ゴルバチョフ元大統領、共産党書記長が亡くなられました。
ペレストロイカ、グラスノスチ
私は大学で、国際関係を専攻していました。(不勉強ものでしたが)
勉強はあまり好きではなかったのですが、国際政治については興味があり、当時もその分野の書物は読んでいました。
私自身は、70年代の西ドイツの東方外交について、卒論を書いていた時期に、
ゴルバチョフ氏が活躍されておりました。
東西陣営の対立が雪解けに向かって、大きく前進した時期でした。
うちの妻は卒業旅行でベルリンを訪れ、東西ドイツの壁を崩した破片をもって帰ってきています。
現在、ウクライナへの侵攻を指示したとか、ソ連の崩壊を招いたとか、ロシア国内だけでなく、その他の国でも評価が
分かれることになってしまっていますが、
間違いなく、ゴルバチョフは、対立の構図から、融和への道を開いたと私は思っています。
彼が共産主義者であるとか、どうかは別にして、
ソ連の衛星国の独立を認めたことは、世界的には好影響であったと思います。
誤算は、ソ連の影響が少なかった中国。
ここが崩れなかったことでしょうか?(ゴルバチョフが望んいたわけではないでしょうが)
兎に角
世界を変えた人であることは確かだと思います。
ご冥福をお祈り致します。
ペレストロイカ、グラスノスチ
私は大学で、国際関係を専攻していました。(不勉強ものでしたが)
勉強はあまり好きではなかったのですが、国際政治については興味があり、当時もその分野の書物は読んでいました。
私自身は、70年代の西ドイツの東方外交について、卒論を書いていた時期に、
ゴルバチョフ氏が活躍されておりました。
東西陣営の対立が雪解けに向かって、大きく前進した時期でした。
うちの妻は卒業旅行でベルリンを訪れ、東西ドイツの壁を崩した破片をもって帰ってきています。
現在、ウクライナへの侵攻を指示したとか、ソ連の崩壊を招いたとか、ロシア国内だけでなく、その他の国でも評価が
分かれることになってしまっていますが、
間違いなく、ゴルバチョフは、対立の構図から、融和への道を開いたと私は思っています。
彼が共産主義者であるとか、どうかは別にして、
ソ連の衛星国の独立を認めたことは、世界的には好影響であったと思います。
誤算は、ソ連の影響が少なかった中国。
ここが崩れなかったことでしょうか?(ゴルバチョフが望んいたわけではないでしょうが)
兎に角
世界を変えた人であることは確かだと思います。
ご冥福をお祈り致します。