FELIZ ANO NOVO
ポルトガルの元日は日本と違ってひっそりと静まり返り、午前中などは道を歩いている人の姿をめったに見かけません。それどころか走る車さえまばらです。
ところが大晦日の夜はどこもかしこも大騒ぎ!
メルカドなどは朝からそわそわ、浮かれ調子で商売そっちのけです。
魚屋のセニョーラ達はどっからともなく回ってくるビーニョをぐびぐび飲みながら、包丁片手に魚をさばいています。
普段の日は昼の一時近くまで店を開いているのですが、大晦日は特別で、11時ごろにはばたばたと店をたたんで、大急ぎで帰りじたく。
買物客も追い立てられるようにメルカドを後にします。
大晦日はカニやエビを売る台にたくさんの人が群がり、年末の特別高値にもかかわらず…みんなどっさりとキロ単位で買い込み、いそいそと家路を急ぎます。
大晦日は家族一同が集ってご馳走を食べ、ビーニョをあおり、大騒ぎをして一年の最後を送り出す日なのです。
私たちがこのマンションに住み始めた年のことです。
棟割長屋になっているガレージの一軒で大掃除が始まりました。
「ポルトガル人も日本とよく似た事をするもんだ!年末のすす払いかぁ」と感心して見ていました。
やがて数日かけて大掃除をすませたかと思うと、こんどは入口にパカパカと点滅する電飾をつけました。
「大掃除にしたら、念が入りすぎとちゃうか?」
「なんかバルかカフェみたいな雰囲気やなぁ、何が始まるんかな?」と、私は自分とこの掃除はそっちのけで、窓からしょっちゅう顔を出して下を覗いていました。
なにしろ私たちは引っ越して来たばかりで、家の中は埃もなくきれいなものでしたから、掃除ぎらいな私は時間がたっぷり。
ご近所の観察に専念できたのです。
いよいよ大晦日。
夕闇がせまると、例のガレージでは電飾がにぎやかに点滅し、人の声が少しずつ高まってきました。
人があわただしくガレージに出入りして、外にはコンロをふたつ並べて炭火をパチパチおこし、魚とチキンを次々と焼き始めました。
ガレージの中には椅子やテーブルもセットされているようです。
コンロの回りでは十人以上の子供たちが今から始まるパーティーに、もうすでに興奮して走り回っています。
思えば私の子供のころも同じだったなぁ。
毎年元旦は親戚一同が集り、私はいとこ達の先頭に立って、家の中を運動場のように走りまわったものです。
日がとっぷりと暮れるとガレージの中には灯がともり、外で騒いでいた子供たちもいつのまにか中に入り、ガヤガヤと喋りながら食事をする音が賑やかに聞こえてきました。
我家では大晦日にはうどんを作ります。
朝から仕込んで寝かせてあったのを、「年越し時間」が近くなるころに食べます。
でもなかなか思ったようにうまくはできなくて、いつもがっかり。難しいものです。
私たちが「年越しそば」ならぬ、あまり出来のいいとは言えない「年越しうどん」を食べ終わったころには、ガレージパーティはますます勢いづいて、ヴォリュームをいっぱいにした音楽に合わせてダンスが始まりました。
いつのまにどこから集ったのか、数十人に増えた人々は最初は普通に二人で手を取り合って踊っていましたが、だんだん人の輪がつながって、ムカデ凧のように相手の腰につかまって歓声をあげながら踊っています。
「わっしょい、わっしょい!」と、まるで神輿を担いでいるような声に聞こえました。
そしていよいよ夜中の12時1分前!
それまで大騒ぎをしていた声が突然ピタリと止み、あたりはシーンと静まりかえりました。
その時、ドーンと一発の花火の音!
それと同時に人々はいつの間にか手に持っていた古鍋やフライパンをカチャカチャとたたき始めました。
あっちでもこっちでも鍋をたたく音。
そしてガチャンガチャンと茶碗、皿をたたき割る音が遠くからも聞こえてきます。
旧年中に使っていた欠けた食器をこのときとばかりに窓から外にむかって放り投げて叩き割る習慣です。
まるで日本の「節分」の「鬼は外!」の雰囲気を感じます。
「フェリス・アノ・ノーボ!」(新年に幸せを)
人々は歓声をあげてお互いに抱きあい、祝福のキスをしています。
夜空にはドーンドーンと百連発の花火が打ち上げられ、ポルトガルで初めて見た「冬の花火」に、私たちはいつまでも魅入っていました。
そしてそれから10年。
ポルトガルで13回目のお正月を迎えます。
「フェリス・アノ・ノーボ!」
MUZ
©2003,Mutsuko Takemoto
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(この文は2003年1月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)