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今井竜五岡谷市長は、10月28日の記者会見で、武井武雄の生家について、「母屋を残すことができるかどうかを含めて検討している」と述べたそうです。
「特定の団体ではなく、多くの市民の意見を踏まえたもの」とも述べており、多くの岡谷市民が生家の保存を望んでいることが市長の発言からわかります。
市長への要望書には記載しませんでしたが、江戸時代後期、生家は無事庵(武井家が主宰した私塾。寺子屋)として活用され、地域の子ども達の教育に大きく貢献しました。諏訪高島藩では城下町への藩士の集住が他藩に比べて徹底されず、藩校(長善館)で学んだ藩士が藩内の村々に在郷していました(武井家もその一つ)。岡谷市内にもそのような藩士が主宰する私塾や寺子屋が随所にあり、江戸時代末期から明治時代にかけて、この地域の教育水準は非常に高かったと推測されます。このことが、岡谷市に政府(官)主導ではなく民主導で製糸業を飛躍的に発展させる要因の一つとなり、生糸の輸出により獲得した外貨で日本の近代化は急速に進みました。つまり生家は、教育の重要性を私たちに教えてくれる存在でもあります。
武井武雄生家には、無事庵の扁額とともに私塾として活用された部屋が残っています。新しく建設される保育園に生家を併存させることで、学ぶことの大切さを子ども達に教える生きた教材にすることができます。保育園を奇抜なデザインの建物にしたり、部屋の壁を武井武雄の描いた絵で飾ったりしても、子ども達の教育にはたいした効果は期待できません。地域の歴史を知り、先人の努力を知り、それらの良いところを受け継ぎ、より発展させ、豊かな未来を創造していく。未来を担う子ども達のために本当に必要なものは何かについて、この機会にしっかりと議論をしていく必要があると考えます。
【平成26年10月29日付け長野日報】
【平成26年10月29日付け信濃毎日新聞(諏訪版)】
【武井家塾(無事庵)の扁額】
【無事庵の塾生に講義を行った座敷の図】