ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

002. 煙ただよう

2018-10-22 | エッセイ

 ポルトガルの夏の風物は、なんといってもイワシの炭火焼。
 六月半ばごろから顔を出し始める。
 そのころにリスボンのアルファマ地区では「サルディーニャ(イワシ)祭」がある。
 石畳の細い路地にドラム缶をタテに二つに割ったコンロを出し、炭火をカッカと起こしてじゅうじゅうと音を立て、あたりにもうもうと煙を撒き散らしながらイワシを焼き、ビーニョ(ワイン)を飲み、ダンスを楽しむ。
 「初ガツオ」ならぬ「初イワシ」を食べる祭である。
 でもこの時期のイワシははっきり言ってあまり美味しくない。
まだ小さいし、脂があまり乗っていない。それに高い。なんでも「はしり」はばか高い。
 七月も末ごろになると、イワシはずいぶん大きくなり、
脂もこってり乗って、値段もかなり安くなる。
 さあ、これからが本格的なイワシの旬の始まりである。
キラキラ虹色に光るウロコをびっしり着けたイワシはコリコリとかたく身がしまり、焼いても、刺身でも美味しい。

 同じマンションに住んでいるセニョールメルローは一週間に少なくとも二回は焼き魚をする。
 彼は二階に住んでいるのだが、小型の鉄製のコンロと炭を抱えて下に降り、
玄関を出た所にコンロを置いて火を起こす。
自分の車の後にはメルカド(市場)で買ってきたばかりの魚がおいてある。
季節によってアジだったり黒鯛だったり、そして夏はだんぜんイワシが多い。
 
 昼時になると町のあっちこっちからイワシを焼く匂いが漂ってくる。
 我が家でも毎週土曜日は焼き魚をする。
土曜日はとびきり新しい魚が売っているので、いつもメルカドに行くからである。
 以前はベランダにコンロを出してやっていたが、
横に生えている松ノ木が大きくなって枝がせまってきたので、
今はキッチンの窓辺で電気コンロで焼き魚をしている。
でも味はやっぱり炭火焼にはかなわない。
 
 セトゥーバルのレストランはほとんどの店が魚の炭火焼をやっている。
 道路端に本格的なコンロを常設して、昼前になると炭火を起こす。
最初、炎がたっている時はピメンタ(ピーマン)を直接火の上に放り投げて焼く。
 こっちのピーマンは大きくてぶ厚く、皮がかたい。
皮がまっ黒こげになるまで焼いてから皮を取りのぞくと、「焼きナス」ならぬ「焼きピーマン」の出来上がり。
これをきざんでオリーブオイルと酢と塩コショーであえて、
味がなじむまでしばらくおいてからサラダで食べる。
 肉厚ピメンタのサラダはなかなか美味しい。
これにニンニクのきざんだのを混ぜるとますます旨い。
 
 レストランではイワシはウロコをつけたまま天然の粗塩をまぶして焼いて持ってくる。
 ウロコがしっかりついているのが新鮮な証拠になる。
鮮度が少しでも落ちるとウロコははげ落ちてしまう。
焦げ目のついたウロコごと試しに食べてみると、シャリシャリとした感触で意外といける。
 イワシは青海苔を食べているので、はらわたがまた青海苔の香りがしてとても美味しい。
まるでアユを食べてるようだ。
白く透き通った脂や卵や白子がいっぱい詰まっている。
 
 ある日、ルジェロの家に昼食によばれた。
 魚や肉の炭火焼をごちそうしてくれたのだが、
サルディーニャが焼きあがってくると、ルジェロは一枚のパンを皿に置き、その上にイワシを一匹乗せた。
そしてウロコのついた皮をむいて取り除き、頭と骨は捨てて、身を指でむしりながらビーニョを飲んだ。
 「サルディーニャはこうして食べるのがいちばん旨い!脂の染み込んだこのパンを最後に食べる。
 これがセトゥーバレンセ(セトゥーバルっ子)のやり方だよ」と自慢げに言った。
 なるほどこれならイワシの脂もパンに染み込んでいっそう美味しく食べられる。
バターもいらない。それにお皿も汚れない。一石二鳥のうまい食べ方だ。
 昔から伝わってきたセトゥーバルの漁師の食べ方かもしれない。
 
 




 セトゥーバルの昔の絵葉書にはオイルサーディンの工場を写したものが何枚もある。
 海岸沿いにオイルサーディンの大きな工場がいくつも操業していたらしい。
今はすっかり廃虚になって、それもこのごろどんどん取り壊して
高層のマンションに建て替えられてしまった。
 
 対岸のトロイアにはローマ時代の遺跡があり、
どっさり取れたイワシを塩づけに加工していた大きな穴がいくつも見られる。
このサド湾には大昔からイワシの大群が押し寄せていたのだ。
 
 でも残念なことにイワシのシーズンは九月の声を聞くとすぐ終ってしまう。
 その次はサバの大群がやって来る。
 そのころはセニョールメルローもサバを買ってきて焼くことだろう。
 もちろん私たちも…。
 そして町中に焼き魚の煙がただよう。 (MUZ)

©2002,Mutsuko Takemoto
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 (この文は2002年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)武本睦子

 

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