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ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

009. ダムに取り残された兎の運命

2018-10-24 | エッセイ

 アレンテージョに大規模なダムが完成した。
 モンサラスの麓を流れるグアディアナ川をせき止めて、そこにダムを作ったのだ。
 グアディアナ川は地図を見ると、スペインのトレド山あたりに源流を発し、バダホスで国境を越えてポルトガルに流れ込み、エルバスからモンサラスの麓を通り、モウラ、メルトーラと、アレンテージョ地方を南下してアルガルベ地方のサント・アントニオで大西洋に注ぎ込む。

 もう6~7年前になるだろうか、モウラに泊まった時のこと。
 夕食で入った中華レストラン「熊猫(パンダ)飯店」のウェイターが、私たちが日本人だと知ると、「この町にも日本人が一人、ホテルに長期滞在している。毎晩この店に食事に来るよ」と言った。
 こんな内陸の小さな町で長期滞在して何の仕事をしている人だろうと不思議に思って尋ねると「この近くでダムを作ってるそうだ」と話していた。
 次の朝、ホテルの朝食のサロンに行くと、私たちと入れ替わるように急いで出かけていく、作業着姿の数人を見かけた。
 その中に東洋人が一人いた。
 どうやらその人が前夜ウェイターが言っていた日本人だったのだろう。
 日本の企業がこんな所まで来てダム建設を請け負っているとは、かなりの驚きだった。

 その時、私たちはモウラからバランコスのヌーダール城を訪ね、それからルス(LUZ)という小さな村からちょっと奥にある城跡に行った。
 いつもそうだが、私たちの旅は地図に載っているお城のマークをたよりに探して行く。
 そこにどんな城がどんな姿であるのか全然知らずに訪ね歩く。

 LUZ(光)村を通り過ぎて野原の中をずいぶん走った。
 雑木林にさしかかった時、アライグマのような動物が罠にかかっているのを見かけた。
 そのあとすぐに、ものすごい爆音を轟かせて砂ぼこりを舞い上げながら走って来る旧式バイクとすれ違った。
 見かけたのはそれだけで、やがて道は急に途切れて終ってしまった。
 しかたがないのでそこに車を停めて、目の前にある茶褐色のちょっとした岩山に上ってみると、そこにはスレート状の自然の石を積み上げて作られたLUZ城の跡が残っていた。
 片方は断崖絶壁ではるか下の方にグアディアナ川の流れが見え、吹き上げて来る風が心地良かった。
 スペインとの国境に近いので、昔は兵隊たちが、川を下ってくる敵がいないかいつも見張っていたのだろう。
 LUZ城は断崖の上に立つ砦だったのだ。
 帰りに、罠にかかっていたアライグマはどうしているかと気になって注意して見たけれど、もうどこにも姿は見えなかった。
 ひょっとしたら、旧式バイクに乗っていた男が持って帰ったのかもしれない。
 アライグマの尻尾の付いた毛皮の帽子は露店市で時々売っている。
 このあたりは野生の小動物が多いのだろうか…。

 旅から帰って数ヶ月が過ぎた頃だったと思う。
 TVのニュースを見ていると、大掛かりなダムの工事を報じていた。
 その中で突然LUZ村が出てきたので驚いた。
 LUZ村がダムの底に沈んでしまう…という。
 村全体で新しい土地に移転させられる計画が進んでいるらしい。
 村の老人たちは「生まれ育ったこの村が水没するのは悲しい!」と淋しそうな顔でインタビューに答えていた。

 そして今年、いよいよダムは完成した。
 LUZ村では村の人口の何倍もの人々が押しかけて最後の盛大な祭が開かれた。
 村の古くて小さな礼拝堂は移転できずにそのまま残され、アレンテージョ地方の伝統的な造りの村の家々も廃虚となって水の底に沈んでしまった。
 LUZの城跡も沈んでしまったのだろうか?
 よく判らない。今度確かめに行ってみよう。

 日本でも、「五木の子守唄」の古里、熊本の五木村がダムの底に沈むらしい。
 反対運動を押し切っての決定だという。
 何十年も村の子供たちを見守ってきた、古い木造校舎も取り壊されるというので、子供たちがその校舎の姿をみんなで木版画として残した。
 そして村に伝わる「正調、五木の子守唄」をなんとか保存していくために、小学生の男の子二人が村の古老に教わって、五木小学校の最後の卒業式でそれを唄って披露した。
 それは私が知っている「五木の子守唄」とはかなり違って、もっとゆっくりしたテンポの素朴で哀調をおびた唄だった。
 これは今日(2003年3月28日)のNHK国際放送のニュースで見たひとコマである。

 ダムに沈んだLUZ村はアレンテージョ地方に属する。そこにも、とてもいい唄がある。
 農家の男達が十数人で歌う力強い合唱で、まるで日本の「木やり節」を聞いているような気持ちよさがある。
 無伴奏で、次々に掛け合いのように唄い、絶妙なハーモニーで、聞く者の胸に響く。
 町や村によって少しづつ調子が異なるようだ。
 LUZ村にもひょっとしたらこうした唄があるのかもしれない。
 あるとしたら一度聞いてみたい…。

 ところでこの二、三日、ちょっとした騒ぎが持ち上がった。
 ダム湖に沈んだ山のてっぺんが島となって残り、そこに小動物が取り残されてしまったのだ。
 そこで、動物愛護団体がボートで救出に乗り出した。
 でも相手は野生動物だからすばしっこく逃げ回ってなかなか捕まらない。
 おもに兎が多いようだが、中には追い詰められて水の中に飛び込んでしまうのがいて、哀れ、溺れ死んだのが三匹いたらしい。
 こんなこともあった。
 兎の巣穴に手を突っ込んでも捕まえられない。
 そこで一計を案じて、小さな黄金色のイタチを巣穴に入れてイタチのしっぽをつかんで引っぱったら、やっと兎を巣穴から引き出せた。
 ところが兎を持ち上げると、兎に噛み付いたイタチがいっしょにぶら下がって、いつまでも放さない。
 「もういいんだよ、放せ、放せ!」
 動物愛護団体の男性はとても困っていた。

 こんなに苦労して保護した兎たちはモンサラスの野原に放す計画らしい。
 でもモンサラスの農夫は困っていた。
 「兎がこれ以上増えたら牧草を食い荒らすからなあ」と、とても迷惑そうだった。

 ダムから救い出された兎たちはいったいどこに行けばいいのだろう…。

MUZ

 

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。
一切の無断転載はご遠慮下さい。

(この文は2003年4月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

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008. 塵(ゴミ)は外

2018-10-24 | エッセイ

 私はどちらかというと掃除が嫌い。
 しかし掃除をしないわけにもいかない。
 そこである日決心して、毎週月曜日は掃除の日と決めた。
 ところが月曜日になると、「今日はもうすぐ雨が降りそうだから、掃除は明日にしよう…」と理由を見つけて翌日に延ばしてしまう。
 火曜日になると「今日は買物に行かなくちゃ」で、また翌日に繰り延べ。
 そして木曜日か金曜日にとうとう観念して、やっと掃除機を取り出してドタバタと掃除を始める。
 
 私が掃除を嫌いなのは我家の掃除機にも責任がある。…と思う。
 いや、絶対ある!
 そもそもこの掃除機は買った時には電気コードが自動的にスルスルと収納されるはずだった。
 それなのに、買ってすぐにガチッとすごい音がしてコードを噛んでしまい、それを取り出すのに大騒動だった。(「ポルトガルのえんとつ」P173”アシュピラドールにご用心”参照)
それ以来コードの収納は手巻き式。
 何のために高い金を払って自動式を買ったのか解らない。
 買うときに電気屋で「自動式にしますか? それとも手巻き式にしますか?」と尋ねられて、高い方の「自動式」を選んだのに。
 
 それでもこの掃除機をもうかれこれ十年近く使っている。
 モーターはすごく元気がいい。しかし見てくれは、全身傷だらけ!
 T字型はブラシの部分が磨り減ったので、ずいぶん前に新しいのに取り替えた。
 ところがどうも吸い込みが悪いと思ったら、ホースの部分が数箇所割れ目ができていた。
 応急処置でビニールテープでグルグルと巻いてふさいだらうまくいったので、いまだにそのまま使っている。
 でもこのホースが厄介者である。
 ホースというのは柔らかくて自由自在に動くのがあたり前(日本ではそうだった)のはずなのに、いざ掃除を始めると、主人である私の動きと反対に突っ張って、自己主張が強く、頑としていうことを聞かない。
 掃除機をかけている間中、私はホースとの綱引きをしながら、引っぱったり蹴っ飛ばしたりして、へとへとになってしまう。
 ああ、掃除は嫌い!
 
 ところが世の中には、嬉々として毎日掃除にせいを出している人がいるものだ。
 我家の下の階に住んでいるナターリアおばさんもその一人。
 彼女は掃除が大好き! いや、彼女にとって掃除は生きがいといっていい。
 ナターリアおばさんの家の中はぴっかぴか。チリひとつ落ちていない。
 棚や壁にはたくさんの小物が飾ってあってさぞかし掃除に手間がかかると思うのだが、ほこりひとつ見あたらない。
 我家とえらい違いだ。

 でも困った事がある。
 ナターリアおばさんに限ったことではないが、自分の家はぴっかぴか、そしてほこりやゴミはすべて外。
 「ゴミは~ッ外!」とばかりに、毎日せっせと窓からパタパタとする。
 乾いた布で棚や家具を拭いては窓からパタパタ、足ふきマットや絨毯をベランダの手すりに乗せてバタバタ。
 それを見て、私たちは最上階に住んでいるので「関係ないわ…」と思っていた。
 そして、ベランダで日光浴をしたり、煮干を乾したりしていた。

 でもある日、ふと窓の外を見ると、ふわふわと綿のような物が漂ってきた。
 不思議に思ってベランダに出てみると、下の階でナターリアおばさんが例によってパタパタをやっている。
 綿のようなふわふわとしたものはそこから飛んできていた。

 やっと私は気が付いた。
 砂やゴミは下に落ちてゆくが、綿ぼこリのような軽いものは風に吹かれて上の方に舞い上がってくるのだ!
 今まで、「最上階だから大丈夫…」と安心していたけれど、思わぬ落とし穴、いや、天上の穴があったのだ。
 そうと解ってからはもうベランダで梅干しや煮干を安心して作れなくなった。
 そういった時期は、一日中耳に神経を集中して、よその家がガラガラと窓を開ける音がすると、「それっ!」とばかりに、梅干しや煮干をすばやく家の中に取り入れることになった。
 ああ、疲れる!

 窓からパタパタするのはナターリアおばさんだけではない。みんながする。
 それで私も一度だけやってみた。
 裏の窓を開けて、下を誰も通っていないのを確かめてから、マットを持って恐る恐るバタバタとやった。
 そのとたん、下から強風が吹き上げてきて、はたき落としたはずのほこりを全部被ってしまった。
 なんということ!
 「郷に入っては郷に従え…」と言うけれど、「慣れないことはするもんじゃない!」 と身に染みて感じた。
 高度な技術がいるのだ。
 それにやっぱり気が引ける。

 我家ではなるべくマットや絨毯は使わないようにしているが、それでもいくつかある。
 室内ではスリッパに履き替えているが、いつのまにか砂やゴミが溜まっている。
 掃除機で吸い取ってもなかなか取れない。
 そこでバスルームの窓を開け、タオルなどをよそへ片づけてから、バスタブの上でバタバタとやることにしている。
 するとバスルームはホコリがもうもうと舞い上がるから急いでドアを閉めて、逃げ出す。
 しばらくして、ホコリがバスタブに舞い落ちたころを見計らって、掃除機で吸い取る。
 でもここでまた掃除機のホースが邪魔をして綱引きを始めるんだもんね…。
 だから私はますます掃除が嫌いになるのだ。うっ、うっ!
 掃除ロボットがほしい!
MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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007. 滞在許可を更新しなくっちゃ!

2018-10-24 | エッセイ

 前に滞在許可をもらってからあっという間にまた申請手続きの期限がせまってきた。
 それというのも前回は申請してから許可の通知が来るまでなんと九ヶ月間もが過ぎていた。
 許可された期間は二年間。もうすでに十年間も住んでいるので、今回は永住許可とはいかないまでもせめて五年間はもらえるものと期待していたのだ。
 ところがたったの二年間、しかもすでに九ヶ月は過ぎているので、残りは一年と三ヶ月しかない。
 その期間があっというまに過ぎてしまったのだ。
 ああ、忙しい!

 準備する書類は何か変化があるかもしれないので、まず日本大使館に電話をして確かめた。
 それによると、「無犯罪証明書」というのを取らないといけないらしい。
 これは最初にヴィザを申請するときに日本の警察から取り寄せて出した事があるが、今度はポルトガル国内での「無犯罪証明」が必要になったらしい。
 それはどこに行けば発行されるのかというと、リスボンの場合は「シダダオン」という役所だけれど、セトゥーバルの場合ははっきりとは分らないということだったが、
 住所を教えてもらったので、一応そこへ行ってみることにした。

 住所をたよりにたどり着いたところはなんと以前お世話になったことのあるパソコンショップの隣だった。
 二階建てのガラス張りのこの建物は人の出入りが多くて、以前から「何だろうか?」と思っていたのだった。
 でも駐車場が全然見あたらない。
 しかたがないので、大通りを渡ったショッピングセンターの駐車場に行ったところ、ちょうど出て行く車が一台あって、うまく駐車できた。広い駐車場は満車だ。
 ところが「シダダオン」では「ここではない、メルカドのそばの裁判所へ行きなさい」とのこと。
 がっかり! やっとの思いで駐車したのに!

 でも急いで裁判所にいかなくちゃ! 昼休みになってしまう。
 こうなると無料の駐車場など探している暇はない。
 裁判所の横の有料駐車場に車を停めて事務所まで走った。
 運良く受付はガラガラ、暇そうにしていた。
 「ああ、これですぐにできる」と喜んだのもつかの間、係りの女性は「証明書の発行には一ヶ月かかりますよ」と言った。
 「えっ、うっそー」
 「うそではありません。ここで申し込むと一ヶ月はかかります。」
 「そんなばかな!冗談でしょう?」
 係りの女性はちょっと恥ずかしそうな顔をしながら、さらにこう言った。
 「もしリスボンに行って手続きをしたら、一時間でできますよ」
 「ええーっ?」
 私は耳を疑った。ここで一ヶ月かかるのが、リスボンの役所で一時間でできるだろうか?信じられない。
 とにかくリスボンに行くしか道は無い。
 でも人から聞いた話によると、リスボンの役所で何かの手続きをしようとすると、どこでも長蛇の列で自分の番が来るまで一日仕事だという。
 実際にTVのニュースでも何回も取り上げられている。
 しかも、もうお昼。今からリスボンに行ってもそんなことだと話しにならない。

 今日はセトゥーバルでできることをやってしまおう!
 まず銀行に行って預金の残高証明書を取らなくちゃ!
 銀行のまわりの駐車場はいつも空いていたためしがない。
 ちょっと遠いけどメルカドの裏ならどこかにスペースがあるのでそこに行って車を停めた。
 天を仰ぐと、抜けるような青空。でもとても冷たい風がびゅうびゅうと吹いている。震えあがる。
 北の空にどす黒い雲の固まりが目に入った。でもこんなに晴れている、まさか雨にはならないだろう。
 ところがメルカドまで来るか来ないうちに突然大粒の雨が地面にバッシバッシと降り出した。
 またたくうちに大雨になり、二人で傘一本では間に合わない。慌てて軒下に雨宿り。かなり濡れてしまった。
 回りには数人が逃げこんできて、濡れた髪や服をしきりに拭いている。まるで熱帯のスコールのようだ。
 小止みになったので銀行まで走った。

 銀行はたくさんの人でごった返していた。
 おまけに昼の時間なので受付の行員は交代で食事に出かけて、窓口は半分しか開いていない。
 窓から外を見ると、真っ青な空が見える。雨はすっかり上ったようだ。
 小一時間ほど待たされてやっとビトシの証明書ができた。
 次は私の残高証明書を取りに別の銀行に行かなくちゃ!

 外に出て歩いている途中、ポツリ、ポツリ、ザーッとまたもや雨が降ってきた。
 横なぐりの強風と雨で傘がさせない! べっとりと濡れて銀行に着いた。
 さっきの銀行から十分ほどしか離れていないというのに。

 次は証明書用の写真を撮ってもらわなくっちゃ!
 市役所の隣の文房具屋へ。
 ところが入口が閉まっている。
 もう三時だから、昼休みは終って店が開く時間なのにまだ開いていない。
 止んでいた雨がまた降り出した。慌てて市役所の軒下に逃げ込んだ。
 しばらくして店主がようやく現われたころには、お客が7、8人ほどもたまっていた。
 この広場のまわりには市役所の他にも警察や移民局などの役所がかたまっているので、提出する書類のコピーや写真を撮る人々がこの店にやってくるのだ。
 先頭のお客がさっそく顔写真を撮ってもらった。
 それが終ると、店主はそそくさとコーヒーを飲みにカフェに行ってしまった。
 女店員ができあがったインスタント写真を持ってドライヤーで乾かし始めたとたん、ガタッと音がして電気がいっせいに消えた。停電だ。
 なにしろ狭い店内に大型のコピー機が四台もあっていっせいにスウィッチを入れて、ドライヤーまで点けたので電気の容量がはちきれてしまったらしい。
 女店員は慌てて店主を呼びに走って行った。
 残された私たちお客はおとなしくじっと待つしかない。
 女店員と一緒に帰ってきた店主は慌てることもなく、店の隅の壁を開け、電気のブレーカーを上げた。
  お客はその間も一人、二人と増え続け、女店員は大忙し。
店主もカフェに引き返すのをあきらめたのか、まじめに働き始めた。
 最初に写真を撮ったお客は出来上がった自分の写真を片手に持って、ドライヤーで乾かしている。
 店主と目が合うと、ニヤッと笑いながら続けた。どうやら店の常連らしい。
 やっと私たちの番がきて、店の隅っこの壁の前に立ち、女店員がポラロイドカメラを構えた。
 ビトシは一発でOKだったが、私は思わず目をつぶってしまって取り直し。
 どうも写真を写されるのはにがて。
 二回目はうまくいって、証明書用の写真が四枚できあがった。
 ああ疲れた。あっちに走り、こっちに走り、おまけに雨にまで降られてまいった、まいった!

 次の日は朝九時に家を出た。出勤時間帯を避けたつもりが、家を出てすぐに渋滞に引っかかった。
 高速道路に入るとスムーズに流れ始めたので、これならいつもどおりの時間で行けると安心していたら、リスボンの入口に架かるヴァスコ・ダ・ガマ橋を降りたところから渋滞に突入してほとんど動かなくなってしまった。
 そこから万博会場だったガレ・オリエンテの駐車場まで延々四十分以上のろのろ運転。
 いつもなら十分もかからない場所なのに。
 メトロに乗って二回乗り換えて、カンポ・ペケェーニョの駅から地上に出ると、また雨が降り出した。
 しかも嵐のような強い横殴りの雨と風に持っていた傘がそっくり返ってしまったほど。

 目指す役所はどこなのだ!
 通りの角には道の名前を記したタイルが建物の壁に張られているのだが、一階の店のテントですっぽり隠れてしまって見えない。
 ビルの軒先で雨宿りをしている人に尋ねて、ようやく目指す役所にたどり着いた。
 もう十一時。
 たくさんの人でごった返しているだろうと覚悟してドアを開けたら、ガラーンとして誰もいない。
 受付の女性が三人、暇そうにしていた。
 「あっ、また違う所に来てしまった!」と、一瞬ドキリとしたのだが、係りの女性は愛想良く、「ここですよ」と言ってくれたので一安心。
 持ってきたパスポートを出すと、すぐにコンピューターに入力して書類を作り、それにこちらがサインして手数料を払うと、彼女はにこやかに笑って、「これで終わりましたよ」と、書類を渡してくれた。
 「ええっ、これで全部終り?」
 ものの五分と経っていない。
 一日仕事だろうと覚悟していたので、あまりの簡単さにびっくり、拍子抜けがしたほど。良かった、良かった。
 でもこんな簡単な事がセトゥーバルの事務所では何故一ヶ月もかかるのだろう?不思議?

 翌日、いよいよ「外国人登録局」に出かけた。用意した書類はこれで全部そろったと思う。

申請書 1

Requerimento 1

申請書 2

Requerimento 2

パスポートコピー

Passaporte fotocopia

滞在許可書コピー

Autorização de Residencia fotocopia

滞在許可書オリジナル

Autorização de Residencia original

写真2枚

Fotografia

無犯罪証明書

Certificado registo criminal

銀行残高証明書

Banco com Sald medio mensal


 セトゥーバルの事務所は町のど真ん中にある。
 小さな古いエレベーターは毎日たくさんの人たちが乗り降りするので、四階のボタンだけがひどく磨り減っている。
 事務所には順番を待っている人が十数人いた。さっそく番号札を取ると、37番。
 待っている人に「今何番の人が手続きをやってるの?」と尋ねたら、18番だとのこと。
 ということは私たちの番が来るまで、一人あたり5分かかるとして100分はかかる。
 外に出て一時間ほど時間をつぶすことにした。

 商店街は一月の10日ぐらいから冬のバーゲンセールが始まる。
 いつもなら20%引きから始まって、徐々に30%、50%、70%と割り引いていくのだが、今年は始まってそうそうにもう50%引きの張り紙を出している店もある。
 不況のせいだろうか、あまり買物客が群がっている店を見かけない。

 ひとまわり歩き回って、その後ボカージュ広場にあるカフェに入ってコーヒーを飲んだ。
 いつもなら外のテーブルに座るのだが、風が冷たいので中に入り、日当たりの良い席を見つけて座った。
 何人かの老人たちが空になったコーヒーカップを前に何をするでもなく座っている。常連客ばっかりだ。
 その中にどこかで見かけた顔があった。
 文房具屋の店主だ。どうやらこの店が彼の行きつけのカフェらしい。
 おとといの停電した時も、女店員がここに彼を呼びに来たに違いない。

 一時間ほど経って、もうそろそろ私たちの番が近づいてきたころだろうと腰を上げた。
 エレベーターから出て事務所に入ると、驚いた事に待っている人は数人しかいない。
 「今何番の人?」と尋ねると、43番だと言う。
 しまった、もう過ぎてしまった!
 待っている人たちが口々に私たちに「何番を持ってるのか?」と聞くので、番号札を見せると、「もう過ぎてしまったよ」「また新しく取り直さないと」と言う。
 思ったより早く進んだようだ。仕方がない。また番号札を新しく取り直した。
 それから数人が終るまで待って、準備してきた書類を出すと、すんなりと終った。
 「これで受け付けました。あとは自宅に郵便で通知がきたらそれを持ってまたここに来てください」
 「いつごろになりますか?」
 「さあ、それはわたしには判りません」

 何ヵ月後に通知が来るのか判らないが、申請中の書類があるのでだいじょうぶ。
 旅行も自由にできるし、日本にも往復できる。
 これで安心、安心。
 それにしても、ああ、疲れた!

MUZ 

©2003,Mutsuko Takemoto
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006. フェリス・アノ・ノーボ

2018-10-24 | エッセイ

FELIZ ANO NOVO

 

 ポルトガルの元日は日本と違ってひっそりと静まり返り、午前中などは道を歩いている人の姿をめったに見かけません。それどころか走る車さえまばらです。

 ところが大晦日の夜はどこもかしこも大騒ぎ!

 

 メルカドなどは朝からそわそわ、浮かれ調子で商売そっちのけです。
 魚屋のセニョーラ達はどっからともなく回ってくるビーニョをぐびぐび飲みながら、包丁片手に魚をさばいています。
 普段の日は昼の一時近くまで店を開いているのですが、大晦日は特別で、11時ごろにはばたばたと店をたたんで、大急ぎで帰りじたく。
 買物客も追い立てられるようにメルカドを後にします。
 大晦日はカニやエビを売る台にたくさんの人が群がり、年末の特別高値にもかかわらず…みんなどっさりとキロ単位で買い込み、いそいそと家路を急ぎます。
 大晦日は家族一同が集ってご馳走を食べ、ビーニョをあおり、大騒ぎをして一年の最後を送り出す日なのです。

 私たちがこのマンションに住み始めた年のことです。
 棟割長屋になっているガレージの一軒で大掃除が始まりました。
 「ポルトガル人も日本とよく似た事をするもんだ!年末のすす払いかぁ」と感心して見ていました。
 やがて数日かけて大掃除をすませたかと思うと、こんどは入口にパカパカと点滅する電飾をつけました。
 「大掃除にしたら、念が入りすぎとちゃうか?」
 「なんかバルかカフェみたいな雰囲気やなぁ、何が始まるんかな?」と、私は自分とこの掃除はそっちのけで、窓からしょっちゅう顔を出して下を覗いていました。
 なにしろ私たちは引っ越して来たばかりで、家の中は埃もなくきれいなものでしたから、掃除ぎらいな私は時間がたっぷり。
 ご近所の観察に専念できたのです。

 いよいよ大晦日。
 夕闇がせまると、例のガレージでは電飾がにぎやかに点滅し、人の声が少しずつ高まってきました。
 人があわただしくガレージに出入りして、外にはコンロをふたつ並べて炭火をパチパチおこし、魚とチキンを次々と焼き始めました。
 ガレージの中には椅子やテーブルもセットされているようです。
 コンロの回りでは十人以上の子供たちが今から始まるパーティーに、もうすでに興奮して走り回っています。
 思えば私の子供のころも同じだったなぁ。
 毎年元旦は親戚一同が集り、私はいとこ達の先頭に立って、家の中を運動場のように走りまわったものです。

 日がとっぷりと暮れるとガレージの中には灯がともり、外で騒いでいた子供たちもいつのまにか中に入り、ガヤガヤと喋りながら食事をする音が賑やかに聞こえてきました。
 我家では大晦日にはうどんを作ります。
 朝から仕込んで寝かせてあったのを、「年越し時間」が近くなるころに食べます。
 でもなかなか思ったようにうまくはできなくて、いつもがっかり。難しいものです。
 私たちが「年越しそば」ならぬ、あまり出来のいいとは言えない「年越しうどん」を食べ終わったころには、ガレージパーティはますます勢いづいて、ヴォリュームをいっぱいにした音楽に合わせてダンスが始まりました。
 いつのまにどこから集ったのか、数十人に増えた人々は最初は普通に二人で手を取り合って踊っていましたが、だんだん人の輪がつながって、ムカデ凧のように相手の腰につかまって歓声をあげながら踊っています。
 「わっしょい、わっしょい!」と、まるで神輿を担いでいるような声に聞こえました。

 そしていよいよ夜中の12時1分前!
 それまで大騒ぎをしていた声が突然ピタリと止み、あたりはシーンと静まりかえりました。
 その時、ドーンと一発の花火の音!
 それと同時に人々はいつの間にか手に持っていた古鍋やフライパンをカチャカチャとたたき始めました。
 あっちでもこっちでも鍋をたたく音。
 そしてガチャンガチャンと茶碗、皿をたたき割る音が遠くからも聞こえてきます。
 旧年中に使っていた欠けた食器をこのときとばかりに窓から外にむかって放り投げて叩き割る習慣です。
 まるで日本の「節分」の「鬼は外!」の雰囲気を感じます。

 「フェリス・アノ・ノーボ!」(新年に幸せを)
 人々は歓声をあげてお互いに抱きあい、祝福のキスをしています。

 夜空にはドーンドーンと百連発の花火が打ち上げられ、ポルトガルで初めて見た「冬の花火」に、私たちはいつまでも魅入っていました。

 そしてそれから10年。
 ポルトガルで13回目のお正月を迎えます。

 「フェリス・アノ・ノーボ!」

MUZ

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005. キノコの季節

2018-10-24 | エッセイ

 この時期、フランスにはよく行くのですが、パリの市場でも売っているのを見かけていつも気になっていたのです。

 でもこんなにどっさり山盛りは見たことがなくて感動もので、思わずパチリ、パチリとシャッターを切ってしまいました。

 きっと今の時期だけなのでしょうが、このニースの朝市では三軒のキノコ専門の店が出て、数種類ものキノコを売っていました。

 その中でもこの松たけ風が一番値が高くて、1キロが38ユーロ(4000円)でした。

 なにしろ1キロですから、大きいのが5本ほどもくるでしょうか…。

 形だけ見ると松たけそっくりですが、さて味はどうか…と気になるところです。

 ニースの最終日にもう一度朝市に行ったので、その時買ってポルトガルまで持って帰ったらよかったな…と後悔しています。

 

 残念なことにポルトガルにはこんなキノコはぜんぜん売っていないのです。

 マッシュルームと平タケの二種類しかありません。

 そのかわり、森の中には色とりどりの珍しいキノコが今の時期は生えていて、夢中になって袋いっぱい採ったのですが、ポルトガル人に見せたら「全部毒きのこだ、こんなの食べたらたいへんだ」と笑われてしまいました。

 でも、ポルトガルの森に生えているのは「みんな毒キノコ」というのはどうも納得できません。

 あの時採った中には2~3割は食べられるのが混ざっていた…と私はにらんでいるのです。

 その後も、木の切り株にシメジにそっくりな小さなキノコが株立ちでびっしり付いているのを見たときは、思わず手が出そうになったものです。

 あれは絶対にシメジだったのではないだろうか…。

 でも悲しいかな私には茸を鑑定する知識が無いし、思い切って食べてみる度胸もありません。

 

 昔、ポーランドをおんぼろキャンピングカーで旅していた時の事が思い出されます。

 ちょうど森の中で車を停めて休憩した時のこと、いっしょに旅していたフィンランド人の女性が、森の中を散歩していてキノコがいっぱい生えている場所を発見しました。

 「これは食べてもだいじょうぶ! 

 フィンランドでいつも森の中で採って食べているのと同じだから…」と自信を持って言うので、みんなで大騒ぎで鍋いっぱいに採って、油いためにして食べました。

 薄いベージュ色の小さなキノコで、なかなか美味しかったのを覚えています。

 生まれて初めて野生のキノコを自分で採って、それを森の中で食べたのだからいっそう美味しかったのでしょう。

 ポーランドがまだ共産圏の時代のことです。

 

 フランスではキノコの季節には薬局の前にキノコのポスターが張られて、それを参考に自分で判断するか、判らなければ薬局で鑑定してくれるそうです。

 ポルトガルでは野生のキノコを食べる習慣がないせいかそういうシステムはなさそうです。 

 

 ポルトガル人と日本人は文化の違いと言うか、食文化の違いというか…を感じます。

 例えばポルトガル人は「うに」を食べません。

 以前、観光用のグラスボートに乗った事があります。

 魚の他にウニが沢山見えたので、船長に「あれだけ沢山のウニがいるのに何故市場に売ってないのか?」と尋ねました。

 そうすると船長は「ウニは沢山いるよ。でもポルトガル人は食べない。他所では食べるらしいがね!」と威厳をもって答えました。

 まるでウニは卑しい食べ物だ!と言わんばかりで、驚いたものです。

 

 その後、漁師の町で自分で獲ってきたウニを殻から出している漁師を見かけました。

 ウニを見かけるのも、ウニを食べようとしている人も珍しかったので、「どこで採ったの?」「どうやって食べるの?」とか色々とその老人の漁師に尋ねたところ、その老人は「この下の岩場で採った」と崖の下を指差して、なんだかとっても恥ずかしそうにしましたので、それ以上は聞きませんでした。

 何故だか解りませんが、やはりウニはポルトガルでは卑しい食べ物なのでしょうか…。

 

 フランスではウニも食べるようです。ニースの牡蠣を売る店で、紫ウニも並べて売っていました。

 海のウニも、森の茸も、ポルトガル人にとっては興味のない食べ物かもしれません。

もったいない!

 

 でも知人の話によりますと、ポルトガルにも「ムスクロ」と言う松たけに似た特別な茸があるとのこと。

 そのありかは親にも言わないそうです。

 

 日本の松茸、フランスのトリュフ、ポルトガルのムスクロ。

 やはりどこの国にもそういった物があるのですね。 

 

 この3日ほど大雨が続いたので、コルク樫の森の中には赤や紫色の鮮やかなキノコやシメジもどきがたくさん顔を出していることでしょう。

 そのうちデジカメを持って写真を撮りに行ってみようと思います。MUZ 

  

       
       
       

 

 行ってきました。セトゥーバル郊外の森を探検。キノコがあちこちに顔を出していました。

 真っ赤なキノコは広い森の中にたった一本だけありました。明日あたり満開に傘を開くことでしょう。3.dec.2002 MUZ

©2002,Mutsuko Takemoto
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(この文は2002年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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004. ポルトガルの秋は

2018-10-24 | エッセイ

 ポルトガルでは6月、7月、8月と雨がほとんど降ることがない。
 道ばたや空地、牧場などは乾燥と高温であたり一面、薄茶色の枯れ野原になってしまう。
 しかし8月の末になると、ある日突然ゴロゴロと雷が鳴り出し、雨がザーッと降り始める。
 乾期が終わりを告げ、雨期が始まったのである。
 するとそれまでカラカラだった石畳の目地の砂に小さな緑が芽生え、それから一雨ごとに枯れ草の中から青い草が息を吹き返す。
 なんだか日本の春先のようにぐんぐんと育っていく。

 このごろようやく「そんなものかな…」と納得できるようになったが、初めはかなり戸惑った。
 まるで日本と反対なのだ。
 日本だと夏の間、旺盛に繁っていた草むらが秋になるとだんだん枯れ果てて、黄色い枯れ野原になってしまう。
 ところがポルトガルでは反対に、それまで枯れ野原だったところがどんどんと緑豊かな草原になっていく。

 ポルトガルの秋は春と共にやって来るようだ。
 8月末から9月の初め、葡萄の収穫とワインの仕込みが終り、最初の一雨がくると、農家はいっせいにブルドーザーで畑を耕し始める。
 カチカチだった畑の土は深く掘り起こされて、種蒔きの準備で忙しそう。






 気候も目まぐるしく変る。
 晴れた日だと真夏に逆戻りで、半そでに短パン姿でちょうどいい。
 その気になるとビーチに寝そべって日光浴までできてしまう。
 ところがいったん曇ると、急に肌寒くなり、雨の日などは家の中は底冷えがして、あわててヒーターなどを納戸から引っ張り出してくることになる。

 家の中と外ではずいぶん温度差がある。だからこの季節の外出は服装にいつも失敗してしまう。
 ちょっと肌寒いかな…と思って上着を着て出ると、外は案外暖かくて汗だくになったり。
 他の人を見ると、しっかり上着を着ている人もいるし、まるで真夏のようにタンクトップ姿の人もいて、さすがにこれにはびっくりする。
 人さまざまなのだ。

 それでもやはり、秋の気配はしだいに色の濃さを増していく。
 街路樹の葉はいつのまにか黄色くなり、葡萄畑も少し赤く紅葉する。
 その下には緑の草が勢いよく成長している。そんなところに秋と春が同居しているのを感じる。

 秋の気配は町角からもやって来る。
 10月になるとどこからともなく煙が漂ってくる。
 煙につられて角を曲ると、そこに煙の正体を発見する。
 夏の間アイスキャンデーを売っていたのが、秋の声を聞き分けて焼き栗屋に変身したのだ。
 パチパチと炭火のはぜる音、つやつやと光る栗の実。
 焼き栗屋のセニョールが栗の実をひとつずつ手にとり、小刀で切り目をいれる。
 それを粗塩といっしょに素焼きの釜に投げ込んで、下から炭火で焼く。
 まるで日本の焼き芋屋の屋台みたいだ。
 焼きあがった栗は一人前12個。
 それを電話帳を破ってくるりと筒状にした紙の中に入れてくれる。
 公園のベンチに座って焼き栗の皮をむくと、中から黄色い粒がほっこりと顔を出す。
 時には虫食いだったりして、そんな時はがっかりしてしまう。
 
 メルカドやスーパーの店先にも生の栗が並びだす。
 これは一キロが300円ほど。二人で食べて一週間はある。
 家庭ではどうやって栗を焼くのかというと、焼き栗専用の素焼きのポットがある。
 底が平らでポチポチといくつも小さい穴が開けてある。
 その中に栗を入れてコンロの上に置き、時々ポットをゆさぶると中の栗がこんがりと焼ける。
 でも我家にはそのポットが無い。
 安いものだからすぐ買えばいいようなものだが、ポットを買うのにブレーキがかかっている。
 というのも、専用のポットを買えばますます栗をたくさん食べてしまう。
 すると体重が増えることになる。それがこわい。

 しかし困ったことに専用ポットがなくてもシャッパスという便利なものがあったのである。
 ぶ厚い波状の鉄板に取っ手が付いていて、それをガスコンロの上に置いてなんでも焼ける。
 我家では朝のトーストをそれで焼く。
 そのシャッパスに切り目を入れた栗を並べる。
 そして、素焼きのどんぶりを栗の上にかぶせる。こうすると栗全体にまんべんなく熱が行き渡る。
 そして4分、栗を裏返してまた4分焼くと、こんがりとした焼き栗が出来上がる。
 でも一回に食べる栗は一人8個と決めている。せめてもの肥満防止策である。

 今年はもう「カクィ」が姿を現した。それも立派な姿の甘柿である。

 秋は美味しいものがめじろ押し。
 日本では「天高く、馬肥ゆる秋」
 ポルトガルではどんよりと雲垂れ込めて「天高くないけれど、馬肥ゆる秋」…あ~ぁ。 (MUZ)

©2002,Mutsuko Takemoto
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(この文は2002年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.022. 羊飼い絵柄ピッチャー Jarro

2018-10-24 | 飾り棚

高さ 18cm

 ポルトガルのルドンドはフローサ工房のピッチャー。
 ワインを入れる壺です。
 お正月最初のこのコーナーにこれを選んだ理由は、大きく太陽が描かれているからです。
 でもこの太陽は「初日の出」という感じではなくてギラギラ照りつける真夏の太陽かもしれません。
 羊たちはどこか近くで草を食んでいて、羊飼いと牧羊犬は木蔭でのんびりといった情景でしょうか?

 その絵柄を中心に撮影したので、取っ手はうしろに隠れてしまいました。MUZ

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