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ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

「鳩ぽっぽ」の罪―キジバトの名誉のために―(前)

2007年09月17日 20時18分54秒 | いろんな疑問について考える
「鳩ぽっぽ」の罪
―キジバトの名誉のために―

★図表はUPできず★
西行の鳩の歌
 西行の『山家集』に載り、『新古今和歌集』巻十七雑歌にも採られた

  ふるはたのそばの立木にゐるはとの友よぶ声のすごき夕暮

という歌がある。解釈はたとえば新潮日本古典集成の『山家集』では「古畑の近くの崖に立つ木にとまっている鳩が、友を呼んで鳴いている。その声がいかにも荒涼とした感じがする夕暮だよ」。とくにむずかしいところはない。この鳩は山鳩、つまりキジバトを詠っている。ふつうはそう解釈されている。
ところが、いやそうではない、この鳩はアオバトにちがいないと主張する著書に出会った。『鳥のうた-詩歌探鳥記』(八木雄二 平凡社 1998年)である。
 以下に八木氏がアオバトであると主張する部分を紹介しよう。

 古畑(ふるはた)の岨(そば)の立つ木にいる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮

古畑とは、人手を失って荒れた畑。「岨」は切り立った崖。全体に荒涼とした雰囲気である。問題は「鳩」なのだが、このハトをキジバトのことだと思い込んでいる研究者が多いのである。「すごき」というのは、「ぞっとする(冷たさを含んで)感じ」である。あのキジバトのどちらかと言うとのんびりした声からは、そんな思いは到底伝わって来ない。ところがある研究者は、その意外さが西行のすごさなのだ、と勝手に解釈しているのである。
 しかし、このハトはどう見てもアオバトである。アオバトというのは、キジバトと同じ大きさのハトだが、全身新緑の色をしている美しい鳥。南のほうでは留鳥になるが、一般的には夏鳥で、まさに新緑の頃に山で見聞きする。その声を聞いたことのある人なら、このハトはアオバトに違いないと思うはずである。
 実際、アオバトの発する「アーオー」というあの声には、気のふれた女の発する声の甲高さがある。それは間違いなく人をぞっとさせるものである。

 なるほどそうか、と最初は思った。さすがに鳥を知るものだ……。だが、考えてみると、そんな開けたところにアオバトが現われて鳴くなんていうところは見たことがない。
たしかにキジバトの声はいい天気の暖かな午後など、けだるくなるような暢気な声に聞こえる。だからきっと、西行の歌はのんびりしたキジバトなんかの声ではなく、「声のすごき」アオバトであると八木氏は主張している。そしてアオバトの声は異様だ。「オーアーオー アオー」という鳥の声とは思えないような、へんに凄みのある声で、ひとりで山の中で聞くと心細くなるくらいだ。
 しかし、この歌の鳩をアオバトとするには無理がある。だいいちあの「オーアーオー アオー」という鳥の声を西行は鳩の一種の声であるとわかっていただろうか。これもおおいに疑問だ。アオバトの声の異様さに頼りすぎた解釈ではないか。童謡に「ぽっぽっぽっ 鳩ぽっぽ」というのがあるが、このソフトでのんびりした、あるいはやや滑稽な印象を持たせる歌詞の文部省唱歌「鳩」が広く知られていることも影響しているかと思う。くわえて最近のキジバトはドバト化しているといわれる。そんな緊張感のない鳥、童謡にうたわれる鳥、という印象がさきに立っているのではないか。だからこれはキジバトではなくアオバトに違いないと。
 そんな先入観を取り去って、キジバトの声を聞くと、これもすごいのである。ことに、小雨の中や夕方など、1羽くぐもった声で孤独に鳴く姿などは、かなり寂しく、もの悲しく、真に迫るものがある。筆者はやはりこの西行の鳩の歌はキジバトと解釈したい。しかし個人の思いを述べても仕方がない。
 そこで、冒頭の歌の鳩をアオバトとするのは無理で、キジバトであること。その検証とキジバトの名誉のために、アオバトとキジバトについてさまざまな角度から考えてみよう。
 まず、①と②でキジバトとアオバトの野鳥としての生態的な比較を試みる。つぎに③で、古典や詩歌に現われる鳩から、日本人がキジバトの声をどう聞いてきたのかについて。④では民俗の方面からキジバト、アオバトの声を辿ってみる。そして⑤では童謡にある「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ」の罪、そのまちがいについて考える。

①野鳥としてのキジバト、アオバト
 キジバトはどこにでもいるので、今さら説明するまでもないようだが、アオバトはそうでもない。そこで、一応両種の鳥について図鑑の説明の中から生息環境に関するところを引用しておこう。『フィールドガイド日本の野鳥 増補版』(日本野鳥の会 1994年)によると、キジバトは、

全国的に留鳥として分布し、平地から山地の林にすみ、市街地の庭や公園にもいる。(略)地上を歩いて植物質の餌をとるが、樹上で木の実を食べることもある。

アオバトは、

種子島以北の平地から山地のよく茂った広葉樹林にすみ、北の地方のものは冬は暖地へ移る。樹上で木の実を食べるが、地上に下りることもある。海岸の岩に下りて海水を飲む例が多く知られている。

 以上の説明では大まかすぎて、どちらがどの程度多いのか、いつ多いのか、どんな環境に多いのか、よく鳴くのはいつなのかなど、この問題における比較の材料にはならない。そこで、筆者が日ごろ野外観察で集めたデータを使って比較をしてみよう。

表1:草花丘陵での全観察日数におけるキジバト、アオバトの出現率(2005年は11月まで)
年 キジバトの記録日数 出現率 アオバトの記録日数 出現率 全日数
2003 138 0.47 20 0.07 295
2004 115 0.37 25 0.08 313
2005 93 0.35 12 0.04 265

表2:鷹ノ巣山での鳥類センサスにおけるキジバト、アオバトの記録数
キジバトを記録した5件の標高は610~760m。アオバトを記録した18件の標高は630~1650m。
年 キジバトの記録件数 アオバトの記録件数 センサス日数
1994~98 5 18 48

 表1は早朝散歩をしている近くの草花丘陵での最近の3年間の記録。キジバトは1年中いつもいるのだが、歩いている1~2時間の間に声でも姿でも、とにかく存在を確認する率は2~3日で1日の割合。これは個体数ではないから、1日といっても1羽ではない。複数羽、あるいは複数回の出会いのこともある。毎回記録されてもよさそうなものだが、丘陵の中だけ歩いていると、案外出会わない。むしろ、林縁や森の外の開けた環境に多い鳥で、すぐ下の多摩川の堤防でもついでに歩けば、ぐっと記録数は増えるはずだ。
それに対してアオバトの存在を確認する率はキジバトより一けた少ない。10回歩いても1回もないかもしれない。しかも、姿が見られることは滅多にない。草花丘陵の場合で、アオバトの記録日数の合計は約3年間で57日、そのうち姿を見たのは4件にすぎない。あとは声の確認だけ。尾根の上のほうで鳴いているのを沢筋で聞いたり、樹林の奥のほうから聞こえてきたり、どちらか方向さえわからないような聞こえ方をしたり、たいていは遠くで鳴いている。しかも姿と声が一致したことはない。つまり鳴いているアオバトを見たことがない。草花丘陵に限らず、鳴いているアオバトを筆者はまだ見たことがない。
 表2は奥多摩の鷹ノ巣山で野鳥の数を数えたときの記録のうち、キジバトとアオバトの件数。3年8ヶ月の間に月1回を目安に歩いた。鷹ノ巣山は標高1736m、登山口の標高は610m。いったん日原川へ下りるので、実際には550mから登り始める。そのうちキジバトの記録はわずかに5件で、全部山麓部のこと。キジバトは通称山鳩ともいうが、実際には山の中にはあまりいない。アオバトは多くはないが、18件あった。標高は630~1650m。ただしたいていは声が遠いので、実際にいた地点の標高は、観察地点とずれがある(第2図参照)。でもデータを見ると、山の上から下までよく分布している。18件のうち見たのは1回だけで、ほとんどは遠くに声を聞いただけ。なお、表2と表4でデータ数が1件ちがうのは1350mの2件がダブルため。
 街中の記録としては、羽村市内で野鳥の数をかぞえていたとき、まる3年のうちに1回だけアオバトの声を聞いた。2000年7月12日。調査日数216日分の1日。それも遠くに聞いただけだった。
 つまり、アオバトは樹林にいる鳥で、開けた場所にはなかなか出てこないということ。声が非常に印象的だが、海岸で海水を飲むという場所ならともかく、姿を見ることは稀。だから知らないとハトの声とは思えないかもしれない。
 キジバトとアオバト、その生息状況の違いについて、『Strix』 VOL.17(日本野鳥の会 1999年 藤巻裕蔵:北海道中部・南東部におけるキジバトとアオバトの生息状況)からも紹介しよう。調査地は北海道だが、おおよその状況は似ている。

キジバトは森林から農耕地、住宅地まで広い範囲にわたって生息しており、生息数は森林より農耕地で多かった。これに対し、アオバトはおもに森林に生息しているが、全般にキジバトより少なく、農耕地では森林におけるよりさらに少なく、住宅地には生息しなかった。

 以上のように、キジバトに対してアオバトは農耕地などの開けたところへ出ない、山でも姿はなかなか見られない。したがって「古畑の岨の立つ木にいる鳩」がアオバトである可能性は非常に少ない。くわえてキジバトはあまり群れないが、アオバトは単独でいることは少ない。まして周囲から良く見える立ち木に1羽で止まって鳴いているという情景は、ほとんど考えられない。
 日本野鳥の会の戦前の『野鳥』誌が復刻されている。アオバトの記事は少ない。そのなかで10巻2号、昭和18年2月号に「海と緑鳩(あをばと)」(佐々木勇)と題して小樽の張碓海岸に海水を飲みに集まるアオバトの生態観察記録がある。
 記事のなかに「張碓の土地の者はマオ又はマオドリと呼んで居て、鳩だとは思つて居ない。何か別な種類の鳥として取扱はれて来たのである」と記し、「オーアーオー アオー」と鳴くこの鳥とハトとを一般の人は結びつけていないのだと述べている。また、この当時でも未だアオバトの巣が発見されていない。警戒心が強く、非常に観察のむずかしい鳥だからである。
 これより先、同じく『野鳥』誌6巻5号(昭和14年)にアオバトの営巣の記事がある。野鳥研究家で写真家の下村兼史が高知県へヤイロチョウの巣を撮影に行き「幸運と云ふか、皮肉と云ふか、そのときアヲバトの巣はヤイロテウの巣の殆んど真上と云ひたい位の箇所にあつた」と偶然に発見された時の状況を伝えている。しかし高木の枝先で登ることは不可能、樹木の上部を切り落とすこともできず、直接観察も撮影も断念した、とある。

②キジバトとアオバトのさえずる時期
 つぎに「古畑の岨の立つ木にいる鳩」が鳴いていたのはいつだったのか。その季節を考えてみよう。
 まずキジバトはほぼ1年中鳴く。正確には11月から12月にかけて滅多に鳴かなくなる時期はあるが、それでもまったく鳴かないということはなさそうだ。第1図では羽村市内の観察データを使ってその状況をグラフに示した。9月まではよく鳴いていたのが、10月からぐっと減って11月が底になり、その後春にかけてまた鳴くようになる様子がわかる。春よりも秋口へかけてむしろよく鳴くという結果になっている。こういう曲線を描く囀り習性はめずらしいかもしれない。ほかの鳥種ではたいてい春から初夏に囀りのピークが来るし、全く囀らない期間があるのだが。キジバトの永い繁殖期を象徴しているのか。3年ともほぼ同じ曲線を描いているので、これがキジバトの囀り習性といっていいのだろう。












 

表3:草花丘陵でのアオバトの囀り記録数
月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
囀り数   1 3 5 17 12 6 4 6 4 5  

つぎにアオバトの囀り時期を見てみる。
 表3は草花丘陵でのアオバトの囀りの記録。5、6月を中心に春から夏に多いが、秋にも稀ではないことを示している。ただアオバトの囀り記録の少ないなかでのこの秋の傾向で、聴ける機会の稀なことに変わりはない。
 第2図の鷹ノ巣山では4月から10月に記録がある。春から夏にかけて多いのは草花丘陵とも、また他の鳥種とも似るが、秋へかけてもやや囀る傾向がここでも見える。だがしかし、9月10月で計3回であるから、やはり稀なことに変わりはない。冬には記録がない。ただし、11月から3月まで記録がないのは、その間いないということではない。冬に、まだ新しい落ち羽をひろったことがある。
 また、日本野鳥の会神奈川支部の『神奈川県鳥類目録』の2集、3集の2冊には11月から冬期の間に合計5件の囀り記録がある。
 なぜ秋冬のアオバトの囀りにこだわるのか。それは西行が「古畑の岨の立つ木にいる」鳩を見たのは晩秋から初冬と考えられるからだ。

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