている。震えあがる。
 北の空にどす黒い雲の固まりが目に入った。でもこんなに晴れている、まさか雨にはならないだろう。
 ところがメルカドまで来るか来ないうちに突然大粒の雨が地面にバッシバッシと降り出した。
 またたくうちに大雨になり、二人で傘一本では間に合わない。慌てて軒下に雨宿り。かなり濡れてしまった。
 回りには数人が逃げこんできて、濡れた髪や服をしきりに拭いている。まるで熱帯のスコールのようだ。
 小止みになったので銀行まで走った。

 銀行はたくさんの人でごった返していた。
 おまけに昼の時間なので受付の行員は交代で食事に出かけて、窓口は半分しか開いていない。
 窓から外を見ると、真っ青な空が見える。雨はすっかり上ったようだ。
 小一時間ほど待たされてやっとビトシの証明書ができた。
 次は私の残高証明書を取りに別の銀行に行かなくちゃ!

 外に出て歩いている途中、ポツリ、ポツリ、ザーッとまたもや雨が降ってきた。
 横なぐりの強風と雨で傘がさせない! べっとりと濡れて銀行に着いた。
 さっきの銀行から十分ほどしか離れていないというのに。

 次は証明書用の写真を撮ってもらわなくっちゃ!
 市役所の隣の文房具屋へ。
 ところが入口が閉まっている。
 もう三時だから、昼休みは終って店が開く時間なのにまだ開いていない。
 止んでいた雨がまた降り出した。慌てて市役所の軒下に逃げ込んだ。
 しばらくして店主がようやく現われたころには、お客が7、8人ほどもたまっていた。
 この広場のまわりには市役所の他にも警察や移民局などの役所がかたまっているので、提出する書類のコピーや写真を撮る人々がこの店にやってくるのだ。
 先頭のお客がさっそく顔写真を撮ってもらった。
 それが終ると、店主はそそくさとコーヒーを飲みにカフェに行ってしまった。
 女店員ができあがったインスタント写真を持ってドライヤーで乾かし始めたとたん、ガタッと音がして電気がいっせいに消えた。停電だ。
 なにしろ狭い店内に大型のコピー機が四台もあっていっせいにスウィッチを入れて、ドライヤーまで点けたので電気の容量がはちきれてしまったらしい。
 女店員は慌てて店主を呼びに走って行った。
 残された私たちお客はおとなしくじっと待つしかない。
 女店員と一緒に帰ってきた店主は慌てることもなく、店の隅の壁を開け、電気のブレーカーを上げた。
  お客はその間も一人、二人と増え続け、女店員は大忙し。
店主もカフェに引き返すのをあきらめたのか、まじめに働き始めた。
 最初に写真を撮ったお客は出来上がった自分の写真を片手に持って、ドライヤーで乾かしている。
 店主と目が合うと、ニヤッと笑いながら続けた。どうやら店の常連らしい。
 やっと私たちの番がきて、店の隅っこの壁の前に立ち、女店員がポラロイドカメラを構えた。
 ビトシは一発でOKだったが、私は思わず目をつぶってしまって取り直し。
 どうも写真を写されるのはにがて。
 二回目はうまくいって、証明書用の写真が四枚できあがった。
 ああ疲れた。あっちに走り、こっちに走り、おまけに雨にまで降られてまいった、まいった!

 次の日は朝九時に家を出た。出勤時間帯を避けたつもりが、家を出てすぐに渋滞に引っかかった。
 高速道路に入るとスムーズに流れ始めたので、これならいつもどおりの時間で行けると安心していたら、リスボンの入口に架かるヴァスコ・ダ・ガマ橋を降りたところから渋滞に突入してほとんど動かなくなってしまった。
 そこから万博会場だったガレ・オリエンテの駐車場まで延々四十分以上のろのろ運転。
 いつもなら十分もかからない場所なのに。
 メトロに乗って二回乗り換えて、カンポ・ペケェーニョの駅から地上に出ると、また雨が降り出した。
 しかも嵐のような強い横殴りの雨と風に持っていた傘がそっくり返ってしまったほど。

 目指す役所はどこなのだ!
 通りの角には道の名前を記したタイルが建物の壁に張られているのだが、一階の店のテントですっぽり隠れてしまって見えない。
 ビルの軒先で雨宿りをしている人に尋ねて、ようやく目指す役所にたどり着いた。
 もう十一時。
 たくさんの人でごった返しているだろうと覚悟してドアを開けたら、ガラーンとして誰もいない。
 受付の女性が三人、暇そうにしていた。
 「あっ、また違う所に来てしまった!」と、一瞬ドキリとしたのだが、係りの女性は愛想良く、「ここですよ」と言ってくれたので一安心。
 持ってきたパスポートを出すと、すぐにコンピューターに入力して書類を作り、それにこちらがサインして手数料を払うと、彼女はにこやかに笑って、「これで終わりましたよ」と、書類を渡してくれた。
 「ええっ、これで全部終り?」
 ものの五分と経っていない。
 一日仕事だろうと覚悟していたので、あまりの簡単さにびっくり、拍子抜けがしたほど。良かった、良かった。
 でもこんな簡単な事がセトゥーバルの事務所では何故一ヶ月もかかるのだろう?不思議?

 翌日、いよいよ「外国人登録局」に出かけた。用意した書類はこれで全部そろったと思う。

申請書 1

Requerimento 1

申請書 2

Requerimento 2

パスポートコピー

Passaporte fotocopia

滞在許可書コピー

Autorização de Residencia fotocopia

滞在許可書オリジナル

Autorização de Residencia original

写真2枚

Fotografia

無犯罪証明書

Certificado registo criminal

銀行残高証明書

Banco com Sald medio mensal


 セトゥーバルの事務所は町のど真ん中にある。
 小さな古いエレベーターは毎日たくさんの人たちが乗り降りするので、四階のボタンだけがひどく磨り減っている。
 事務所には順番を待っている人が十数人いた。さっそく番号札を取ると、37番。
 待っている人に「今何番の人が手続きをやってるの?」と尋ねたら、18番だとのこと。
 ということは私たちの番が来るまで、一人あたり5分かかるとして100分はかかる。
 外に出て一時間ほど時間をつぶすことにした。

 商店街は一月の10日ぐらいから冬のバーゲンセールが始まる。
 いつもなら20%引きから始まって、徐々に30%、50%、70%と割り引いていくのだが、今年は始まってそうそうにもう50%引きの張り紙を出している店もある。
 不況のせいだろうか、あまり買物客が群がっている店を見かけない。

 ひとまわり歩き回って、その後ボカージュ広場にあるカフェに入ってコーヒーを飲んだ。
 いつもなら外のテーブルに座るのだが、風が冷たいので中に入り、日当たりの良い席を見つけて座った。
 何人かの老人たちが空になったコーヒーカップを前に何をするでもなく座っている。常連客ばっかりだ。
 その中にどこかで見かけた顔があった。
 文房具屋の店主だ。どうやらこの店が彼の行きつけのカフェらしい。
 おとといの停電した時も、女店員がここに彼を呼びに来たに違いない。

 一時間ほど経って、もうそろそろ私たちの番が近づいてきたころだろうと腰を上げた。
 エレベーターから出て事務所に入ると、驚いた事に待っている人は数人しかいない。
 「今何番の人?」と尋ねると、43番だと言う。
 しまった、もう過ぎてしまった!
 待っている人たちが口々に私たちに「何番を持ってるのか?」と聞くので、番号札を見せると、「もう過ぎてしまったよ」「また新しく取り直さないと」と言う。
 思ったより早く進んだようだ。仕方がない。また番号札を新しく取り直した。
 それから数人が終るまで待って、準備してきた書類を出すと、すんなりと終った。
 「これで受け付けました。あとは自宅に郵便で通知がきたらそれを持ってまたここに来てください」
 「いつごろになりますか?」
 「さあ、それはわたしには判りません」

 何ヵ月後に通知が来るのか判らないが、申請中の書類があるのでだいじょうぶ。
 旅行も自由にできるし、日本にも往復できる。
 これで安心、安心。
 それにしても、ああ、疲れた!

MUZ 

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年2月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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006. フェリス・アノ・ノーボ

2018-10-24 | エッセイ

FELIZ ANO NOVO

 

 ポルトガルの元日は日本と違ってひっそりと静まり返り、午前中などは道を歩いている人の姿をめったに見かけません。それどころか走る車さえまばらです。

 ところが大晦日の夜はどこもかしこも大騒ぎ!

 

 メルカドなどは朝からそわそわ、浮かれ調子で商売そっちのけです。
 魚屋のセニョーラ達はどっからともなく回ってくるビーニョをぐびぐび飲みながら、包丁片手に魚をさばいています。
 普段の日は昼の一時近くまで店を開いているのですが、大晦日は特別で、11時ごろにはばたばたと店をたたんで、大急ぎで帰りじたく。
 買物客も追い立てられるようにメルカドを後にします。
 大晦日はカニやエビを売る台にたくさんの人が群がり、年末の特別高値にもかかわらず…みんなどっさりとキロ単位で買い込み、いそいそと家路を急ぎます。
 大晦日は家族一同が集ってご馳走を食べ、ビーニョをあおり、大騒ぎをして一年の最後を送り出す日なのです。

 私たちがこのマンションに住み始めた年のことです。
 棟割長屋になっているガレージの一軒で大掃除が始まりました。
 「ポルトガル人も日本とよく似た事をするもんだ!年末のすす払いかぁ」と感心して見ていました。
 やがて数日かけて大掃除をすませたかと思うと、こんどは入口にパカパカと点滅する電飾をつけました。
 「大掃除にしたら、念が入りすぎとちゃうか?」
 「なんかバルかカフェみたいな雰囲気やなぁ、何が始まるんかな?」と、私は自分とこの掃除はそっちのけで、窓からしょっちゅう顔を出して下を覗いていました。
 なにしろ私たちは引っ越して来たばかりで、家の中は埃もなくきれいなものでしたから、掃除ぎらいな私は時間がたっぷり。
 ご近所の観察に専念できたのです。

 いよいよ大晦日。
 夕闇がせまると、例のガレージでは電飾がにぎやかに点滅し、人の声が少しずつ高まってきました。
 人があわただしくガレージに出入りして、外にはコンロをふたつ並べて炭火をパチパチおこし、魚とチキンを次々と焼き始めました。
 ガレージの中には椅子やテーブルもセットされているようです。
 コンロの回りでは十人以上の子供たちが今から始まるパーティーに、もうすでに興奮して走り回っています。
 思えば私の子供のころも同じだったなぁ。
 毎年元旦は親戚一同が集り、私はいとこ達の先頭に立って、家の中を運動場のように走りまわったものです。

 日がとっぷりと暮れるとガレージの中には灯がともり、外で騒いでいた子供たちもいつのまにか中に入り、ガヤガヤと喋りながら食事をする音が賑やかに聞こえてきました。
 我家では大晦日にはうどんを作ります。
 朝から仕込んで寝かせてあったのを、「年越し時間」が近くなるころに食べます。
 でもなかなか思ったようにうまくはできなくて、いつもがっかり。難しいものです。
 私たちが「年越しそば」ならぬ、あまり出来のいいとは言えない「年越しうどん」を食べ終わったころには、ガレージパーティはますます勢いづいて、ヴォリュームをいっぱいにした音楽に合わせてダンスが始まりました。
 いつのまにどこから集ったのか、数十人に増えた人々は最初は普通に二人で手を取り合って踊っていましたが、だんだん人の輪がつながって、ムカデ凧のように相手の腰につかまって歓声をあげながら踊っています。
 「わっしょい、わっしょい!」と、まるで神輿を担いでいるような声に聞こえました。

 そしていよいよ夜中の12時1分前!
 それまで大騒ぎをしていた声が突然ピタリと止み、あたりはシーンと静まりかえりました。
 その時、ドーンと一発の花火の音!
 それと同時に人々はいつの間にか手に持っていた古鍋やフライパンをカチャカチャとたたき始めました。
 あっちでもこっちでも鍋をたたく音。
 そしてガチャンガチャンと茶碗、皿をたたき割る音が遠くからも聞こえてきます。
 旧年中に使っていた欠けた食器をこのときとばかりに窓から外にむかって放り投げて叩き割る習慣です。
 まるで日本の「節分」の「鬼は外!」の雰囲気を感じます。

 「フェリス・アノ・ノーボ!」(新年に幸せを)
 人々は歓声をあげてお互いに抱きあい、祝福のキスをしています。

 夜空にはドーンドーンと百連発の花火が打ち上げられ、ポルトガルで初めて見た「冬の花火」に、私たちはいつまでも魅入っていました。

 そしてそれから10年。
 ポルトガルで13回目のお正月を迎えます。

 「フェリス・アノ・ノーボ!」

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年1月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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005. キノコの季節

2018-10-24 | エッセイ

 この時期、フランスにはよく行くのですが、パリの市場でも売っているのを見かけていつも気になっていたのです。

 でもこんなにどっさり山盛りは見たことがなくて感動もので、思わずパチリ、パチリとシャッターを切ってしまいました。

 きっと今の時期だけなのでしょうが、このニースの朝市では三軒のキノコ専門の店が出て、数種類ものキノコを売っていました。

 その中でもこの松たけ風が一番値が高くて、1キロが38ユーロ(4000円)でした。

 なにしろ1キロですから、大きいのが5本ほどもくるでしょうか…。

 形だけ見ると松たけそっくりですが、さて味はどうか…と気になるところです。

 ニースの最終日にもう一度朝市に行ったので、その時買ってポルトガルまで持って帰ったらよかったな…と後悔しています。

 

 残念なことにポルトガルにはこんなキノコはぜんぜん売っていないのです。

 マッシュルームと平タケの二種類しかありません。

 そのかわり、森の中には色とりどりの珍しいキノコが今の時期は生えていて、夢中になって袋いっぱい採ったのですが、ポルトガル人に見せたら「全部毒きのこだ、こんなの食べたらたいへんだ」と笑われてしまいました。

 でも、ポルトガルの森に生えているのは「みんな毒キノコ」というのはどうも納得できません。

 あの時採った中には2~3割は食べられるのが混ざっていた…と私はにらんでいるのです。

 その後も、木の切り株にシメジにそっくりな小さなキノコが株立ちでびっしり付いているのを見たときは、思わず手が出そうになったものです。

 あれは絶対にシメジだったのではないだろうか…。

 でも悲しいかな私には茸を鑑定する知識が無いし、思い切って食べてみる度胸もありません。

 

 昔、ポーランドをおんぼろキャンピングカーで旅していた時の事が思い出されます。

 ちょうど森の中で車を停めて休憩した時のこと、いっしょに旅していたフィンランド人の女性が、森の中を散歩していてキノコがいっぱい生えている場所を発見しました。

 「これは食べてもだいじょうぶ! 

 フィンランドでいつも森の中で採って食べているのと同じだから…」と自信を持って言うので、みんなで大騒ぎで鍋いっぱいに採って、油いためにして食べました。

 薄いベージュ色の小さなキノコで、なかなか美味しかったのを覚えています。

 生まれて初めて野生のキノコを自分で採って、それを森の中で食べたのだからいっそう美味しかったのでしょう。

 ポーランドがまだ共産圏の時代のことです。

 

 フランスではキノコの季節には薬局の前にキノコのポスターが張られて、それを参考に自分で判断するか、判らなければ薬局で鑑定してくれるそうです。

 ポルトガルでは野生のキノコを食べる習慣がないせいかそういうシステムはなさそうです。 

 

 ポルトガル人と日本人は文化の違いと言うか、食文化の違いというか…を感じます。

 例えばポルトガル人は「うに」を食べません。

 以前、観光用のグラスボートに乗った事があります。

 魚の他にウニが沢山見えたので、船長に「あれだけ沢山のウニがいるのに何故市場に売ってないのか?」と尋ねました。

 そうすると船長は「ウニは沢山いるよ。でもポルトガル人は食べない。他所では食べるらしいがね!」と威厳をもって答えました。

 まるでウニは卑しい食べ物だ!と言わんばかりで、驚いたものです。

 

 その後、漁師の町で自分で獲ってきたウニを殻から出している漁師を見かけました。

 ウニを見かけるのも、ウニを食べようとしている人も珍しかったので、「どこで採ったの?」「どうやって食べるの?」とか色々とその老人の漁師に尋ねたところ、その老人は「この下の岩場で採った」と崖の下を指差して、なんだかとっても恥ずかしそうにしましたので、それ以上は聞きませんでした。

 何故だか解りませんが、やはりウニはポルトガルでは卑しい食べ物なのでしょうか…。

 

 フランスではウニも食べるようです。ニースの牡蠣を売る店で、紫ウニも並べて売っていました。

 海のウニも、森の茸も、ポルトガル人にとっては興味のない食べ物かもしれません。

もったいない!

 

 でも知人の話によりますと、ポルトガルにも「ムスクロ」と言う松たけに似た特別な茸があるとのこと。

 そのありかは親にも言わないそうです。

 

 日本の松茸、フランスのトリュフ、ポルトガルのムスクロ。

 やはりどこの国にもそういった物があるのですね。 

 

 この3日ほど大雨が続いたので、コルク樫の森の中には赤や紫色の鮮やかなキノコやシメジもどきがたくさん顔を出していることでしょう。

 そのうちデジカメを持って写真を撮りに行ってみようと思います。MUZ 

  

       
       
       

 

 行ってきました。セトゥーバル郊外の森を探検。キノコがあちこちに顔を出していました。

 真っ赤なキノコは広い森の中にたった一本だけありました。明日あたり満開に傘を開くことでしょう。3.dec.2002 MUZ

©2002,Mutsuko Takemoto
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(この文は2002年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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004. ポルトガルの秋は

2018-10-24 | エッセイ

 ポルトガルでは6月、7月、8月と雨がほとんど降ることがない。
 道ばたや空地、牧場などは乾燥と高温であたり一面、薄茶色の枯れ野原になってしまう。
 しかし8月の末になると、ある日突然ゴロゴロと雷が鳴り出し、雨がザーッと降り始める。
 乾期が終わりを告げ、雨期が始まったのである。
 するとそれまでカラカラだった石畳の目地の砂に小さな緑が芽生え、それから一雨ごとに枯れ草の中から青い草が息を吹き返す。
 なんだか日本の春先のようにぐんぐんと育っていく。

 このごろようやく「そんなものかな…」と納得できるようになったが、初めはかなり戸惑った。
 まるで日本と反対なのだ。
 日本だと夏の間、旺盛に繁っていた草むらが秋になるとだんだん枯れ果てて、黄色い枯れ野原になってしまう。
 ところがポルトガルでは反対に、それまで枯れ野原だったところがどんどんと緑豊かな草原になっていく。

 ポルトガルの秋は春と共にやって来るようだ。
 8月末から9月の初め、葡萄の収穫とワインの仕込みが終り、最初の一雨がくると、農家はいっせいにブルドーザーで畑を耕し始める。
 カチカチだった畑の土は深く掘り起こされて、種蒔きの準備で忙しそう。






 気候も目まぐるしく変る。
 晴れた日だと真夏に逆戻りで、半そでに短パン姿でちょうどいい。
 その気になるとビーチに寝そべって日光浴までできてしまう。
 ところがいったん曇ると、急に肌寒くなり、雨の日などは家の中は底冷えがして、あわててヒーターなどを納戸から引っ張り出してくることになる。

 家の中と外ではずいぶん温度差がある。だからこの季節の外出は服装にいつも失敗してしまう。
 ちょっと肌寒いかな…と思って上着を着て出ると、外は案外暖かくて汗だくになったり。
 他の人を見ると、しっかり上着を着ている人もいるし、まるで真夏のようにタンクトップ姿の人もいて、さすがにこれにはびっくりする。
 人さまざまなのだ。

 それでもやはり、秋の気配はしだいに色の濃さを増していく。
 街路樹の葉はいつのまにか黄色くなり、葡萄畑も少し赤く紅葉する。
 その下には緑の草が勢いよく成長している。そんなところに秋と春が同居しているのを感じる。

 秋の気配は町角からもやって来る。
 10月になるとどこからともなく煙が漂ってくる。
 煙につられて角を曲ると、そこに煙の正体を発見する。
 夏の間アイスキャンデーを売っていたのが、秋の声を聞き分けて焼き栗屋に変身したのだ。
 パチパチと炭火のはぜる音、つやつやと光る栗の実。
 焼き栗屋のセニョールが栗の実をひとつずつ手にとり、小刀で切り目をいれる。
 それを粗塩といっしょに素焼きの釜に投げ込んで、下から炭火で焼く。
 まるで日本の焼き芋屋の屋台みたいだ。
 焼きあがった栗は一人前12個。
 それを電話帳を破ってくるりと筒状にした紙の中に入れてくれる。
 公園のベンチに座って焼き栗の皮をむくと、中から黄色い粒がほっこりと顔を出す。
 時には虫食いだったりして、そんな時はがっかりしてしまう。
 
 メルカドやスーパーの店先にも生の栗が並びだす。
 これは一キロが300円ほど。二人で食べて一週間はある。
 家庭ではどうやって栗を焼くのかというと、焼き栗専用の素焼きのポットがある。
 底が平らでポチポチといくつも小さい穴が開けてある。
 その中に栗を入れてコンロの上に置き、時々ポットをゆさぶると中の栗がこんがりと焼ける。
 でも我家にはそのポットが無い。
 安いものだからすぐ買えばいいようなものだが、ポットを買うのにブレーキがかかっている。
 というのも、専用のポットを買えばますます栗をたくさん食べてしまう。
 すると体重が増えることになる。それがこわい。

 しかし困ったことに専用ポットがなくてもシャッパスという便利なものがあったのである。
 ぶ厚い波状の鉄板に取っ手が付いていて、それをガスコンロの上に置いてなんでも焼ける。
 我家では朝のトーストをそれで焼く。
 そのシャッパスに切り目を入れた栗を並べる。
 そして、素焼きのどんぶりを栗の上にかぶせる。こうすると栗全体にまんべんなく熱が行き渡る。
 そして4分、栗を裏返してまた4分焼くと、こんがりとした焼き栗が出来上がる。
 でも一回に食べる栗は一人8個と決めている。せめてもの肥満防止策である。

 今年はもう「カクィ」が姿を現した。それも立派な姿の甘柿である。

 秋は美味しいものがめじろ押し。
 日本では「天高く、馬肥ゆる秋」
 ポルトガルではどんよりと雲垂れ込めて「天高くないけれど、馬肥ゆる秋」…あ~ぁ。 (MUZ)

©2002,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

 

(この文は2002年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.022. 羊飼い絵柄ピッチャー Jarro

2018-10-24 | 飾り棚

高さ 18cm

 ポルトガルのルドンドはフローサ工房のピッチャー。
 ワインを入れる壺です。
 お正月最初のこのコーナーにこれを選んだ理由は、大きく太陽が描かれているからです。
 でもこの太陽は「初日の出」という感じではなくてギラギラ照りつける真夏の太陽かもしれません。
 羊たちはどこか近くで草を食んでいて、羊飼いと牧羊犬は木蔭でのんびりといった情景でしょうか?

 その絵柄を中心に撮影したので、取っ手はうしろに隠れてしまいました。MUZ

©2018 MUZVIT


K.21. 17世紀柄角皿 Travessa Sec.ⅩⅦ

2018-10-23 | 飾り棚

長さ 34.3cm

 我家の台所の壁にいつも飾って楽しんでいます。
 小あじの唐揚げの時に壁から外されておでまし。

 小あじはメルカド(市場)でたいてい1キロを買ってきます。
 ハラワタをエラから一気に引っ張り出し、塩コショーで味を付け、小麦粉をまぶし1キロ全部をいっぺんに揚げます。
 それをこの器に盛り付けるのです。
 簡単料理でお客さんの時のもう一品にも重宝です。

 普段二人ではとても食べきれませんので残りは「南蛮漬け」にします。
 玉ねぎ、人参、ピーマン、セロリなどを刻んで、砂糖、醤油、黒酢をぶっかけて出来上がり。

 「南蛮」とは文字通りポルトガル。
 ポルトガルにこのような料理があるのかな?と思っていたら、そっくりなのがありました。

 「カルパショ」という名前で夏の食べ物です。
 唐揚げした小あじに刻んだ野菜を酢とオイルでドレッシングしたものを、ジュワーとかけて食べるというもの。

 スペインに「カルパッチョ」という夏の冷たいスープがありますが、ポルトガルの「カルパショ」はスペインのとはちょっと違い、本当に「南蛮漬け」にそっくりなのです。MUZ

©2018 MUZVIT

 

 


K.020. 漁船 Barco de Pesca

2018-10-22 | 飾り棚

全長 27cm

 赤、緑、黄色。ポルトガルカラーの漁船。
 セトゥーバルの漁港にもこういったカラフルな漁船が、すこし前まではひしめきあって繋留してあった。
 でも残念なことにその数がだんだん少なくなり、いつの間にか青や白にだけ塗られた船が大半になってしまった。

 この漁船の置物はたぶん5~6人乗りだろうと思うが、昔はこれより大きな15人乗り位の帆漁船で、遥かノルウェー沖まで出かけ、バカリャウ(タラ)を漁ったりしたのだろう。
 古いニュース映画を見ると、北の海で荒波に激しく揉まれながら漁をしている映像がある。
 当然難破することも多かった。
 ファドにはそんなことを歌ったものがたくさんある。
 バカリャウは今ではノルウェーからの輸入物が多く、たぶんもうポルトガルからわざわざ漁船で出かけてはいないと思う。
 でも今でもマデイラ沖あたりにはこうした漁船で行って、太刀魚を漁ったりもするらしい。

 一方もっと小さな一人か二人乗りの漁船も港にはたくさんあり、岸壁に引きあげられてあったりする。
 それらは今もカラフルに塗りわけられている。
 それは公園の池にある貸しボートをふたまわり大きくしたほどのサイズしかない。
 そういった舟ではサド河の河口付近に産卵に来たサルゴ(黒鯛)を漁ったり、ショコ(モンゴイカ)やポルボ(タコ)を釣ったりする。

 獲物が湾内に押し寄せてくると一目瞭然に判る。
 朝早くから漁船がたくさん出ているのが我家の台所の窓から見えるからだ。
 「今日は50隻が出ている」とか「今日は70隻も出ている」とか言って数える事もできる。

 そしてその獲物はすぐにメルカド(市場)やその周りの立ち売りで売られることになる。
 港で揚がってくるのを待ちかまえていて漁師と交渉して直接買う人もいる。MUZ


©2018 MUZVIT

 


003. ショコフリット

2018-10-22 | エッセイ

 セトゥーバルに住み始めたころ、町を歩くと小さなレストランやアデェガ(一杯飲み屋)の入口の壁に「HA CHOCO FRITO」と書かれた張り紙を見かけて、いつも不思議に思ったものです。
 「HA」はあります。と言う意味。「FRITO」はフライです。
 そうするとまん中は「チョコ? チョコレートの天ぷら~?」


 「けったいなもんやなあ~、中国にはアイスクリームの天ぷらがあるぐらいやから…ポルトガルにもチョコレートの天ぷらもあるんやろか~?」
 甘い物の大好きなポルトガル人のこと、「ワインやビールのあてにチョコレートの天ぷらを食べるんやろか?」

 あんまりあちこちの店で張り紙を出してあるので、ある日思い切って注文をしてみました。
 やがて目の前に出されたお皿には、揚げたて熱々のイカの唐揚げが乗っていました。
 
 「CHOCO」というのは、イカ、それも紋甲イカのことだったのです。
 そして「CHOCO]はチョコではなく、「ショコ」と読むのも初めて知りました。

 もともとイカの天ぷらは好物です。
 その時以来、ショコフリットは外食する時のベストワンになりました。

 ところがこのショコフリット、どこにでもあるかというと、そうではないのです。
 私たちは今までポルトガルのほとんどの町を旅しましたが、セトゥーバル以外でショコフリットをレストランのメニューで見たことがありません。
 どうやらセトゥーバルの名物といってもいいのかもしれません。

 セトゥーバルにはショコフリットで有名なレストランが数軒あります。
 その中でもすごくはやっているのが港に面した「カイス56」という店。
 対岸のトロイアに行くフェリー乗り場の前にあり、夏の海水浴シーズンはもちろん、ふだんでも昼時は満席。
 土曜日や日曜日など行列ができて、かなり待たないと席に座れないほどです。
 隣近所にもレストランが十軒ほどずらりと並んで、ほとんどの店がショコフリットのメニューがあるのですが、行列ができるのはこの店だけ。
 やっぱり安くて美味しい店をみんなよく知っているのです。

 二人前注文すると大きな皿に三人前ほどの量が山盛り出てきます。
 厚さ三センチほどもある身を大まかに切って、それをカラリと熱々に揚げてあります。
 こんなにぶ厚い身だったらそうとう大きなイカです。
 身もかなり硬いはずですが、意外に柔らかく、しかもほのかに甘くてジューシー。
 
 ショコフリットとトマトとレタスのサラダにビール、それにバタータフリット(フライドポテト)に塩漬けオリーブ。
 デザートにメロン、最後にエスプレッソで締めくくり。
 食べきれずに残ったショコフリットは持ち帰り用に包んでくれました。
 
 メルカドの魚売り場の東側のいちばん角っこの売り場で、でっかい紋甲イカを専門に扱っている店があります。
 それこそひとつが十キロ以上もありそうな大きなイカです。
 「カイス56」などではこういうのを使っているから、あんなにぶ厚いショコフリットが出せるのでしょう。
 でも我が家はたった二人家族なので、こんなでっかいのを買うとなったら大変です。
 持って帰るのもやっかいですが、さばいて残りを冷凍庫に入れると、もうそれだけでいっぱいになってしまうでしょう。
 
 いつも、イカの唐揚げをする時はおおごとです。揚げるのがひと仕事!
 最初はシュワシュワとおとなしく油の中を泳いでいたかと思うと、突然パシーンと踊りあがってそこら中が油まみれになってしまいます。
 そこではじめに粉をまぶしておいて、次に溶いた粉にくぐらせてから揚げたら、なんとかうまく揚ったけれど、かなりゴアゴアになってしまいました。
 
 アゼイタオンの露店市に出ている屋台の中でショコフリットを出している店が一軒だけあります。
 この店のカウンターに座って、女将さんがショコを揚げるのを見ていると、ショコを水の中から引きあげて、タラタラと水のしたたるのを実に無雑作に粉をまぶして油のなかに放り込むのです。
 しかも女将さんは背が低いので、コンロに乗せてある油の鍋は女将さんの胸の高さです。

 “油がはねたら危ないな!” とハラハラしながら見ていたら、油はシュワシュワいうだけで、一度もパチ-ンとはねたりしないのです。
 不思議です。水切りもしないで油に入れて全然はねないとは…。
 
 どうしてあんなに無雑作にしてカラリとできるのだろう?
 粉は強力粉を使っているのは確かなのですが…。

 まだこの難問は解けません。
 ショコフリットを食べたくなったら、「カイス56」へ出かけることが今のところ正解です!(MUZ)

©2002,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2002年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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002. 煙ただよう

2018-10-22 | エッセイ

 ポルトガルの夏の風物は、なんといってもイワシの炭火焼。
 六月半ばごろから顔を出し始める。
 そのころにリスボンのアルファマ地区では「サルディーニャ(イワシ)祭」がある。
 石畳の細い路地にドラム缶をタテに二つに割ったコンロを出し、炭火をカッカと起こしてじゅうじゅうと音を立て、あたりにもうもうと煙を撒き散らしながらイワシを焼き、ビーニョ(ワイン)を飲み、ダンスを楽しむ。
 「初ガツオ」ならぬ「初イワシ」を食べる祭である。
 でもこの時期のイワシははっきり言ってあまり美味しくない。
まだ小さいし、脂があまり乗っていない。それに高い。なんでも「はしり」はばか高い。
 七月も末ごろになると、イワシはずいぶん大きくなり、
脂もこってり乗って、値段もかなり安くなる。
 さあ、これからが本格的なイワシの旬の始まりである。
キラキラ虹色に光るウロコをびっしり着けたイワシはコリコリとかたく身がしまり、焼いても、刺身でも美味しい。

 同じマンションに住んでいるセニョールメルローは一週間に少なくとも二回は焼き魚をする。
 彼は二階に住んでいるのだが、小型の鉄製のコンロと炭を抱えて下に降り、
玄関を出た所にコンロを置いて火を起こす。
自分の車の後にはメルカド(市場)で買ってきたばかりの魚がおいてある。
季節によってアジだったり黒鯛だったり、そして夏はだんぜんイワシが多い。
 
 昼時になると町のあっちこっちからイワシを焼く匂いが漂ってくる。
 我が家でも毎週土曜日は焼き魚をする。
土曜日はとびきり新しい魚が売っているので、いつもメルカドに行くからである。
 以前はベランダにコンロを出してやっていたが、
横に生えている松ノ木が大きくなって枝がせまってきたので、
今はキッチンの窓辺で電気コンロで焼き魚をしている。
でも味はやっぱり炭火焼にはかなわない。
 
 セトゥーバルのレストランはほとんどの店が魚の炭火焼をやっている。
 道路端に本格的なコンロを常設して、昼前になると炭火を起こす。
最初、炎がたっている時はピメンタ(ピーマン)を直接火の上に放り投げて焼く。
 こっちのピーマンは大きくてぶ厚く、皮がかたい。
皮がまっ黒こげになるまで焼いてから皮を取りのぞくと、「焼きナス」ならぬ「焼きピーマン」の出来上がり。
これをきざんでオリーブオイルと酢と塩コショーであえて、
味がなじむまでしばらくおいてからサラダで食べる。
 肉厚ピメンタのサラダはなかなか美味しい。
これにニンニクのきざんだのを混ぜるとますます旨い。
 
 レストランではイワシはウロコをつけたまま天然の粗塩をまぶして焼いて持ってくる。
 ウロコがしっかりついているのが新鮮な証拠になる。
鮮度が少しでも落ちるとウロコははげ落ちてしまう。
焦げ目のついたウロコごと試しに食べてみると、シャリシャリとした感触で意外といける。
 イワシは青海苔を食べているので、はらわたがまた青海苔の香りがしてとても美味しい。
まるでアユを食べてるようだ。
白く透き通った脂や卵や白子がいっぱい詰まっている。
 
 ある日、ルジェロの家に昼食によばれた。
 魚や肉の炭火焼をごちそうしてくれたのだが、
サルディーニャが焼きあがってくると、ルジェロは一枚のパンを皿に置き、その上にイワシを一匹乗せた。
そしてウロコのついた皮をむいて取り除き、頭と骨は捨てて、身を指でむしりながらビーニョを飲んだ。
 「サルディーニャはこうして食べるのがいちばん旨い!脂の染み込んだこのパンを最後に食べる。
 これがセトゥーバレンセ(セトゥーバルっ子)のやり方だよ」と自慢げに言った。
 なるほどこれならイワシの脂もパンに染み込んでいっそう美味しく食べられる。
バターもいらない。それにお皿も汚れない。一石二鳥のうまい食べ方だ。
 昔から伝わってきたセトゥーバルの漁師の食べ方かもしれない。
 
 




 セトゥーバルの昔の絵葉書にはオイルサーディンの工場を写したものが何枚もある。
 海岸沿いにオイルサーディンの大きな工場がいくつも操業していたらしい。
今はすっかり廃虚になって、それもこのごろどんどん取り壊して
高層のマンションに建て替えられてしまった。
 
 対岸のトロイアにはローマ時代の遺跡があり、
どっさり取れたイワシを塩づけに加工していた大きな穴がいくつも見られる。
このサド湾には大昔からイワシの大群が押し寄せていたのだ。
 
 でも残念なことにイワシのシーズンは九月の声を聞くとすぐ終ってしまう。
 その次はサバの大群がやって来る。
 そのころはセニョールメルローもサバを買ってきて焼くことだろう。
 もちろん私たちも…。
 そして町中に焼き魚の煙がただよう。 (MUZ)

©2002,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

 (この文は2002年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)武本睦子

 

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K.019. 線彫り呉須彩画オリーヴ入れ Azeitoneira

2018-10-22 | 風物

直径 13.5cm

 ポルト・コーボと地名の入ったヴィアナ・ド・アレンテージョ製のオリーヴ入れ。
 ポルトガルのアズレージョ(タイル絵)のアズール(青)の一色で細かい柄が描かれているが筆使いはいかにも素朴である。
 私がオリーヴ入れが好きな理由の一つに、一旦ろくろで丸い形を成型した後、種入れの部分を作るために仕切りを入れる。
 その時に手で捻る、そのためにどうしても歪みがでる。
 そしてひとつひとつに趣が加わる。
 そんなところを楽しんでいる。

 今の時期オリーヴ漬けのNOVO(新しいの)が市場などに出まわりはじめる。
 古漬けも良いがNOVOも渋みが残っていて歯応えもありそれなりに旨い。
 ボージョレヌーボーではないが「どれどれ今年の出来具合は…?」などと言って買ってみる。
 アゼイトナ(オリーヴ)の出来は?
 ヴィーニョ(ワイン)の出来は?
 クェージョ(チーズ)の出来は?
 プレスント(生ハム)の出来は?
 チョリソ(サラミ)の出来は?
 アローシュ(米)の出来は?
 アグアデンテ(焼酎)の出来は?
 とあらゆる物のNOVOが出揃う。
 利き味に忙しい時期である。MUZ

©2018 MUZVIT

 


K.018. 素焼き蓋付き土鍋 Tacho com Tampa Vidrado

2018-10-21 | 飾り棚

直径 28cm

 素焼きに搾り出しで細かい絵柄を施し、上薬の掛ったバルセロス産の土鍋。
 セトゥーバルでは「アロス・デ・マリスコス」「アロス・デ・ポルボ」「マッサ・デ・シェルネ」といった料理に使う。
 アロス・デ・マリスコスとは海老、イカ、貝、白身魚などと米を一緒に炊き込んだ言わば雑炊。
 上等になるとイセエビが入る。
 アロス・デ・ポルボは蛸と米。
 マッサ・デ・シェルネはアラという大きな白身魚とマカロニの煮込み。
 その他にアンコウの入った「アロス・デ・タンボリル」などもある。
 この鍋は特大サイズなので少食の日本人用なら10人前は作れる。
 ポルトガル人なら4人前。
 我家では白菜、こんにゃく、ネギ、豆腐などを入れて日本式の「寄せ鍋」「鴨鍋」「あんこう鍋」などに使う。
 鍋は大人数で囲んで食べるほうが美味しい。
 それでついついなんでも大きいのを買ってしまう。
 2人には大きすぎるのだが鍋に合わせていつも作りすぎる。
 寒くなった今の時期当然出番は多くなる。MUZ

©2018 MUZVIT

 


K.017. 花模様中皿 Prato Pintura Flor

2018-10-21 | 飾り棚

直径 20cm

 サン・ペドロ陶器村はヴィッタル・ジャネイロ工房の絵皿。
 結構焼きは硬い方なのですが、重ねて収納していたら、残念ながらそのうわぐすり部分が少し欠けてしまいました。

 縁取りの図案と色彩が気に入っています。
 中心に描かれているのは何の花でしょうか?
 なんだか露草の様にも見えますが…

 3~5月頃に我家からこの陶器村に行くまでの道のりの牧場などはありとあらゆる花々で埋まります。
 黄色、青、ピンク、赤、紫と様々な花と鮮やかな緑が絨毯の様に地面を覆います。
 近寄って観察してみるとやはり日本の草花とは少しずつ違うようです。
 そして種類の多いのにも驚かされます。
 ひとつひとつに名前が付いているのでしょうが、それが判りません。
 本屋さんに行ってもそれらしい図鑑も見あたりません。
 また来年の春が来るのが楽しみですがその前に冬をやり過ごさねばなりません。
 せめて花柄の皿で暖かく食卓を飾りましょうか。MUZ

©2018 MUZVIT

 


K.016. 17世紀模様陶製卓上塩入れ Saleiro Cerâmica Sec.ⅩⅦ

2018-10-20 | 飾り棚

高さ 6.5cm

 この卓上塩入れは設計ミス?
 絵柄は可愛くて気に入ってはいるのですが、穴が小さくすぐに塩が湿気て詰ってしまって残念ながら使い物になりません。
 日本のさらさらした食卓塩なら使えるのでしょうが、ポルトガルの天然の粗塩では無理です。

 ポルトガルには全国各地に塩田があってスーパーでもどこでも普通に天然の粗塩が売られています。
 値段は安くて(1 キロが 0,21ユーロ) 40 円程もしません。
 毎年、我家では味噌を作ったり、梅干を作ったり、まためざしを作ったりもしますが、ミネラルを多く含んだ天然の粗塩を使うので結構美味しいのが出来上がります。

 我家から車で 20 分程走ったガンビアというところにも塩田があります。
 塩田は強い太陽に当って水分が蒸発し、少しずつ濃厚になり塩の結晶が作られていきます。

 そこには毎年 10 月頃からフラミンゴの群れが越冬のため渡ってきます。
 どうやらアフリカから来るらしいのですが冬のあいだにそこで子育てをするようです。

 さらに車で 30 分ほど走ったところには「アルカサール・ド・サル」と言う町があります。
 「塩の宮殿」と訳すことができるでしょうか?
 名前の通り元々は塩田の町だった様ですが、今では塩田は水田に取って替わられ米が作られています。
 そのアルカサール・ド・サルにはたくさんのコウノトリの巣を見ることができます。
 食事時には巣の中はどこも雛鳥の姿しかありません。
 親鳥たちは餌場の水田に集っているのです。
 水田には小魚などの餌が豊富にあるのでしょう。
 つまり農薬はあまり使っていない証拠なのだろうと思います。
 だから私たちも安心して米を食べ、塩を使います。
 時々はフラミンゴの群れや、コウノトリの雄大な姿を眺めに行くことを楽しみにしています。MUZ

©2018 MUZVIT


K.015. アルガルヴェ地方の煙突石膏壁飾り Chamine de Algarve

2018-10-19 | 飾り棚

高さ 14cm

 ポルトガルの屋根の上ににょきにょきと立っている煙突を初めて見た時は驚いた。
 アレンテージョ地方の田舎の村々を旅したらもっと驚いた。
 建物に不釣り合いなほど巨大な煙突が村じゅうにある。
 まるで煙突に家がくっついているようだった。
 形も大きさも様々で白一色の村にいっそう趣を与えている。
 そのユニークさがとても面白く魅力的だった。

 ポルトガルに住み始めてからさっそく、日々の生活を綴った不定期新聞を作り、タイトルを「ポルトガルのえんとつ」と題した。
 そしてタイトル画にせっせと様々な煙突を描いてきた。
 その不定期新聞「ポルトガルのえんとつ」も、1990年の創刊以来この程107号を数えた。
 タイトル画の煙突を107個描いたことになる。
 文章も少なくとも107以上は書いてきたわけだ。
 そして私の初めての本の題名も迷わず「ポルトガルのえんとつ」と名付けた。

 アレンテージョの煙突に比べてアルガルヴェ地方の煙突は繊細で華麗だ。
 やはり形は様々で、各家々でその華麗さを競い合っている様にも見える。

 これはそれのみやげ物として石膏で作られた壁飾り。
 写真では座りが悪くひょこ歪んで写っているが、本物の煙突も歪みかげんはこれと大差ない。

 これらの煙突から白い煙が立ち昇る頃には各家々から夕餉の良い匂いが漂ってくる。MUZ


©2018 MUZVIT

 


K.014. オリーヴの実落しの絵柄オリーヴ入れ Azeitoneira

2018-10-19 | 飾り棚

直径 11.3cm

 このコーナーにオリーヴ入れが登場するのは3回目。
 でもまだまだ続きます。

 サン・ペドロ陶器村はヴィッタル・ジャネイロ工房作。

 オリーヴの木の下にビニールを敷いておいて棒で実を叩き落す様子が描かれている。
 黒々としたでっかい実も面白いが「こん畜生」と言わんばかりのおばさんの表情が良く描けている。
 種を入れる部分に描かれた袋はたぶん収穫したオリーヴを入れたものだろうが、実を売ったお金がどっさり入る様にとの願望かも知れない。
 黄金色に輝いた袋は金塊でも入っているようでもあり豊かな気分?になる。

 大規模なオリーヴ農家になると、このように棒で叩き落すのではなくて、重機で幹をつかんで木全体をガタガタ震わせて実を落す。
 ひどく乱暴なやり方だと思うが効率は良さそう。
 でも木が傷んでしまわないか心配になる。MUZ

©2018 MUZVIT